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その仕事は末代までの恥

FFシリーズ関係のイラストなどで有名な天野喜孝による安倍総理(とキャプションがついている)の絵が評判で、その評判のほとんどはもちろん嘲笑・憫笑だが、天野喜孝の一生の恥だろう。
まあ、芸術家と言うか、クリエイターとその政治思想は別物であり、仕事は天才的でも日常生活ではキチガイというクリエイターもたくさんいる。ドラゴンクエストシリーズの作曲家も政治的には超右翼であるのは有名だ。
クリエイターとしては保守政治家に接近するのが生活安定に有利なのは当然だが、その行為で「そのすべての作品が穢れる」と私は思うのである。





返信先: さん

金を使えばどうとでもなるという事でしょうか。


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記事減少の理由

最近、あまりブログを書かないのは、パソコンの調子が悪いのか、何なのか、いい記事を見つけてもコピーできないことが異常に多くなったというのが理由の第一である。私はそうした記事に触発されて「書きたい気持ち」が起こるので、コピーができず、記事紹介ができないとなると、自分の記事(思考展開)の意欲も消えてしまうわけである。
まあ、そういうことで、パソコンを買い替えるかどうか迷っているが、記事を書く頻度はこの後も、かなり落ちるだろうと思う。他人の記事を使わず、自分の妄想だけを垂れ流す記事が増えるかもしれない。








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令和と同時に年金大改悪か

もと記事は読んでないが、とりあえずメモ。成り行きに注目である。

(以下引用)



さんがリツイート

これはひどすぎる!高齢者に死ねというのと同じだ!令和の年金改悪 65歳で受給する人は繰り上げ扱いで空前の減額議論 従来通り65歳からもらう人は「繰り上げ」扱いとして月16万円の年金を30%カットの11万2000円に減らすということだ。





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湯煙の立つや夏原狩りの犬

下のツィートの洒落を理解した人間が日本全国というか、小田嶋師のツィッターの読者の中で何人いるだろうか。まあ、私も正しく理解したのかどうか知らないが、私の解釈では、

♪ I wanna hold your hand~

だろうと思う。つまりビートルズだ。

前に書いたかもしれないが、この種の洒落の傑作は、伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」で読んだ(と思う)

「湯煙の立つや夏原狩りの犬」

という俳句で、これはおそらくエルビス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」の出だしである。

you ain't nothing but a hound dog

が、日本人の耳には「ユエンナツバラハウンドッグ」としか聞こえない、つまり「湯煙夏原ハウンドドッグ」である。ただし、そのエッセイにはこの俳句の解説は無かったはずなので、これは私の解釈だ。


(以下引用)




♪ アホな包丁犯〜


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科学否定と宗教論争

SF作家(まあ、SFだけを書いているわけではないだろうが、SFが主だと思う。)山本弘のブログ記事の前半である。後半では武田邦彦(武田武彦と誤記している。)をも批判しているが、武田氏は科学者のくせに科学的根拠に基づかないで「陰謀論」的な発言を垂れ流していることへの批判で、山本氏はこの手の「科学的根拠の無い」言説が大嫌いであるというわけだ。そういう意味では高須院長への批判も同じ部類か。
まあ、私自身、「科学」への妄信が嫌いなため、「ビッグバン説」とか「進化論」などを否定しており、山本氏からすれば敵陣営ということになるだろうが、私が高須院長を大嫌いであるのはご存知の通りである。
もっとも、私自身、「ホロコースト否定論」には耳を傾けたこともあるが、それは「なぜユダヤ人は歴史的にあれほど世界中どこでも嫌悪されたのか」という疑問と、ユダ金が世界を不幸にしてきたという歴史と、ユダ金が、マスコミ(ハリウッド映画など)を使い、ユダヤ人の受難を自分たちの保身に利用してきたことへの嫌悪感があるからだ。つまり、「ホロコーストは無かった」と信じたというより、「これもユダ金が捏造した部分が大きいのではないか」と疑っていたのである。まあ、その前に、「アンネの日記」の中に、それが書かれた当時には存在しなかった、ボールペンで書かれた部分がある、というニュースを読んで、近代のユダヤ人迫害事件の中には捏造もけっこうあるのではないか、と考えた、ということもある。
言うまでもなく、私が「ユダ金」と「ユダヤ人」を明確に区別しているのは、これまで書いたすべての記事から分かるはずである。まあ、ユダ金という言い方が良くないのは分かるが、そもそも彼らが「ユダヤ人の受難」を自分たちの盾として利用してきたから、そう書いているわけだ。
武田邦彦氏には、高須院長への嫌悪感とは違って、「科学の常識を否定する姿勢」にやや好感を持っているのだが、その発言が山本氏のような「科学を信じる」人には嫌われるのは当然だろうな、と思う。まあ、これはほとんど宗教論争に近い。どちらも、自分が信じることを否定する人間は敵だ、と思うわけである。


