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フェミニズムの倫理学

「紙屋研究所」の記事の一部で、伊藤野枝の評伝についての感想文の一節だ。
伊藤の恋愛観、あるいは結婚観、出産観というのは著しく間違っている気がするのだが、その生き方自体は非凡でもあり、勇敢でもあったとは思う。まあ、当時の「道徳(最近の流行語で言えば通俗道徳)」へのテロリストだったと言える。
当時の道徳が女性を鎖に縛っていたことは現代の目からは明白だろうから、彼女はある意味現代のフェミニズムの魁(さきがけ)的存在でもあるだろう。ただ、問題は、鎖に縛られた存在はすべて不幸か、ということであり、当時の女性のすべてが不幸だったと思う人はあまりいないだろう。そもそも、鎖の存在に気づかないなら、不幸だという意識も無さそうだ。
つまり、「意識の高い」一部の人間が、当時の道徳の破壊活動をし、その遠い影響で現代の「性的自由」の世界になったわけだ。さて、その性的自由の恩恵を受けているのは、男女全員か?いや、そのほんの一部だろう。多くは昔より性的に不自由なのではないか。昔なら「手鍋ひとつ下げても」嫁入りできたが、今では結婚のしきいがあまりに高すぎる。つまり、世の半数以上の男女はけっして性的自由の恩恵は受けていない。
下の記事の中から、あと一点。

野枝は母となることは女の自由選択によるものであって、恋愛のよろこびの結果でなければならないとしている。

とあるが、母となることが「恋愛のよろこびの結果でなければならない」とするなら、人工授精や代理出産で生まれた子供は、「生まれる資格のない」子供なのだろうか?
これも蛇足だが、野枝の組織論も空論だろう。命令服従関係の無い組織は存在しえない。まあ、数人のグループなら可能かもしれないが、それでは力を持てないだろう。


(以下引用)


 伊藤は自分の子どもにもその名前をつけたことからもわかるように、アナキストであるエマ・ゴールドマンの強い影響を受けている。堀はゴールドマンは伊藤にとって「人生の一大転機をもたらす人物」(p.62)だと評している。伊藤はゴールドマンの「結婚と恋愛」に基づいて、結婚による家庭にとらわれない男女関係について構想した。その核心的な概念が「フレンドシップ」である。


『フレンドシップ』には、当然ながら主従関係はない。契約だって必要ない。野枝はここから広がって、人間の集団に対する理想も考える。(p.149)



 そして野枝は、「友情とは中心のない機械」であるという。互いの個性を尊重しあえる友情こそが大事なのだ。夫、妻という役割を持つのではなく、互いの力を高めあっていくことこそが大切だという。


 ここまできてわかるのは、これが野枝の恋愛論であり、友情論であり、運動論でもある。労働組合の全国組織を作るとしても、そこに支配関係を作らせない。(p.150)



 「母性」についても、野枝は固定した伝統的な観念を超えて、より自由なかたちを模索している。そしてエマ・ゴールドマンの「自由母権」という言葉から自身の考えを深めていく。


 野枝は母となることは女の自由選択によるものであって、恋愛のよろこびの結果でなければならないとしている。もしその自由な母を貶めるものであれば、結婚は悪であり、女自身を売ることになる。妻という光栄よりも、母という光栄を私はとる、ということを野枝は主張している。(p.151)


 伊藤はフレンドシップ=友情を一つの人間関係の自由なモデルと考えたのだろ

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読むと頭が良くなる漫画?

私は漫画大好き人間だが、漫画を読んで頭が良くなったとは思えない。ただ、思考の柔軟性はつくし、知識の幅が広がるだろう。その逆に、質の悪い漫画しか読まないと、当然馬鹿になる。
昔の漫画は「子供相手」という意識が漫画家にあったから、品よく、啓蒙的だった。(前にも書いたが、小学生の私が「劣等感」という言葉を初めて知ったのは、子供向け学習雑誌に載っていた馬場のぼるの漫画からだった。「語彙が増える」というのは思考の幅が広がることになる。同様に手塚治虫の子供向け漫画では「1次元2次元3次元」の意味を知った。)今の漫画は大人まで読むので、売れるために最初からB層狙いが大半で、刺激優先で、表現が誇張的で、しかもそれを子供が読むことになる。
下のランクは「あらかじめ与えられた候補」から選んでいるのでインチキランクだが、その中で一時期やたらとテレビで持ち上げられていた「ワンピース」が最下位というのが面白い。さすがに東大生の矜持ではある。もっとも、上位陣の作品にしても「実は読んだことがなく、名前しか知らない」というのも多いのではないか。

