第三十六章 山小屋
フリードたちが山小屋に着いた時は、夕方になっていた。なだらかではあるが、木が鬱蒼と茂り、馬に乗っては歩きにくい山道を徒歩で歩いてきて、フリードとミルドレッドはかなり疲れていた。
山の谷間の、谷川に面した岸辺に山小屋が見えた時、フリードは不思議な感覚を感じた。まるで、四年前に戻ったみたいである。
小屋には、明かりがついていたのであった。
もしかしたら、この四年間の事はすべて夢で、今の自分は、役人を殺してムルドの村から逃げてきたばかりではないだろうか、とフリードはふと思ったが、後ろを振り返ると、そこにはちゃんとミルドレッドと二頭の馬がいた。
「誰かいるらしい」
「ジグムントかしら」
「まさか!」
フリードは小屋の戸を叩いた。
「どなたじゃな」
中からしわがれた老人臭い声が聞こえた。
フリードとミルドレッドは、顔を見合わせた。まさか、本当にジグムントではないだろうか。
「旅の者です。一晩泊めていただきたいのですが」
「旅の者だと? 盗賊ではないだろうな。ならば、ここには何も取る物はないぞ」
フリードは、中の人間がジグムントである事を確信した。
「ジグムント! 僕です。フリードです。ミルドレッドもここにいます」
「フリードじゃと? まさか……」
戸が開いた。
中から顔を出したのは、紛れも無くジグムントだった。しかし、この三年の間に髪はすっかり真っ白になり、体も一回り小さくなったようである。
「おやおや、これは本当にフリードじゃわい。それに、ミルドレッド、相変わらず美しいのう。さあ、中に入るがよい」
ジグムントは二人を室内に招き入れた。
「一体、どういう風の吹き回しじゃ。エルマニア国の国王や、領主様が、こんな山小屋を訪れるとは」
ジグムントは懐かしそうに二人を見ながら言った。
フリードは、自分がエルマニア国を追われた事、ライオネルが死んだ事を話した。
「では、お前さんは振り出しに戻ったわけじゃな。いやはや、世の中というものは面白いものじゃ。いや、面白いと言っては、ミルドレッドには済まないな。何しろ、亭主が死んだばかりじゃからな。しかし、どうやら、お前さんたち、只の仲じゃないな」
二人は顔を赤らめた。
「実は……」
フリードは、ライオネルからミルドレッドを託された事を話した。
「何とまあ、亭主直々の譲渡とはな。もともとお主たちが好き合っていたのは誰もが皆分かっていた事じゃから、ライオネルもお主に女房を譲ったんじゃろう。……しかし、あのミルドレッドが母になるとはな。いいじゃろう。ここでゆっくり過ごすがいい。しかし、わしの目の前で乳繰り合われるのはかなわんから、まぐわいたいときは、そのへんの野原に隠れてやってくれ」
フリードは、ジグムントに感謝の言葉を述べた。
翌日から、フリードはジグムントの小屋の側に、新しい山小屋を作る作業を始めた。なにしろ、ジグムントの小屋は三人で暮らすには狭かったからである。
近くの林の木を切り倒し、枝を払って木材を作る。ジグムントやミルドレッドの手はわずらわせず、ほとんどフリードはそれらの作業を一人でやった。もともと狩人のフリードには、山小屋作りは慣れた作業である。
こうして体を動かして物を作っていると、フリードの体の中には不思議な喜びが沸き起こってきた。それは、一つには、この作業が、やがて生まれる自分たちの子供のための作業でもあったからだろう。
木を切り倒すのにはジグムントの斧を借りたが、枝を払ったり、木の表面を削ったりするのには、剣を使う。あの、アキムに貰った高価な剣である。人を殺す為に作られた名剣も、自分がこのような平和な利用のされ方をする日が来るとは夢にも思わなかっただろう。
ミルドレッドは、嬉々として主婦の仕事をやっていた。放っておくといつまでも同じ物を着ている不潔な男たちの衣類を強引に脱がせ、川で洗濯する。破れた衣服は糸で繕う。
ジグムントには、まるで只働きの使用人が二人もできたようなものである。孤独を慰める話し相手もでき、彼はまったく幸福な老人となった。
秋になると、三人は冬籠りの支度を始めた。
木の実や草の実で、食用になり、保存の利く物を集め、フリードは得意の弓で、冬眠前の肥え太った動物たちを射る。狩った獲物は、皮を剥ぎ、肉は燻製にして地下の貯蔵室に格納する。
そして、秋が終わる頃、フリードとミルドレッドの家が完成した。
木造二階建て、5LDKという豪華な家である。ただし、そのうち二部屋は馬小屋と鳥小屋だったが、いずれにしても、一生働いても安っぽいマンション一つ買えない現代日本のサラリーマンから見れば、羨ましい話である。なにしろ、いつでも好きな場所に、好きな家を勝手に建てていいのだから。そう考えると、現代は昔より進歩しているのか、退歩しているのかよく分からない。
ミルドレッドは、もちろん、完成した自分の家に大喜びである。二人が新居に移った後、ジグムントも新しい家に同居するように勧められたが、この頑固な老人は意固地に古い小さな自分の山小屋に住み続けたのであった。
