四
あれは藤吉郎がまだ寺にいた頃の話であるから、今からもう十年以上も前の事になるが、寺の小僧仲間の一人に貴族の息子だとかいう男がいた。名前ももう忘れてしまったが、その男が何かの機会にしてくれた二つの話を藤吉郎は今でも覚えている。その話がどうしようもなく気に入ってしまったのである。
二つとも史記の中の話で、一つは、項羽が若い頃、学問をしても剣を学んでも続かないことを人から説教されて、
「字は名前さえ書ければそれでいい。剣は一人を相手にするのみ。俺は万人を相手にする方法を学びたい」
と言ったという話。その「我は万人の敵を学ばん」という言葉の威勢の良さに、当時の日吉丸はすっかり参ったものである。
もう一つは劉邦の話で、彼が部下の韓信に、自分はどれくらいの兵を率いる才能があるかと尋ね、
「陛下はせいぜい十万人程度です」と言われて憮然とし、「ではお前は」と聞くと、
「私は多ければ多いほどいい。(多々益々弁ず)」
との答えに、
「ではなぜお前はかつて私の虜となったのだ」
と聞くと、
「陛下は兵に将たる才能は無い。しかし、将に将たる才をお持ちだからである」
と答えたという話である。
「将に将たる器」、この言葉に日吉丸は陶酔した。それが具体的にどんな能力を指すものかはわからない。しかし、男として生まれた以上、目指してよいものがそこにはあるような気がしたのであった。
今でも藤吉郎は何かにつけその二つの言葉を思い出す。「万人の敵」と「将に将たる器」。それを思うたびに、今の自分のままではいけないという気になる。だから、彼は人一倍働いた。他人が見ていない時でも、怠けたりすることはけっしてなかった。そしてその事が苦痛ではなかった。
彼の背後には極貧の暗黒の日々があったからである。
それを思えば、何でも耐えられない事はなかった。そして、彼の前には昇る朝日しかなかった。
「わしが生まれる時に、お袋様は朝日を呑み込む夢を見たんだそうじゃ」
彼はよくねねにそんな事を言った。それは罪の無い嘘に決まっているが、彼は自分でも知らぬ間にその嘘によってある幻術を用いていたのである。
すなわち、彼が何か思いがけない離れ業をした時に、その日輪の話が人々の頭に思い浮かぶという幻術である。
ねねからその日輪の話を聞いていた者たちは、その話を一笑に付したものの、その事を忘れる事はなかった。それが後に藤吉郎の栄光に幻の輝きをも加えることになった。いや、その幻も藤吉郎の栄光作りに一役買っていたと言うべきだろう。
相変わらず藤吉郎を毛嫌いする者は多かったが、彼は平気だった。自分を笑う者に対しては一緒になって笑い、自分を笑わぬ者には感謝して、常に真心を尽くした。自然と彼を好む者、彼に味方する者が増えていったのであった。
あれは藤吉郎がまだ寺にいた頃の話であるから、今からもう十年以上も前の事になるが、寺の小僧仲間の一人に貴族の息子だとかいう男がいた。名前ももう忘れてしまったが、その男が何かの機会にしてくれた二つの話を藤吉郎は今でも覚えている。その話がどうしようもなく気に入ってしまったのである。
二つとも史記の中の話で、一つは、項羽が若い頃、学問をしても剣を学んでも続かないことを人から説教されて、
「字は名前さえ書ければそれでいい。剣は一人を相手にするのみ。俺は万人を相手にする方法を学びたい」
と言ったという話。その「我は万人の敵を学ばん」という言葉の威勢の良さに、当時の日吉丸はすっかり参ったものである。
もう一つは劉邦の話で、彼が部下の韓信に、自分はどれくらいの兵を率いる才能があるかと尋ね、
「陛下はせいぜい十万人程度です」と言われて憮然とし、「ではお前は」と聞くと、
「私は多ければ多いほどいい。(多々益々弁ず)」
との答えに、
「ではなぜお前はかつて私の虜となったのだ」
と聞くと、
「陛下は兵に将たる才能は無い。しかし、将に将たる才をお持ちだからである」
と答えたという話である。
「将に将たる器」、この言葉に日吉丸は陶酔した。それが具体的にどんな能力を指すものかはわからない。しかし、男として生まれた以上、目指してよいものがそこにはあるような気がしたのであった。
今でも藤吉郎は何かにつけその二つの言葉を思い出す。「万人の敵」と「将に将たる器」。それを思うたびに、今の自分のままではいけないという気になる。だから、彼は人一倍働いた。他人が見ていない時でも、怠けたりすることはけっしてなかった。そしてその事が苦痛ではなかった。
彼の背後には極貧の暗黒の日々があったからである。
それを思えば、何でも耐えられない事はなかった。そして、彼の前には昇る朝日しかなかった。
「わしが生まれる時に、お袋様は朝日を呑み込む夢を見たんだそうじゃ」
彼はよくねねにそんな事を言った。それは罪の無い嘘に決まっているが、彼は自分でも知らぬ間にその嘘によってある幻術を用いていたのである。
すなわち、彼が何か思いがけない離れ業をした時に、その日輪の話が人々の頭に思い浮かぶという幻術である。
ねねからその日輪の話を聞いていた者たちは、その話を一笑に付したものの、その事を忘れる事はなかった。それが後に藤吉郎の栄光に幻の輝きをも加えることになった。いや、その幻も藤吉郎の栄光作りに一役買っていたと言うべきだろう。
相変わらず藤吉郎を毛嫌いする者は多かったが、彼は平気だった。自分を笑う者に対しては一緒になって笑い、自分を笑わぬ者には感謝して、常に真心を尽くした。自然と彼を好む者、彼に味方する者が増えていったのであった。
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