(以下引用)

【テレ朝】東大生300人が選んだ「読むと頭が良くなる漫画ランキングベスト30」の不正がヤバすぎて炎上

1: それでも動く名無し 2023/08/26(土) 10:01:21.39 ID:0eU8swoIa
流石テレ朝だわ…
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2: それでも動く名無し 2023/08/26(土) 10:01:37.60 ID:0eU8swoIa
偽りのベスト30

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「大衆小説」と「猪口才」

作家歴が長いわりに、その評価をあまり目にすることが無い作家というものがいて、そういう作家には何かの欠点があるのではないか、と思うのだが、先ほどまで読んでいた小説を読んでいる間思っていたのが、「この作家は何が言いたくてこの作品を書いたのだろうか」ということである。もちろん、大衆小説だから、読者を楽しませることが第一の目的だろうし、その「楽しませる」中には、「泣かせる(感動させる)」こともあるわけだ。
しかし、その作品を読み終わっても、私はこの作者が何のためにその作品を書いたのか、さっぱり理解できなかった。一般的には「上手い」作家だろうし、ベテランだから作品に破綻はない。人間の心理への理解もあるとは思う。しかし、「読む楽しさ」「小説の快感」はまったく無いのである。
時代小説で、それも町人の世界の話なので、出て来る人物は庶民である。そして、その世界には「高貴なもの」細かく言えば「真・善・美」が存在しないのだ。むしろ、小市民の「一見善人である」人物の心の底の悪意を描いている。では、それを読んで、誰が楽しいのか。何が面白くて無名の町人の「リアルな」心理を娯楽小説の中で見たいのだろうか。そんな「純文学性」は純文学に任せておけ、である。
私の頭の中に浮かんだ言葉が「猪口才」という言葉である。破綻なく作品を作る才能は、貴重なものではあるだろうし、一定数のファンがいれば、つまり作品需要があれば作家歴も長くなるだろう。しかし、大衆小説こそ「大きな才能」が必要だ、というのが私の考えだ。
純文学の、たとえば芥川賞作家なら、生涯にその作品一作で終わっても、それが一部の人にしか読まれなくてもいいだろう。しかし、破綻があっても、失敗作をいくら書いてもいいから、生涯にひとつでも「大衆に喝采で迎えられる」傑作を書くことが大衆小説作家の本懐なのではないか。だが、巨大な才能は、けっして一作では終わらない。「面白い」作品を作る才能とは、作者本人がそれを「面白い」と思い、それに全エネルギーを投じるという才能だ。そういうスケールの大きな才能がデュマやバルザックやディッケンズや、日本で言えば松本清張(主に時代小説)である。

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社会の汚物との妥協は人生の唯一の解か

壺斎散人氏のブログから転載。
「ライ麦畑でつかまえて」(正しくは、「ライ麦畑の子供見守り人」という意味での「キャッチャー・イン・ザ・ライ」だろうが)は20歳前後に読んでこの上なく感動した小説で、その感動を守るため、二度と読んでいない。だが、まあ、この小説は女性には好まれないだろうな、という気がする。主人公は社会を拒絶し、大人を拒絶し、おそらく女性をも拒絶するタイプの人間だからだ。社会との、そして他者との和合こそは大人の、そして女性の最大の人生目標なのではないか。昔から、隠者とは男に特有の生き方だったという気がする。それは「愛」が人生の最大の関心事である女性にはありえない生き方だ。
ちなみに、村上春樹の偏愛の小説が「ライ麦畑でつかまえて」「ロング・グッドバイ」「グレート・ギャツビー」「ティファニーで朝食を」で、この四つとも自分でも訳している。これらの小説の特徴は、poetryだ、というのが私の見方であり、村上春樹の小説にもその影響は大きいようだが、私は彼の良い読者ではない。しかし、彼は文章の達人だと思っている。(念のために言えば、詩情には、荒涼の詩情も残酷の詩情もある。たいていの大衆小説に欠けているのが、「詩情」である。)

(以下引用)文中の「コールマン」は「コールフィールド」ではなかったか? 「ホールデン・コールフィールド」は、それ自体が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」につながる名前だと思う。