フリードたちが山小屋に着いた時は、夕方になっていた。なだらかではあるが、木が鬱蒼と茂り、馬に乗っては歩きにくい山道を徒歩で歩いてきて、フリードとミルドレッドはかなり疲れていた。
山の谷間の、谷川に面した岸辺に山小屋が見えた時、フリードは不思議な感覚を感じた。まるで、四年前に戻ったみたいである。
小屋には、明かりがついていたのであった。
もしかしたら、この四年間の事はすべて夢で、今の自分は、役人を殺してムルドの村から逃げてきたばかりではないだろうか、とフリードはふと思ったが、後ろを振り返ると、そこにはちゃんとミルドレッドと二頭の馬がいた。
「誰かいるらしい」
「ジグムントかしら」
「まさか!」
フリードは小屋の戸を叩いた。
「どなたじゃな」
中からしわがれた老人臭い声が聞こえた。
フリードとミルドレッドは、顔を見合わせた。まさか、本当にジグムントではないだろうか。
「旅の者です。一晩泊めていただきたいのですが」
「旅の者だと? 盗賊ではないだろうな。ならば、ここには何も取る物はないぞ」
フリードは、中の人間がジグムントである事を確信した。
「ジグムント! 僕です。フリードです。ミルドレッドもここにいます」
「フリードじゃと? まさか……」
戸が開いた。
中から顔を出したのは、紛れも無くジグムントだった。しかし、この三年の間に髪はすっかり真っ白になり、体も一回り小さくなったようである。
「おやおや、これは本当にフリードじゃわい。それに、ミルドレッド、相変わらず美しいのう。さあ、中に入るがよい」
ジグムントは二人を室内に招き入れた。
「一体、どういう風の吹き回しじゃ。エルマニア国の国王や、領主様が、こんな山小屋を訪れるとは」
ジグムントは懐かしそうに二人を見ながら言った。
フリードは、自分がエルマニア国を追われた事、ライオネルが死んだ事を話した。
「では、お前さんは振り出しに戻ったわけじゃな。いやはや、世の中というものは面白いものじゃ。いや、面白いと言っては、ミルドレッドには済まないな。何しろ、亭主が死んだばかりじゃからな。しかし、どうやら、お前さんたち、只の仲じゃないな」
二人は顔を赤らめた。
「実は……」
フリードは、ライオネルからミルドレッドを託された事を話した。
「何とまあ、亭主直々の譲渡とはな。もともとお主たちが好き合っていたのは誰もが皆分かっていた事じゃから、ライオネルもお主に女房を譲ったんじゃろう。……しかし、あのミルドレッドが母になるとはな。いいじゃろう。ここでゆっくり過ごすがいい。しかし、わしの目の前で乳繰り合われるのはかなわんから、まぐわいたいときは、そのへんの野原に隠れてやってくれ」
フリードは、ジグムントに感謝の言葉を述べた。
翌日から、フリードはジグムントの小屋の側に、新しい山小屋を作る作業を始めた。なにしろ、ジグムントの小屋は三人で暮らすには狭かったからである。
近くの林の木を切り倒し、枝を払って木材を作る。ジグムントやミルドレッドの手はわずらわせず、ほとんどフリードはそれらの作業を一人でやった。もともと狩人のフリードには、山小屋作りは慣れた作業である。
こうして体を動かして物を作っていると、フリードの体の中には不思議な喜びが沸き起こってきた。それは、一つには、この作業が、やがて生まれる自分たちの子供のための作業でもあったからだろう。
木を切り倒すのにはジグムントの斧を借りたが、枝を払ったり、木の表面を削ったりするのには、剣を使う。あの、アキムに貰った高価な剣である。人を殺す為に作られた名剣も、自分がこのような平和な利用のされ方をする日が来るとは夢にも思わなかっただろう。
ミルドレッドは、嬉々として主婦の仕事をやっていた。放っておくといつまでも同じ物を着ている不潔な男たちの衣類を強引に脱がせ、川で洗濯する。破れた衣服は糸で繕う。
ジグムントには、まるで只働きの使用人が二人もできたようなものである。孤独を慰める話し相手もでき、彼はまったく幸福な老人となった。
秋になると、三人は冬籠りの支度を始めた。
木の実や草の実で、食用になり、保存の利く物を集め、フリードは得意の弓で、冬眠前の肥え太った動物たちを射る。狩った獲物は、皮を剥ぎ、肉は燻製にして地下の貯蔵室に格納する。
そして、秋が終わる頃、フリードとミルドレッドの家が完成した。
木造二階建て、5LDKという豪華な家である。ただし、そのうち二部屋は馬小屋と鳥小屋だったが、いずれにしても、一生働いても安っぽいマンション一つ買えない現代日本のサラリーマンから見れば、羨ましい話である。なにしろ、いつでも好きな場所に、好きな家を勝手に建てていいのだから。そう考えると、現代は昔より進歩しているのか、退歩しているのかよく分からない。
ミルドレッドは、もちろん、完成した自分の家に大喜びである。二人が新居に移った後、ジグムントも新しい家に同居するように勧められたが、この頑固な老人は意固地に古い小さな自分の山小屋に住み続けたのであった。
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