(以下引用)




「悪い奴らは、天使の顔して」



 長いこと小説、特にライトノベルを書いてきて、疑問に思うことがある。


 なぜ悪人は悪人のように見える容姿をしていて、悪人っぽい言動をするんだろうか。


 現実世界を見れば、そんなことは妄想にすぎないのが分かる。悪人は普通の人間と何も変わらない容姿で、時には魅力的で人当たりのいい人間である場合がほとんどである。テレビで人気者になっている例も多い。たまに批判されても、「面白いことを言う奴だ」と見過ごされる例がある。



 少し前から高須クリニックの高須院長が話題になっている。高須氏がホロコーストを否定したという話が広く知られるようになったのだ。しかし高須院長はどこ吹く風で、自分が何をしでかしたのか分からないようだ。多くの人が犠牲になったことが「ウソだ」というのだ。日本でたとえるなら、広島の原爆投下を「ウソだ」と言うようなものなのに。


 実は僕がまだと学会会長だった頃、2011年の日本トンデモ本大賞に高須氏を招いたことがある。


 この際、きっぱりと本当のことを言うが、僕はゲストに高須氏を招くことに反対だった。と学会会員の多数決で決まったのである。あの時、僕は高須氏に挨拶すらしなかった。


 当時、高須氏は「アポロは月に行ってない」と公言していた。大多数のと学会員や、一般の観客のほとんどにとっては、「面白いトンデモ説を唱える奴だ」という程度の軽い認識だったのだろう。だが、その頃すでに『ニセ科学を10倍楽しむ本』を書いていた僕にとっては、それは共有できない認識だった。


 僕は『ニセ科学を10倍楽しむ本』でこう書いた。



「いろんな苦難を乗り越えて、月面着陸という偉業を達成した宇宙飛行士の人たちや、それを支えたスタッフを、ウソつき呼ばわりしてるんだもの。たとえて言うなら、オリンピックで優勝した選手を、『インチキをしたんだろう』ってののしってるのと同じよ」



 要するに僕にとって高須氏は、社会的地位はともかく、人間的にはまったく共感できない人間だったのだ。


 だが僕の考えは、と学会員でさえ共感してくれなかった。


 その後、高須氏がホロコーストを否定していると知って、いっそう嫌悪感は深まった。ナチスの悪行については、いまさら言うまでもないが、ホロコーストについては(アポロの月着陸以上の)膨大な証拠があり、数多くの生存者の証言がある。それを「実は嘘だった」と言い切るのは、恐ろしく罪深い行為だ。


 ホロコースト否定論や『アンネの日記』捏造説については、僕は『翼を持つ少女』の中できっぱり否定した。


(あの時、高須氏の相手をしたのは、ともに『人類の月面着陸はあったんだ論』を書いた皆神龍太郎氏だったと思うが、今は高須氏の考えをどう考えてるのか知りたい)



 しかし、これだけ騒ぎになっているのに、高須氏を糾弾する声はほとんど聞こえてこない。


 高須氏がスポンサーである高須クリニックのCMはしょっちゅう流れているというのに。


 これも現実世界がフィクションと違う点だ。悪の親玉はヒーローに倒されて退場なんかしない。まったく何の報いも受けず、時には笑顔で賞賛される。


 聞くところによれば、ホロコーストのことを何も知らない若い連中の中には、高須氏に影響されて、「ホロコーストなどでっち上げだ」と考える奴が増えているのだそうだ。高須氏のような有名人でも、こんな話を堂々としているのに、どこからも罰せられないのだから、自分も同じことをいってもいいんじゃないか……そんなことを考える奴が増えているんじゃないだろうか。






