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「政府もメディアも警察も裁判所も刑務所も財閥もみんなマフィア」www

藤森かよ子という、(たぶん)大学教授が、少し前にネットフリックスでヒットした韓国のドラマ「イカゲーム」に関して評論した文章の一部である。まあ、要するに現代は「不信の時代」である、ということだ。道徳的にはアモラル(無道徳)で、アノミー(無感動・無規範)の状態になる。

(以下引用)


■真実が暴かれる21世紀の庶民は疲弊している

 


 なぜ、このようなダークヒーローが残酷に大量殺人をする映画やドラマがアメリカや韓国ばかりでなく、日本でも人気を博しているのか?


 ヒントは、『ヴィンチェンツオ』の中で女性弁護士が言う台詞の中にある。「イタリアのマフィアはシシリーにいるだけ。でも韓国は、政府もメディアも警察も裁判所も刑務所も財閥も、みんなマフィア」という台詞の中に。

 上が上なんだから、法そのものが恣意的なあてにならないものなのだから、実質的には法治国家じゃないのだから、生き抜くためには下もマフィアになるしかないということだ。


 日本社会は、そこまでは腐っていないと思いたいかもしれないが、真実はわからない。


 ドラマや映画を製作する側も、それを消費する側も、2021年に生きる人間とならば、以下の8点を共通認識としている(と思う)。


 


(1)教科書に書いてあることは、真実のほんの一部。歴史のほんの表面。教育は、国民を奴隷にするために機能している洗脳機関。常識を疑え!

(2) 立派なスローガンや主義主張の背後には、残酷冷酷な意図が潜んでいる(ことが多いかもしれない)。地獄への道は善意で敷き詰められている。


(3)TVや映画を含み大手メディアは、それらの立派なスローガンや主義主張の残酷冷酷な意図を隠し、糖衣状にして流通伝搬させる装置。


(4) そういうメディアの策略を読むメディア・リテラシー(media literacy)を身につけることは非常に難しい。せいぜい中途半端な陰謀論者になり、脳と心が一層に混乱するだけだ。

(5)価値観の相対化が進み倫理も美意識も人それぞれになるのは、多様性を認めあう理想の世界に見えて、実際には人々は何を守ればいいのかわからなくなった。表面的にはポリコレぶりっこだが、実際は、無規範(anomy)が世界に蔓延しつつある。


(6)そういう世界の中で、人々は自己防衛のために他人を潜在的脅威とみなし、相互不信が人間関係の基調になる。人間は相互扶助のために集団を形成するはずが、集団形成そのものが難しくなりつつある。たとえば、個人が属する最小集団である家族そのものが個人にとって危険なものとなるように。古代からそうだったのかもしれないが、それが暴露されてきた。

(7)「お上」は庶民から収奪するだけの存在であり、特権的支配層は「お上」と結託して税金の中抜きが自由にできる。ならば、自分たちだって、脱税や課税回避地域への資産逃亡や非合法行為は自己防衛として許されるというアナーキーな心情が、多くの企業人や庶民の心に形成された。


(8)昔の庶民は、良きにつけ悪しきにつけ、メディアの発達もなく、factだろうがfakeだろうが、情報にアクセスする機会も手段もなく、特権層の腐敗も知らず、価値観の混乱や無規範に翻弄されることもなかった。しかし、現代に生きる庶民は、真実もゴミも大量に浴びるので疲弊する。



次のページ『イカゲーム』の大量死は、ダークヒーロー映画の悪人大量死とは違う

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ダメ教育がダメ社会を産む





私は数学というのがどういうものなのかよく分からないのだが、微分とか積分とか行列とか、本当に現実社会で使われているのだろうか。まあ、科学者や研究者になるのなら分かるが、たとえば医者になるのに高等数学が必要だとはまったく思えない。大学で無理なカリキュラムをやらせるより、高校段階から医者教育をさせればいいのではないか。あるいは、IT専門家ですら、数学が本当に必要だとは思えない。大学が不要という点では法律も同じである。
この前、坂村健の「痛快! コンピュータ学」という文庫本を読んだが、一部は飛ばし読みをしたものの、大体は理解できた。
非常に極端に言えば、2進法と「and,or,not」だけの使用でコンピュータのプログラムが作れるということだ。
私が理解できたということは、平均的な高校生でも楽に理解できると思われる。つまり、入門書数冊を読めば、たいていの高校生がプログラマーになれ、そうすると未来のビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスになれる可能性もあるわけだ。逆に言えば、日本は「理系を無意味に難しくしている」ために、理系の窓口が異様に狭くなり、社会の発展性を失っているのではないか、と推定できる。
これからは、chatGPTで人間の代用ができる分野がどんどん増えるだろう。裁判官など、偏見と打算と権力者への遠慮に満ちた人間よりchatGPTのほうがまともな判決を出してくれるとすら私は推定している。医者も同様だ。つまり、記憶と現実事象の照合で答えを出す分野においては、もはやAIのほうが人間よりはるかに優れていると見ていいと思う。だが、AIには創造性は無い。想像性もない。あるのは、単に超人的な記憶力だけだ。つまり、これからの世界は想像性と創造性に優れた者が社会を率いていく、いや、そうでなければならないだろう。そういう時代に向けて、今のような高校や大学の在り方が対応できるとはとても思えない。



