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東海アマ氏の「結婚(一夫一婦制)否定論」

「東海アマブログ」から記事の一部を転載。アマ氏はフリーセックス主義者で、一夫一婦制に反対のようだ。その信念が民俗学などで得た知識に裏付けられているらしい。
まあ、私もアマ氏同様一知半解、かつ知見の狭い人間なので他人のことは言えないが、私は「一夫一婦制は楽で便利である」という思想なので、あまり賛同はしない。
もっとも、精神的には独身が一番楽だろうが、家族がいるというのは苦労もあるが精神的充実もあるはずだ。勉強はしたくないが、志望大学には入りたい、という思考に近いものを、アマ氏の論説(フリーセックス礼賛論)には感じる。セックスは、そんなに自由にしていいものか? 社会のかなりな割合がサイコパス、あるいは劣等人格であるのに。つまり、結婚というのは「この人なら大丈夫」という判断が前提なのであり、その失敗は拙速な判断(ただし、封建社会では、結婚は家と家の結合であり、当人の意思ではない。)の結果にすぎない。
で、フリーセックス制の社会では家族というのが果たしてアマ氏の言うような天国になるのかどうか非常に疑問なわけだ。そもそも「家庭」というのが無意味化するのではないか。つまり、全員が他人の社会なわけで、まあ、孤立無援の生き方をしてきたアマ氏が、そうした生き方を礼賛するのは自画自賛に近い、自己慰撫の言説だろう。私はアマ氏の生き方を尊敬もするが、それを他人にまで押し付ける言説はいかがなものか、と思う。

結婚(一夫一婦制)否定論は、家庭の働き手(社会的な稼ぎ手)と家庭内作業が分担されていた時代から、ひとりでその両方をやる時代になった社会状況を肯定するものだが、果たしてそれは幸福な状況なのか。
コンビニと電化製品があれば妻(家庭維持任務者)はいらない、というのが今の時代なわけで、(これは独身主義者の多くの妄想で、妻の仕事は料理や掃除や洗濯だけではない。特に育児は男にはまず無理である。納税や公共料金の支払い管理だって面倒くさい仕事だ。)全員が独身主義になれば、性欲の処理は水商売、売春に頼ることになる。つまり、ある意味ではアマ氏の言うフリーセックス社会はかなり現実化しているわけだが、それは幸福な社会か、と私は問うているわけだ。はたして、独身女性が相手の分からない子供を産んだ時、それを「村全体で育てる」か? 馬鹿なことを言うんじゃない、と言いたくなるような妄想、妄言だ。



(以下引用)かなり、嘘、あるいは誤解、あるいは妄想が入っていると思う。

 さらに、時代が進むと、国家権力が統治の都合上、一夫一婦制を強要し、戸籍を作って民衆を管理し、税や兵士を徴用するようになる。
 ここで、国家は民衆の自由なセックスを否定し、一夫一婦制家族社会の成立が求められる。つまり、徴税と徴兵の必用が、母系氏族社会を破壊してゆくのである。

 だが、弥生文化の浸透した地方では、1960年代に至るまで、妻問婚→夜這いの風習が残った。
 娘が初潮を迎えると近所に赤飯が配られ、娘は離れに寝るようになる。この離れには小さなにじり戸があって、やがて茶室として利用されるようになった。

 赤飯を見た近所の青年は、真夜中に娘に忍び寄ってセックスを求める。妊娠すると、娘は、夜這いに来た青年たちのなかから自由に婿を指名する権利があった。
 青年は娘の指名を断る権利がなかった。もし拒否すれば、「村八分」の制裁を受け、集落から出て行かねばならなかった。
 集落全体が一つの家族だったからだ。

 夜這い文化圏では、性の観念が実におおらかであったことは、宮本常一が「忘れられた日本人」などの著書でたくさん報告している。
 夜這いを経験した人たちは、中高年になっても、昔の「無礼講」を覚えていて、割合、自由に不倫をしてしまう。
 だから西日本では、性的な暴走に寛容な地域が多い。女性のお尻や乳を触ったりの性行為など、普通のつきあいの範疇なのだ。

 私は、宮本の著作を夢中になって読みふけった時期があるのだが、現在、原本を示すことができず残念だ。ネット上から著作が消えてしまっている。
 https://booklog.jp/author/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E5%B8%B8%E4%B8%80

 それでは、冒頭に紹介した「次男が自分の子ではない」と騒いでいる主役は、なぜ妻を離縁したり、慰謝料を請求したりと怒っているのかというと、「夫婦は貞操を守って父親の子を遺す義務がある」という地縁よりも血縁を重視する東日本社会の価値観を絶対視しているからである。

 この価値観は、奈良時代に遣唐使が日本に持ち帰り、家康が林羅山に命じて全国の武家階級に規範として強要した「儒教=朱子学」から来ているものだろう。
 儒教の本質は「序列主義」で男尊女卑だ。女性は「男の子を産む道具」にすぎないというのが孔子の考えだったが、この考えは実は旧約聖書から来ているものだ。

