第三十五章 海戦
「あんたたち、あの『肝食いインゲモル』を撃退したんだって?」
マルスたちの船に同乗している兵士の一人が、ジョンに聞いた。
「ああ、あのマルス様の弓で、一人でやっつけたんだ」
「そいつはいささか眉唾だな。なにしろ、あの『肝食い』に襲われて逃げ延びた船はほとんどないんだから。実のところ、レントがこれまでアスカルファンとの戦をためらっていた理由の一つがそれさ。途中で『肝食い』の船に襲われたら、かなわないからな」
「レントの軍はそんなに弱いのか」
「弱くはないが、船の操作は連中の方が上だ。風がどこから吹こうが、連中は船を自由自在に操る。で、こっちが負けるということになる」
「しかし、たった一隻の船に……」
側で聞いていたオーエンが思わず言った。
この若者は機敏で逞しい体をしているが、内気で、ジョンやマルス以外の者と話す事はほとんどない。だが、同じ庶民どうしだと、わりと気楽に口がきけるのである。騎士になった今でも、トリスターナやマチルダの前では真っ赤になって一言もしゃべれないのだが。
「一隻だって? インゲモルの一味は十隻くらい船があるぞ」
兵士が驚いたように言った。
「そうか。じゃあ、この前は、たまたま一隻でいたところに出くわしたんだ。幸運だったんだな」
「そうさ。二隻一度にかかられたら、マルスとやらの弓がいかに達者でも、かなわないだろうよ」
「おいおい、お前さん、インゲモルの身内かい。やけにそいつの肩を持つじゃないか」
ジョンがあきれて言った。
船は幸い好天に恵まれて、順調に進んでいた。
レントとアスカルファンの間は、順風なら二日で渡れる程度の距離でしかない。
だが、アスカルファンの地が視界に入ったその時、北の方の水平線上に、一隻の船が現れ、その船はこちらに向かってぐんぐん進んできた。やがて、その船は、見る見るうちに、数を増し、五隻に増えた。
「インゲモルだ!」
見張り台の水夫が叫んだ。
トリスターナとマチルダは怯えた顔で、手を握り合った。『肝食いインゲモル』の事は、既に話を聞いていて、彼女たちは彼を悪魔のように恐れていたのである。
前回は運良く撃退できたが、一度に五隻も現れたのでは、どうなることだろうと、誰もが不安に思った中で、マルスだけは平然と海戦の準備をしていた。
「あなたたちも、火矢を作る手伝いをしてください。それから、万一、こちらの船に火がついたら消火をお願いします」
それから、マルスは同乗している兵士の主だった者を呼んで、戦闘の指示をした。
この船の指揮権は、マルスとオズモンドに与えられていたのである。しかし、オズモンドは指揮権をマルスに譲っていた。もともとその方面の自信は無かったからだ。
やがて、インゲモルらの船は、マルスの矢の射程内に入った。
マルスは近づいてくる船に、次々と矢を放った。その矢の距離と正確さは他の兵士たちを驚嘆させ、勇気付けたが、インゲモルらの船は、火があちこちに燃え移っても構わずにこちらに向かって進んでくる。消火活動は後回しにして、まず、こちらの船に乗り移ってしまおうという腹である。
マルスは、火矢を射るのをやめて、敵の船上にいる海賊たちを射始めた。
海賊たちは次々とマルスの矢に倒れていく。しかし、ついに敵の矢もこちらの船に届くようになってきた。
船の船長は、何とかして敵船との距離を保とうとするが、敵の船の方が船足が速く、とうとうマルスらのいる甲板に、敵の矢が突き刺さり始めた。
マルスは、遠距離用の長矢で、そのまま船首にいるインゲモルを注意深く狙った。
インゲモルは飛んでくる矢に備えて、鉄板を張った盾で身を隠している。
マルスは、矢を放った。
矢は一条の光のように飛んでゆき、インゲモルの盾を貫いてその体をふっ飛ばし、帆柱に射止めた。その体は、二、三度痙攣した後、柱に刺さったまま、ぶらりと垂れ下がった。
敵と味方の両方から、恐怖と感嘆の声が上がった。
「インゲモルが死んだぞ」
その声は他の海賊船に次々と伝わった。
マルスはもう一つの海賊船の舳先に立つ、船の頭目らしい男にも矢を放った。この男もインゲモル同様に、体を射ぬかれて、甲板の壁に縫い付けられた。
海賊たちはマルスたちの船を襲う気力を失ったらしく、追跡をあきらめ、去っていった。
こちらの被害はほとんど無く、わずかに甲板で転んだり物にぶつかったりして怪我した慌て物が何人かいただけである。
「この方は、弓の神様だ。軍神だ」
兵士の一人がマルスを称えて叫んだ。
その声はすぐに他の兵士たちの歓呼の声となり、船上に、海の上に響き渡った。
「マルス万歳!」
「軍神マルス様万歳!」