(以下引用)

日本が理系離れ加速してる理由って「これ」だよね

 

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1:風吹けば名無し :2023/08/10(木) 12:00:37.87ID:Ws7vifjIp
結論から言うと日本の高校数学(大学入試)があまりにも難しすぎるからに他ならない
そのうえ試験の時間制限が非常に厳しいので、当然ながら世の中の9割以上はこんなの無理ゲーすぎて数学アレルギーになっておしまいっていう

特に近年はセンター試験・共通テストが異常なほどのタイムアタックテストになっているから上位校の生徒でさえ対応できない子が増えていて、理系離れがますます加速している模様
そりゃセンター共テが無理ゲー化しているなら理系科目は全捨てして名門私文を目指す方が圧倒的に賢い選択肢だからね

では理系を増やすにはどうすれば良いのか?と言えば、その逆をするしかない
つまり高校数学や大学入試を簡単にする

アメリカのセンター試験と言われるSATを見てみればわかるけど、それこそ日本の高卒認定試験より簡単だったりする
冗談抜きで、三角形∠ABCのAが73° Bが82°の時、Cの角度は何度ですか?みたいな問題が平然と出てくる
そしてそんなテストで9割~満点取って自分は数学が得意だと自信をつけて大学で理系に進むのがアメリカの学生

日本も本気で理系の少なさや理系離れを憂うならこうするしかない



2:風吹けば名無し :2023/08/10(木) 12:00:52.34ID:Ws7vifjIp
間違いなくこれが原因


4:風吹けば名無し :2023/08/10(木) 12:02:24.06ID:S8/aUZpu0
正解


5:風吹けば名無し :2023/08/10(木) 12:03:51.24ID:z/LHuHyId
好きな学問好きなまま学んでいってある程度で大成したらええと思うけどな
若いうちに篩にかけすぎやね

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京都の大雨注意報

綾部の地理的位置は知らないが、舞鶴は京都府北部だったと思うのでこの大雨は台風7号とは無関係なのか、どうなのだろうか。
それにしても、1時間で90ミリというのは危険な大雨ではあるようだ。
京都には、市内でも川沿いの家はけっこうあるし、幹線道路の一部が低地帯になっていて大雨が降ると必ず冠水する場所もある(今もそうなのかどうかは知らないが。)ので、大雨情報は常に注意する必要がある。雨が降ってからでは遅いのである。

(以下引用)


京都府で1時間に約90ミリ「記録的短時間大雨情報」


配信


tenki.jp

画像:tenki.jp



京都府綾部市東部付近と京都府舞鶴市東部付近で猛烈な雨


記録的短時間大雨情報とは

画像:tenki.jp



いつ避難する? タイミングは?

画像:tenki.jp



日本気象協会 本社 日直主任


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利己主義と利他主義と社会主義

「徽宗皇帝のブログ」に載せたアイン・ランドについての記事の一部を検討してみる。まあ、趣味的考察である。
最初に言っておけば、ランドの「オブジェクティビズム」という言葉は、言葉自体が不適切である。「物体主義」や「対象主義」が意味不明なのはもちろん、「目的主義」でも意味不明で、下の文章を読むと「自己目的主義」とでもいうニュアンスのようだ。「自分自身(の幸福)が人生の最大の目標である」というのなら、それに反対する人はほとんどいないだろう。だが、そうすると他人の利害との衝突が当然出て来るわけで、結局は「利己主義」は正しいか、という問題に帰着する。
もちろん、利己主義の衝突は無限の闘争と暴力による支配・服従関係にしかならないわけである。では、「利他主義」はどうかと言えば、それも「自分の利益」を無視した利他主義など、聖人君子にしか不可能な話である。となると、結局は自分の利益と社会全体の利益を案配するという「社会主義」しか正解は無いのである。しかしまた、「社会全体の利益」が「独裁政党や独裁政府の利益」とすり替えられることもしばしば起こってきたことだ。それに、経済面では計画経済(社会主義)は自由主義経済(資本主義)に敗北してきたのがこれまでの歴史である。
まあ、毎度言うが、社会主義精神によって抑制された資本主義が一番の正解だろう。究極の自由主義とは、いかに紳士の服装をしていても、野獣の世界なのである。


(以下引用)


