前の記事への補足をする。
「蘊蓄話」への嫌悪は、そういう話をする時の話し手の得意顔がいやなのだ、とも考えられる。それならば、納得できる話だ。
私が嫌いな作家の中には、やはりそういう「書き手の得意顔」を感じさせるという人がいる。多芸多才な人間で、ある種天才的であることは確かだが、「自分が思うほど天才ではないよ」と言ってやりたくなるのである。
小説で一番大事なことは、読んでいて楽しいことや、読んだ後の後味の良さであり、小説としての高度さや上手さなどは読者にとっては二の次三の次だと私は考えている。そういう点ではその小説家は私が読みたくない小説家だ。
蘊蓄話への嫌悪には、そういう話し手への嫌悪があるとも考えられる。
「蘊蓄話」への嫌悪は、そういう話をする時の話し手の得意顔がいやなのだ、とも考えられる。それならば、納得できる話だ。
私が嫌いな作家の中には、やはりそういう「書き手の得意顔」を感じさせるという人がいる。多芸多才な人間で、ある種天才的であることは確かだが、「自分が思うほど天才ではないよ」と言ってやりたくなるのである。
小説で一番大事なことは、読んでいて楽しいことや、読んだ後の後味の良さであり、小説としての高度さや上手さなどは読者にとっては二の次三の次だと私は考えている。そういう点ではその小説家は私が読みたくない小説家だ。
蘊蓄話への嫌悪には、そういう話し手への嫌悪があるとも考えられる。
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