弐
彼が織田家の末端の家来となったのも、お市の事が動機の一つだった。何となく、そこにいれば彼女との縁がありそうな気がしたのである。彼が信長の将来性を高く買っていたわけではない。人の評判では、若い頃はどうしようもない阿呆であったが、斎藤道三の娘を嫁に貰ってからは、人が変わったようになったという。と言っても、部下に対してえらく厳しい主人であるらしく、あまり良い評判は聞かない。どうしようもない癇癪持ちで、近臣の者を斬ったことも二、三度では済まないらしい。その一方では能力のある人間は下の者でも家柄に関係無しにどんどん取り立てるという話もある。長所短所それぞれといった所だろう。
信長の家来になったのを機に藤吉郎と名前を変えた彼は、仕事を真面目にした。陰日向なく仕事をするという、それだけでも、この時代、人の目につくには十分である。やがて彼は上役の重宝な助手役として使われるようになった。その仕事というのは、台所の賄いである。つまり、食材やら燃料やらの仕入れと管理の仕事だ。
藤吉郎は、ここで抜群の取り計らいの才能を見せた。彼がその役につく前よりも、費用を二割以上も節約したのである。と言っても食事の内容を貧弱にしたわけではない。前任者のように無駄な金を使わず、また費用の一部を懐に入れることをしなかっただけである。
彼のそんな行為を周りの連中はあざ笑った。
「そんな事をしたって誰が見ているものかよ。自分一人できれいぶったって何にもなりゃしねえよ」
聞こえよがしのそんな声にも藤吉郎はただ笑ってみせるだけだった。
「はっはっはっ。わしゃ頭が悪いもんでな。一は一、二は二としか勘定できんのじゃ。一を二に見せたり、三に見せたりするような、そんな器用な真似はよう出来ん」
このような当意即妙の言葉に返答できる者は無く、相手は黙り込むのが常だった。
以前の陰鬱な日吉丸を知っている人間には、今の藤吉郎は、驚くほど人が変わったと思っただろう。
何より、明るくなった。もともと声は大きい方だったが、最近ではその大きな声があたりに響いていないことがない。大声で指示し、軽口を叩き、大声で笑う。その声がしないと、周りの人間は物足りない気にすら、最近ではなってきていた。
すなわち、藤吉郎ここにあり、と織田家中の人間は誰でも知るようになってきていたのである。
彼が織田家の末端の家来となったのも、お市の事が動機の一つだった。何となく、そこにいれば彼女との縁がありそうな気がしたのである。彼が信長の将来性を高く買っていたわけではない。人の評判では、若い頃はどうしようもない阿呆であったが、斎藤道三の娘を嫁に貰ってからは、人が変わったようになったという。と言っても、部下に対してえらく厳しい主人であるらしく、あまり良い評判は聞かない。どうしようもない癇癪持ちで、近臣の者を斬ったことも二、三度では済まないらしい。その一方では能力のある人間は下の者でも家柄に関係無しにどんどん取り立てるという話もある。長所短所それぞれといった所だろう。
信長の家来になったのを機に藤吉郎と名前を変えた彼は、仕事を真面目にした。陰日向なく仕事をするという、それだけでも、この時代、人の目につくには十分である。やがて彼は上役の重宝な助手役として使われるようになった。その仕事というのは、台所の賄いである。つまり、食材やら燃料やらの仕入れと管理の仕事だ。
藤吉郎は、ここで抜群の取り計らいの才能を見せた。彼がその役につく前よりも、費用を二割以上も節約したのである。と言っても食事の内容を貧弱にしたわけではない。前任者のように無駄な金を使わず、また費用の一部を懐に入れることをしなかっただけである。
彼のそんな行為を周りの連中はあざ笑った。
「そんな事をしたって誰が見ているものかよ。自分一人できれいぶったって何にもなりゃしねえよ」
聞こえよがしのそんな声にも藤吉郎はただ笑ってみせるだけだった。
「はっはっはっ。わしゃ頭が悪いもんでな。一は一、二は二としか勘定できんのじゃ。一を二に見せたり、三に見せたりするような、そんな器用な真似はよう出来ん」
このような当意即妙の言葉に返答できる者は無く、相手は黙り込むのが常だった。
以前の陰鬱な日吉丸を知っている人間には、今の藤吉郎は、驚くほど人が変わったと思っただろう。
何より、明るくなった。もともと声は大きい方だったが、最近ではその大きな声があたりに響いていないことがない。大声で指示し、軽口を叩き、大声で笑う。その声がしないと、周りの人間は物足りない気にすら、最近ではなってきていた。
すなわち、藤吉郎ここにあり、と織田家中の人間は誰でも知るようになってきていたのである。
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