ほとんどのプロの哲学者は、ランドのオブジェクティビズム理論を笑っています、なぜならそれは美徳の合理的で客観的な理論を生み出すと主張しているが、誤謬、不特定の用語、および非セクチュアに満ちているからです。ランドの話し方はこうだ。



人間、すべての人は自分自身の目的であり、他人の目的への手段ではありません。彼は自分のために生きなければならず、他人に自分を犠牲にしたり、他人を自分自身に犠牲にしたりすることはありません。彼は自分の人生の最高の道徳的目的として彼自身の幸福の達成とともに、彼の合理的な自己利益のために働かなければなりません。


ランドは、彼女が「利己主義」について話すとき(彼女の著書「利己主義の美徳」のように)、これが彼女の意味であり、「人間が好きなようにする」ためのライセンスを与えていないと言います。彼女は、「自分の利益のために取られる行動は悪であり、自分の利益のために取られる行動は悪である」という考えを単に拒否していると言います。彼女は、人々が自分の意味を「利己主義」とは考えていないが、「私が『利己主義』で意味していることが慣習的に意味されているものではないことが本当なら、これは利他主義の最悪の告発の1つです。利他主義は自尊心のある自立した人の概念を許しません。」何が起こるかというと、ランドは「利己主義とは自尊心を意味するだけです」と言いますが、実際にこれが何を意味するのかを実際に定義するときはいつでも、それは次のように聞こえてしまいます...ただの利己主義。彼女は他人の苦しみを気にしていないようで、言葉の従来の意味で「利己的」に見える多くの行為(あなた自身が贅沢に暮らしているにもかかわらず、労働者にまともな生活を送る余裕がないほど少ない賃金など)に問題はありません。

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ムーンリバーで朝食を

村上春樹訳の「ティファニーで朝食を」を読んでいたら、主人公ホリー・ゴライトリーの男兄弟を「兄」と書いてあったが、映画では「弟」だったはずで、これが兄だとホリーの「保護者意識」が不自然になる気がする。まあ、ホリーを19歳としていたので、その弟が徴兵年齢であるのはおかしいわけだから、「兄」としたのだろうが、あるいは、映画の方が設定を改変したのかもしれない。私は映画は見たが、小説はほとんど読んだ記憶がないので、どちらかは分からない。つまり、ホリーの「保護者意識」自体が。映画の改変かもしれない。このほうがありそうではある。ホリーの「弟」への保護者意識は、ホリーの「この世界を自分につなぐ細い縄」としてリアリティを持っていたので、いい改変だと思う。
小説は小説として名作であり、映画は映画として名作、としていいのではないか。(この映画でオードリー・ヘップバーンが演じるホリーは「大都会の妖精」的ではあるが、実はフリーの娼婦なので、ヘップバーンのファン、特に若い人にはショックかもしれない。私がこの映画自体が好きになったのは、だいぶ年を取ってからである。)
なお、この作品の映画での改変として有名なのは、小説中でホリーが歌う歌の歌詞が「眠りたくない。死にたくもない。空の牧場をどこまでもさすらっていたい」(村上春樹訳)という、素っ気ないものであるのに対し、映画では有名なヘンリー・マンシーニの曲のついた「ムーン・リバー」であることで、私はこのムーン・リバーの歌詞が大好きなので、記憶で書いてみる。

Moon River wider than a mile
I'm crossing you in stile someday
Old dream maker
you,heartbreaker
whereever you going,I'm going your way

Two drifters off to see the world
there's such a lot of world to see

We after the same rainbows end
waiting round the bend
My Huckleberry friend
Moon River and me

英語の綴りは自信が無いが、だいたいこんなものだったと思う。訳してみる。

月の河、1マイルより広いそれを
私はいつの日かお洒落な恰好をして渡るだろう
古い夢を紡ぐもの
人の心を砕くお前
お前が行くところ、どこへでも私も行こう

世界を見ようと岸を離れた二人の漂流者
そこにはたくさんの見るべき世界がある

私たちは同じ虹の両端を追っている
河の曲がり角で待っている
ハックルベリー・フィンのような私の友達
月の河と、私


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まず、自ら「不要老人処分」の範を示せwww

「阿修羅」コメント欄から転載。
ジャック・アタリは1945年生まれらしいから、現在78歳くらいだろう。

60〜65歳を超えるとすぐに、人間は生産するよりも長生きし、社会に多大なコストをかけます。


で、この爺さんは自分は殺処分される側ではなく、愚劣な本を何冊か書いただけで殺処分する側にいるつもりのようだwww つまり、年齢が問題ではなく、実は下級人類を殺処分するのだろうが、本気で人類の半分以上を殺す気だろうか。誰が労働をするのだ?