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人間関係と「一期一会」

これは、まさしく虚を突かれた感じがする。この発言者は冗談で言っているのか皮肉で言っているのか、両方なのか。頭がいい人だな、とは思うが、好きにはなれそうもない。まあ、「一期一会」という言葉の「御大層な感じ」を皮肉っているのだろうし、その気持ちは分かるが、利休の「(茶会での)その出会いを一生に一度の出会いだと思って真剣に接しなさい」という教えは、簡単に否定していいようなものだとは思わない。
もっとも、一期一会どころか、毎日会っている相手にも雑な対応をしがちなのが人間のほとんどだろうし、私もその例に漏れないどころかそれ以上に「生活などは召使に任せておけ」(つまり、実生活ではなく、夢想することが俺の人生だ)と思っているが、たまに他人と会う時には真剣に接しているつもりだ。その分、他人から受けた侮辱や自分の犯した人間関係の不始末などは、一生忘れない。つまり、これも「一期一会」ではある。
むしろ、映画やドラマなどで、人と人が簡単に喧嘩したり許し合ったりしているのが不思議で、自分なら、「こういうことを言った(した)相手を一生許さないだろうな」、と思っている。明智光秀の造反も、長年の恨みが爆発したのだ、という説に私は同感である。ドラマなどで、口喧嘩や陰湿な意地悪が延々と続くのも不思議であり、「男なら、口で罵り合うより、さっさと殴り合うか、殺し合えよ」と思うのは、私が西部劇を見て育った人間だからだろう。
ヒトラーにせよスターリンにせよ、彼らを嫌う人間が彼らをさっさと殺していれば良かっただけではないかwww 法治主義がしばしば「悪人のための盾」になるのは困ったものだ。




さんがリツイート

「一期一会」という言葉が好きな奴とは、一度しか会わないようにしている。





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なぜ改革派はいつも敵と味方を間違えるのか

まあ、歴史には、この種のミス(特に仲間割れ)のために悲惨な結果になった事例は無数にある。近くは、日本の学生運動の内ゲバ、遠くはフランス革命の派閥化と仲間割れなど、左翼方面に多いが、馬鹿である。保守派の敵は改革派すべてだから、敵を間違えることは滅多にない。多くの場合に相手が自滅するwww
国民全体としても、敵とすべき相手と味方とすべき相手を間違えているのはよくある話であり、下層階級が、自分たちを奴隷状態にしているその政治責任者である保守政党を支持するのは、「肉屋を支持する豚」と揶揄されている。
ロシア史を見ると、政治を改革し、善政を行っていた開明的な皇帝(アレクサンドル2世)をテロリストが爆殺して、父を殺された、その次の皇帝(アレクサンドル3世)が強硬な保守反動政治を行い、改革派を弾圧したという例もある。これなど、味方とすべき相手を敵にした例だろう。闘争の現場ではいつも過激派の意見が優勢を占めるものであり、後になるとその判断は間違いだったという例が多いように思う。
フランス革命も、ルイ16世一家を殺したために、欧州王族(ほとんどが縁戚関係)への「人質」を失い、そのために後の対外戦争で苦労し、結局ナポレオン頼みになって共和政治を簒奪されたのである。周辺国家に対し、その軍隊がフランスに一歩でも足を踏み入れたらルイ16世一家を死刑にする、と宣告すれば、その死の責任は革命政権ではなく、フランスに侵攻した国のものになる。そうして時間稼ぎをして国内政治を立て直していたら、ナポレオンは不要だったのではないか。(ナポレオンの政治内容自体は良かったと思うが、彼が皇帝になったのでは、「革命」は失敗だったと評されても仕方がないだろう。)結局は、革命政権内部で対立し、殺し合いばかりやっていたから革命の中身が滅茶苦茶になって行ったのである。



(以下引用)



さんがリツイート

これ、やる方はもちろん大損しますが、やられる方もむちゃくちゃ迷惑なんですよね。お互いに何も得しない。






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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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