サリンジャー戦記:村上・柴田のサリンジャー談義


サリンジャーの小説「ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ」は、村上春樹にとって特別の小説だったらしい。彼はそれを高校生の頃に野崎孝訳で読んで以来、ずっとこだわり続けてきたというようなことを言っているし、また、できたら翻訳もして見たかったともいっている。その宿願がかなって晴れて翻訳できた。そこで翻訳の協力者柴田元幸と、この小説の不思議な魅力について語り合った。それが「サリンジャー戦記」である。「翻訳夜話」の続編ということになる。

いうまでもなくこの小説は古典である。何しろ今までに全世界で数千万部が売れ、更に毎年数十万部が売れ続けている。こんなすさまじい勢いを保ち続けている古典作品は他には見当たらないのではないか。何が魅力なのだろう。
魅力の感じ方は、読む人によって様々だろう。若い人とある程度年齢のいった人ではとらえ方が当然異なるだろうし、男性と女性でも異なるだろう。だが、これを一つの青春小説と捉えることでは共通しているのではないか。だから、青春のまっただなかを生きているものにとっては、自分の青春と重ね合わせながら読むことが多いだろうし、すでに青春を通過した人にとっては、哀惜のような感情を以て読む人が多いだろう。

筆者の場合には、この小説を読んだのは30歳をだいぶ過ぎた頃だった。だから青春などというものは、遠い記憶のそのまた奥に置き忘れてきた、今の自分とは無縁な事柄だと思っていたのだったが、この小説を読んでみると、その忘れていた自分の青春が昨日のことのようにありありと蘇ってくるような感じがしたものだ。筆者の場合にそうだったように、この小説は色々な年齢層の人々に、彼らなりの青春を感じさせる、あるいは思い出させる、ものなのだと思う。
しかし、青春小説と呼ばれるものが星の数ほどある中で、なぜこの小説だけが爆発的な人気を呼び寄せているのか。その秘密のようなものが、この二人の対談を読むことで、少しはわかってくるような気になる。二人とも何らかの点でこの小説にいかれた読者だからだろう。

この小説の特質として二人は色々な点を挙げているが、その中で筆者が感心したのは二つ、一つはこの小説がイノセンスを礼賛していると指摘している点、もう一つは地獄めぐりのような、魂の遍歴を思わせるところがあると指摘している点である。

イノセンスといえば幼少期に固有のことであって、青春とは必ずしもストレートに結びつかない、というのが大方の受け取り方だろう。青春期というのは、少年から大人になる通過点であり、社会の規範に抵抗したり、あるいは受け入れたりしながら、少しづつ大人に向けて成長していくことなので、むしろイノセンスからの脱却だといってもよいほどである。ところがそのイノセンスを、この小説の主人公であるコールマンは身にまとっているし、またそれをあくまでも守り抜こうとしている。つまりコールマンは、少なくともダーティな大人にはなりたくないと、拒否しているわけである。そこが普通の青春小説とは大分違う、と二人は指摘する。
普通の青春小説なら、青春期にある青年を目の前の大人の社会と対立させたり、妥協させたりしながら、青年が次第に変容していくさまを描く。その変容とは基本的には少年から大人へと成長することだ。その成長途上の過渡期を描くのが青春小説の本領であるから、そこには最後には救いのようなものが待ち構えているのが普通だ。魂の遍歴の末に、青年は無事大人になりましたという、ある種のハッピーエンドがあるはずなのだ。つまり、物語には終わりがある、いいかえれば出口がきちんと用意されている、ということになっている。そうでなければ、青春小説とはいえない。終わりのない青春、つまり大人にならない青年なんて、形容矛盾だからだ。

ところがこの小説には、その終わりがない。コールマン少年には、大人になれる可能性が保証されていないのだ。この少年はいつまでもぶつぶつと言いながら大人の社会の周辺をうろついているばかりで、大人の社会と正面から向き合おうとしない。だから普通の意味の対立も生まれなければ、まして妥協や価値の内面化も生じないで、少年はいつまでも大人に向けて成長していくことがない。彼はある意味で永遠の少年のまま化石化してしまう可能性を感じさせる。永遠の少年、つまりピーターパンだ。
ピーターパンは大人になることを棚上げした存在だ。大人になることを拒否しているわけではない。だからいつかは大人になるかもしれない。しかしどんな大人になるか、それをとりあえずは棚上げしたいだけなのだ。普通の人にはそんな余裕はないけれど、ピーターパンにだけはある。彼には別な可能性が残されている。