(以下引用)

ジャックアタリ:1981年自身の著書の中の声明文より
「将来的には、人口を減らす方法を見つけることが問題になるでしょう。60〜65歳を超えるとすぐに、人間は生産するよりも長生きし、社会に多大なコストをかけます。そして、社会のために何もしない弱者、そして役に立たない人々がますます増えるので、私たちは年寄りから特に愚かなものから始めます。
これらのグループを対象とした安楽死。安楽死は、すべての場合において、私たちの将来の社会の不可欠な手段でなければなりません。もちろん、人を処刑したり、収容キャンプを設置したりすることはできません。私たちは、それが彼ら自身の利益のためであると彼らに信じさせることによって彼らを取り除きます。
多すぎる人口、ほとんどが不要ですが、経済的に高すぎるものです。社会的には、人間機械が徐々に劣化するのではなく、突然停止する方がはるかに優れています。何百万人もの人々に対して知能テストを実行することができないことを、あなたは想像することができます。
特定の人々を標的とするパンデミック、本当の経済危機かそうではないか、老人や肥満な人に影響を与えるウイルス、それらは何でもいいが、私たちは何かを見つけ、それを引き起こします。弱者はそれに屈し、恐れ、愚かな者たちはそれを信じて治療を求めます。
私たちは、解決策として治療法を計画し、愚かな者たちは自ら選択し畜殺場に並びます。」

これでもワクチンを打ちますか?これは陰謀そのものですよ、皆さん。

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内田樹の「山岸凉子」論

「内田樹の研究室」は、滅多に読まないのだが、さきほど気まぐれで覗いてみると、山岸凉子の話を書いていて、その論旨が妥当かどうかはさておき、私自身が先ほど書いた「怪奇趣味」の話と偶然の一致があって面白いので、ここに転載しておく。
ただし、山岸凉子は怪奇趣味というより、本当に彼女自身に霊媒体質があるらしく、「あれ」が見えるらしい。それ自身が怪談であるwww
私自身は山岸凉子は「怖い話」だけでなく、あらゆるジャンルで稀な語り部の才能を持っていると思う。その絵柄が苦手だという人もいるかと思うが、あの絵でないと彼女の作品の味わいは出ないだろう。自分で話を作るだけでなく、「話に対する嗅覚」が優れていて、トルーマン・カポーティの作品の中でほとんど語られることのない、オールドミスの叔母と幼年時の作者の自伝的作品を漫画化したクリスマスの話(先ほど、少し前に古本屋で買った村上春樹訳の「ティファニーで朝食を」を開いたら、その中に入っていた。)など、名作中の名作である。あるいは、「白い部屋のふたり」など、音楽をつけて映像化したくなる作品だ。もちろん、そういう作品は彼女だけでなく、大島弓子などにも多い。萩尾望都も含め、24年組は天才揃いである。彼女らの初期短編でアニメのシリーズを作ったら、国宝級の素晴らしいものになるだろう。


(以下引用)

山岸凉子先生のマンガはどうしてこんなに怖いのか

2023-08-05 samedi




 山岸凉子先生の描く「怖い話」はほんとうに怖い。類を見ないほど怖い。どうしてこんなに怖い話を描けるのだろうか。
 私の仮説は、山岸先生はご自身の心の奥底にわだかまっている恐怖の「種」をマンガにすることで「祓っている」というものである。
「お祓い」なのだから、手抜きはできない。うっかり一番怖いところを「祓い残し」たら、そこから恐怖が再び鎌首をもたげてくるかも知れない。膿は出し切らなければいけない。だから、徹底的に怖い話、これ以上怖い話はこの世にないという話を語ることを山岸先生はみずからに使命として課しているのである。
 そして、世には無数の恐怖譚があるけれど、どういう物語が最も根源的に、最も救いなく人を恐怖させるのか、それを考え抜いた結果、山岸先生がたどりついた結論は、「自分自身が自分を恐怖させる当のものである」という恐怖譚が最も救いがないというものであった。
 外から鬼神の類が訪れてくるのであれば、仲間を集めたり、あるいは霊能力の高い人にすがって、それと「戦う」という積極的な対策も立てられる。結界を引いてその中に「閉じこもる」という防御策も講じられる。だが、自分自身が自分を恐怖させている当のものである場合、「恐怖させるもの」と「恐怖するもの」が同一である場合、いわば恐怖に釘付けにされていること自体がその人のアイデンティティーを形成している場合、その恐怖からは逃れる手立てがない。そういう話が一番怖い。「汐の声」は「私の人形はよい人形」とともに私が「山岸ホラーの金字塔」とみなす傑作だけれど、まさに「そういう話」だった。
 それ以外でも山岸先生の「怖い話」はどれも「他の人は感じないのに、私だけが恐怖を感じてしまう」という「恐怖させるもの」と「恐怖するもの」がひとつに縫い付けられていることの絶望が基調音を創り出している。ああ、書いているだけで怖くなってきた。
(『ダ・ヴィンチ』9月号)





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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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