「あんたたち、あの『肝食いインゲモル』を撃退したんだって?」
マルスたちの船に同乗している兵士の一人が、ジョンに聞いた。
「ああ、あのマルス様の弓で、一人でやっつけたんだ」
「そいつはいささか眉唾だな。なにしろ、あの『肝食い』に襲われて逃げ延びた船はほとんどないんだから。実のところ、レントがこれまでアスカルファンとの戦をためらっていた理由の一つがそれさ。途中で『肝食い』の船に襲われたら、かなわないからな」
「レントの軍はそんなに弱いのか」
「弱くはないが、船の操作は連中の方が上だ。風がどこから吹こうが、連中は船を自由自在に操る。で、こっちが負けるということになる」
「しかし、たった一隻の船に……」
側で聞いていたオーエンが思わず言った。
この若者は機敏で逞しい体をしているが、内気で、ジョンやマルス以外の者と話す事はほとんどない。だが、同じ庶民どうしだと、わりと気楽に口がきけるのである。騎士になった今でも、トリスターナやマチルダの前では真っ赤になって一言もしゃべれないのだが。
「一隻だって? インゲモルの一味は十隻くらい船があるぞ」
兵士が驚いたように言った。
「そうか。じゃあ、この前は、たまたま一隻でいたところに出くわしたんだ。幸運だったんだな」
「そうさ。二隻一度にかかられたら、マルスとやらの弓がいかに達者でも、かなわないだろうよ」
「おいおい、お前さん、インゲモルの身内かい。やけにそいつの肩を持つじゃないか」
ジョンがあきれて言った。
船は幸い好天に恵まれて、順調に進んでいた。
レントとアスカルファンの間は、順風なら二日で渡れる程度の距離でしかない。
だが、アスカルファンの地が視界に入ったその時、北の方の水平線上に、一隻の船が現れ、その船はこちらに向かってぐんぐん進んできた。やがて、その船は、見る見るうちに、数を増し、五隻に増えた。
「インゲモルだ!」
見張り台の水夫が叫んだ。
トリスターナとマチルダは怯えた顔で、手を握り合った。『肝食いインゲモル』の事は、既に話を聞いていて、彼女たちは彼を悪魔のように恐れていたのである。
前回は運良く撃退できたが、一度に五隻も現れたのでは、どうなることだろうと、誰もが不安に思った中で、マルスだけは平然と海戦の準備をしていた。
「あなたたちも、火矢を作る手伝いをしてください。それから、万一、こちらの船に火がついたら消火をお願いします」
それから、マルスは同乗している兵士の主だった者を呼んで、戦闘の指示をした。
この船の指揮権は、マルスとオズモンドに与えられていたのである。しかし、オズモンドは指揮権をマルスに譲っていた。もともとその方面の自信は無かったからだ。
やがて、インゲモルらの船は、マルスの矢の射程内に入った。
マルスは近づいてくる船に、次々と矢を放った。その矢の距離と正確さは他の兵士たちを驚嘆させ、勇気付けたが、インゲモルらの船は、火があちこちに燃え移っても構わずにこちらに向かって進んでくる。消火活動は後回しにして、まず、こちらの船に乗り移ってしまおうという腹である。
マルスは、火矢を射るのをやめて、敵の船上にいる海賊たちを射始めた。
海賊たちは次々とマルスの矢に倒れていく。しかし、ついに敵の矢もこちらの船に届くようになってきた。
船の船長は、何とかして敵船との距離を保とうとするが、敵の船の方が船足が速く、とうとうマルスらのいる甲板に、敵の矢が突き刺さり始めた。
マルスは、遠距離用の長矢で、そのまま船首にいるインゲモルを注意深く狙った。
インゲモルは飛んでくる矢に備えて、鉄板を張った盾で身を隠している。
マルスは、矢を放った。
矢は一条の光のように飛んでゆき、インゲモルの盾を貫いてその体をふっ飛ばし、帆柱に射止めた。その体は、二、三度痙攣した後、柱に刺さったまま、ぶらりと垂れ下がった。
敵と味方の両方から、恐怖と感嘆の声が上がった。
「インゲモルが死んだぞ」
その声は他の海賊船に次々と伝わった。
マルスはもう一つの海賊船の舳先に立つ、船の頭目らしい男にも矢を放った。この男もインゲモル同様に、体を射ぬかれて、甲板の壁に縫い付けられた。
海賊たちはマルスたちの船を襲う気力を失ったらしく、追跡をあきらめ、去っていった。
こちらの被害はほとんど無く、わずかに甲板で転んだり物にぶつかったりして怪我した慌て物が何人かいただけである。
「この方は、弓の神様だ。軍神だ」
兵士の一人がマルスを称えて叫んだ。
その声はすぐに他の兵士たちの歓呼の声となり、船上に、海の上に響き渡った。
「マルス万歳!」
「軍神マルス様万歳!」
PR