もう一つの点、地獄めぐりについては、村上は次のように言っている。

「ホールデンが自己意識の中を、真っ暗闇の中を、手探りで、あちこちつまずきながら進んでいく。殴られたり、吐いたり、下痢したり、凍えたり、いろいろ大変なんです・・・簡単な言葉で有効に語られる深い、暗い内容というのは、優れた物語にとってのひとつの大きな資格である想うんですよ」

つまりホールデンにとっての地獄とは自分の意識の底にある世界であるようだ。そこに下りて行って、殴られたり、吐いたりする世界でもある。その地獄を遍歴することで、自分が変るというわけでもないけれど、しかし何かが深まることは感じられる。その深まりの底には更なる暗闇が広がっているが、その暗闇の中から魂の叫びのようなものが聞こえて来る。その叫びが物語に陰影を刻む、ということだろうか。

次に筆者が面白いと思ったのは、村上らがこの小説をサリンジャー自身の生き様と関連付けているところだった。それはひとつにはサリンジャーがこの小説に託した思いという側面、もう一つは晩年のサリンジャーがコールマン少年と同じように社会と折り合えず、孤絶した生活を送るようになったという点だ。

サリンジャーは従軍してノルマンディー作戦に参加したりしたが、戦線での経験は一切語らなかった。しかしこの戦争で深く傷つき、深刻なトラウマに取りつかれたらしいと村上は推測する。この小説はそのトラウマから脱出するための、治癒行為としての意味を持っていたのではないか、というのが一点。

それから、晩年のサリンジャーはコネティカットの森の中で孤絶した生活を送るようになったが、それは社会と妥協できなかったという事情もあるだろうけど、もしかしたらサリンジャーがコールマン少年に同化したことの結果だった可能性もある、と村上は推測する。

作家の中には、小説の登場人物に自分自身を投影するタイプの人と、自分自身に登場人物を投影させるタイプの人とがいる、と村上はいう。サリンジャーは後者の典型だったのではないか、というわけである。

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原発汚染水海洋投棄で腐海化する世界の海

「徽宗皇帝のブログ」向きの話だが、あちらには既に幾つも記事を載せたので、こちらに載せておく。メモである。新聞を読まずテレビも見ないので、欧州諸国が日本政府の原発汚染水海洋投棄を支持していたとは知らなかった。まあ、同じことをやっている国々だから当然か。それで言えば中国も同じだろうから、中国の批判は「台湾問題を含め、日本への牽制」とも思える。いわゆる、江戸の仇を長崎で討つ、手法だ。もちろん、日本の投棄行為が一番悪質だ。
まあ、このまま世界各国が原発汚染水を河川(海洋)投棄していたら、あと数世紀経てば、世界の海は「腐海」になっているだろう。

(以下引用)「逝きし世の面影」記事のコメントで、記事本文はDJSODAのおっぱいお触り問題の検証というもので、それも面白いが、社会的には、本文記事と無関係な下のコメントのほうが重要だろう。
『汚染水垂れ流し』強行でアメリカの“梯子外し”が…。 (ロハスな人)
2023-08-24 12:23:40
終わらないフクシマの核事故情報 >

『世界中から顰蹙を買うだけではすまない』岸田政権による汚染水垂れ流しの強行はバックにアメリカ様がいたようです。
(※よりによって『汚染水垂れ流し』を『いつカタストロフィが起きてもおかしくない福島原発事故現場の惨状』の煙幕に使うとは、アメリカ様のいかれっぷりは本当にとんでもないですね。)

 ポンコツぞろいの岸田政権は『アメリカのお墨付き』があるから大丈夫とか思っているのか、『わかっていても逆らえない』のはは分かりませんが、『各国からの損害賠償が多発したら、アメリカが手のひら返しをするのは目に見えて』いますね。

※※『日本だけ突っ込ませる予定の台湾有事と同じ“梯子外し”の構図』だと気づかないと、こちらの被害もとんでもないことになりそうですね。

https://news.yahoo.co.jp/articles/374d0fa083f0321d5224f27216212b438f021cb6
☆米大使、中国の批判を「無謀」と非難
8/23(水) 共同通信
 【ワシントン共同】米国のエマニュエル駐日大使は、中国の原発排水に含まれる放射性物質トリチウムの量が、予定される東京電力福島第1原発の処理水よりも多いと指摘し、中国の批判は根拠がなく「無謀だ」と非難した。
六ケ所村再処理工場本格稼働の狙いも? (ロハスな人)
2023-08-25 15:06:30
なんと汚染水放出決定は『アメリカの支持があった』だけでなく、欧州諸国までもが支持する発言をしていますね。

☆23日付仏紙フィガロは1面で「中国は放出に反対しているが、健康や環境への影響は取るに足りないレベルになる」と伝えた。 >

特に『再処理施設から膨大なトリチウム他を放出』している“原発大国”フランスが強く支持しているのが印象的です。

『六ケ所村での再処理工場の本格稼働』を視野に入れたもの?というSNSの知人からの指摘が適切で、『原発利権集団丸ごと賛成』している疑惑が濃厚ですね。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/97890
☆汚染水を浄化しても残るトリチウムとは? 世界中の原子力施設で海洋放出、環境への蓄積で内部被ばくの懸念も
2021年4月14日 東京新聞

◎ 再処理施設では、桁違いに増える。フランスのラ・アーグ再処理施設では1年間の排水に含まれるトリチウムは1京(1兆の1万倍)ベクレル以上。日本でも青森県六ケ所村の再処理工場(建設中)は試運転をした3年間で2150兆ベクレルのトリチウムを海に流した。

https://www.sankei.com/article/20230823-ZTA2QG5YOJJK5GUJAWYN5WXV3A/
☆中国反発でも「健康影響は取るに足らず」 処理水放出で欧州メディア
2023/8/23 産経新聞

【パリ=三井美奈】24日にも始まる東京電力福島第1原発処理水の海洋放出をめぐり、欧州の主要メディアは放射性物質トリチウムを含む処理水の安全性について詳報した。23日付仏紙フィガロは1面で「中国は放出に反対しているが、健康や環境への影響は取るに足りないレベルになる」と伝えた。

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「千葉→新田・眞栄田」という謎

私は別に千葉真一のファンでも何でもなかったが、彼の息子が新田真剣佑と眞栄田郷敦だというのは意外だったし、二人とも俳優としての才能は父親以上ではないかと思っている。しかし、
たぶん芸名(それとも母方の姓か?)だろうが、ふたりとも「千葉」の名を継がなかったことに「親の名声に依存したくない」という男意気を感じる。ところで、「真剣佑」の読みは「マッケン」なのか?「佑」はどこに行った? それとも「マッケン」は愛称か?

(以下引用)

新田真剣佑 父・千葉真一さん三回忌直前にハワイで第一子誕生 弟・眞栄田郷敦とは結婚も出産も同時期




新田真剣佑に第一子が誕生


写真54枚

「本日は暑い中、ありがとうございます。父、千葉真一の三回忌法要に来てくださり、深く感謝しております」──。8月19日、東京・新宿区の大願寺で千葉真一さん(享年82)の三回忌法要が行われ、海外に滞在中の長男・新田真剣佑(26才)と、仕事の都合で参列できなかった次男・眞栄田郷敦(23才)の言葉が読み上げられた。


 日蓮正宗の寺院で行われた法要は厳粛な雰囲気で執り行われ、千葉さんが主宰した「ジャパンアクションクラブ」の代々の教え子や、故人と縁のある人たちが祭壇に手を合わせた。会場の涙を誘ったのは、千葉さんの愛弟子が天国の師匠に向けて語りかけたメッセージだった。


「千葉さんが亡くなられてからの2年の間に真剣佑がハリウッドでデビューし、郷敦は大河ドラマに出演して知名度を上げました。2人とも結婚し、どちらにも子供が生まれました。千葉さんに見ていただきたいことだらけでしたが、きっと天国で目を細めてくださっていることだと思います」


 昭和と平成を代表する大物俳優の千葉さんが、新型コロナウイルスの感染による肺炎で亡くなったのは2021年8月。数々の映画の構想を抱えたまま、志半ばの急逝に2人の息子も大きなショックを受け、無念を募らせていたという。


「真剣佑さんと郷敦さんは生前の千葉さんに交際相手を紹介し、それぞれのパートナーと共に両親とバーベキューを楽しんだこともありました。千葉さんは息子たちが連れて来た女性をひと目で気に入り、彼女たちに『マッケンをよろしく』、『ゴードンのことを頼む』と優しく語りかけていたそうです。2人の結婚を心待ちにし、孫の顔を見る日を何よりも楽しみにしていたと思います」(千葉さんの知人)


 2人は今年1月の千葉さんの誕生日に同時に結婚を発表。7月下旬に郷敦の第1子が生まれたことは本誌『女性セブン』既報通りだが、実は数日と違わず米国・ハワイに滞在中の真剣佑にも第1子が誕生していた。現地のコーディネーターが明かす。


「7月下旬にホノルルの病院で無事に生まれ、退院後にご夫婦で仲睦まじくビーチを散歩する姿も目撃されています。真剣佑さんに寄り添う奥さんはすっかりお元気そうな様子で、赤ちゃんを抱っこする真剣佑さんはうれしそうなパパの顔そのものだったとか。ハワイを選んだのはご夫婦かねての希望で、気候がよく医療水準の高い現地で出産する計画を以前から話し合っていたそうです」


 真剣佑は今年4月に公開された映画『聖闘士星矢 The Beginning』で、父の念願でもあったハリウッド映画の主演デビューを果たし、8月末からNetflixで配信される『ONE PIECE』にゾロ役で出演することも大きな話題を呼んでいる。


「郷敦さんは海外で活躍する兄の姿を見て『すげえな。やっぱり、スター気質で天才なんだろうな』としきりに感心していました。結婚も話し合った上で同時に発表したほど仲のよい兄弟ですが、出産も同時期だったことは奇跡としかいいようがありません」(前出・千葉さんの知人)


 近く兄弟は2人揃って千葉さんの墓前に“孫”の誕生を報告する予定だという。


※女性セブン2023年9月7日号


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女優やタレントの価値とは何か

まあ、私も彼女の悪口を書いたこともあるが、成金の愛人になるという、公開枕営業をする以前から(所属事務所の強引な売り方のため)嫌いなタレントではあった。しかし、彼女が自己卑下する必要はまったく無いのであり、タレント価値など世間の風向き次第だし、電通次第だろう。人間的価値なら、それこそ自分で決めればいい。他人がどう言おうが気にすることはない。乞食だろうが億万長者だろうが、大学教授だろうが中卒だろうが人格的価値には無関係である。
女性としての価値なら、私の趣味ではない部類の顔だが、若くてまだまだ美人の部類だろうからかなり高いだろう。顔面偏差値で言えば、最高を75として彼女は60くらいはあると思う。もっとも、美人であるのと可愛いのとは別であるから、魅力の偏差値は個人的好みによる。
ちなみに、オードリー・ヘップバーンはあちらでは「ファニーフェイス」(面白い顔)で、美人とはされていないようだ。だからコメディ映画での主演が多いのだろう。そして、その愛嬌のために全世界的にファンが多かったわけだ。それはマリリン・モンローも同じである。彼女はそのグラマー体型とは裏腹に、赤ちゃん的な無邪気さが魅力だった。剛力嬢もその両者の系統であと10年は売れると思う。


【悲報】剛力彩芽さんが意味深投稿「生まれてきた意味て何だろね。必要とされてない無価値な人間だなって」

コメント[36]
  
【悲報】剛力彩芽さんが意味深投稿「生まれてきた意味て何だろね。必要とされてない無価値な人間だなって」


引用元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1692889948/

2: それでも動く名無し 2023/08/25(金) 00:12:34.98 ID:7TRL8GpLM


https://news.yahoo.co.jp/articles/67b2bea0d345ef27ed93e7756698e8fa1b548295



3: それでも動く名無し 2023/08/25(金) 00:13:02.86 ID:vl3CcMhf0


どしたん?話聞こうか?



5: それでも動く名無し 2023/08/25(金) 00:13:12.80 ID:WOwhuVNK0


大丈夫?話聞こか?



8: それでも動く名無し 2023/08/25(金) 00:14:14.36 ID:jWj+zMIC0


やばい



23: それでも動く名無し 2023/08/25(金) 00:16:02.22 ID:ExhPw0J1d


これだけ可愛くても無価値とか思うんやな
チー牛ワイと入れ替わったら何を思うんやろか



25: それでも動く名無し 2023/08/25(金) 00:16:19.67 ID:jnvWY4H30


>>23
そら即死やろ



35: それでも動く名無し 2023/08/25(金) 00:17:46.95 ID:CffbZWyvd


>>25
あなたひどいひと
わるいひと
ひとのきもちのわからないひと

 

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酔生夢人
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職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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