 母系氏族社会が地域に飽和してくると採集資源の縄張り争いが始まる。それが戦争に発展したとき、男子が大きな力を持つようになり、部族の権力が母から父に移ってゆくのである。
 権力を得た男は、女性を囲い込み「自分の子」を産ませるためにハーレムを成立させる。

 これが旧約聖書に描かれた男系氏族社会であり、イスラム教は、このハーレム時代を正当化するための宗教である。
 このとき、姦淫、姦通した女性は、投石で殺害されたり、激しく弾圧を受けるようになる。
 世界中の男系氏族社会で、女性の姦淫不貞が犯罪とされる倫理が成立することになる。

 ここで、男尊女卑やイスラム圏のような一夫多妻制が成立するのだが、女性の地位が貶められた原因は、戦争における立場にあることを意味している。
 戦争が増えれば「女は弱いもの、見下すもの」という観念が生まれてしまい、それが男女差別を拘束するのだ。

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はたして日本は「和によって滅ぶ」か

フラッシュメモリーに残っていた昔の記事で、記事元のブログ(「一知半解なれど」云々)は現在あるかどうか分からない。記事そのものは山本七平の「帝王学」という、イヤなタイトルの本からの抜き書きのようだ。
私は山本七平(ユダヤシンパ)には胡散臭いものを感じているし、対談相手の塩野七生も傲慢な権力主義の匂いがあって嫌いだが、ここで言われている内容自体は完全に正しいと思う。ただ、それを「和によって滅ぶ」という言い方をしたのは、まあ、俗耳を意識した戦略だろうが、私自身は「和を以て尊しとなす」が日本人の最大の美徳だと思うので、あまり好きではない。ただ、ある集団の最大の長所が、その集団の滅亡の原因となる、というのは事実だろうとは思う。

(以下引用)


人の意見は、一致しないのが普通である。
そこでその是非を互いに論じ合うのは、本来、公事のためのはずである。

ところがある者は自分の足らない所を隠し、その誤りを聞くのを嫌い、自分の意見に対してその是非を論ずる者があれば自分を恨んでいると思う。

これに対してある者は恨まれて私的な不和を生ずることを避け、また『相惜顔面』すなわち互いに相手の面子を潰しては気の毒だと思って、明らかに非であると知っても正さず、そのまま実施に移す者がいる

一役人の小さな感情を害することをいやがって、たちまち万民の弊害を招く
これこそ、まさに亡国の政治である」と。

貞観政要』の中にはさまざまの学ぶべき点があるが、何やら日本の欠点を指摘されているような気持になるのがこの部分である。

前に塩野七生氏と「コンスタンチノープルの陥落」について対談したとき、その国を興隆に導いた要因が裏目に出ると、それがそのままその国を亡ぼす要因となる、と私か言うと、氏は即座に賛成され、間髪入れず、日本の場合はそれが「和」であろうと指摘された。

確かにわれわれは論争を嫌い、相手の感情や面子を尊重して、「マア、マア」で全体の和を保とうとする
そして、これが実に能率的だということは「論争が国技である」イスラエルに行くとつくづく感じて、「国の破産状態をよそに、論争ばかりしているから、何一つてきぱきと解決できないのだ」という気がする。

彼らもそれに気づいているらしく、もちろん冗談だが「日本の大蔵省と通産省をそっくり輸入し、和を第一としたら……」などと言う。
確かにそう言える面があるが、塩野氏の指摘通り、「和」には恐ろしい一面がある

太宗はつづける。

隋の時代の内外の役人たちは、態度をはっきりさせず、どっちつかずの状態にいたために、亡国の大乱を招いてしまった。

多くの人は、この問題の重大さに深く思いを致すことはなかった。
そうしていれば、どんな禍いが来ても自分の身には及ばないと思い、表面的には『はい、はい』と従って陰で悪口を言い合いながら、それを憂慮すべきこととは思わなかった。

後に大乱が一気に起こり、家も国も滅びる時になって、わずかに逃げのびることが出来た者も、また刑罰・殺戮にあわなかった者も、みな艱難辛苦の末やっと逃れたのであり、その上、当時の人からひどく非難・排斥される結果になったのである。

そこで諸官は私心・私的感情を除き去って公のためにつくし、堅く正道を守り、腹蔵なく善いと思う意見を述べ、絶対に、『上下雷同』すなわち上と下が付和雷同するようなことがあってはならない」と。

「和」によって亡ぶ

前に記した「玄武門の変wiki参照)」のときの太宗と部下との関係を見ると、みな実にずけずけと意見を述べている。
危機のときはそうなっても、安楽な平和がつづくとついつい、「なるべく衝突は避けよう、どちらにしろ大した問題じゃない」という気になってしまう。

危機の特は、だれでも、判断を誤れば直接身に危険が及ぶという気になるから、必死になって意見をいう。
だが平和なときは、不知不識のうちに「これでオレの命が危なくなるわけでもないし……」が前提になっている。

だが、部下が激論してはじめて問題の焦点が明らかになるわけで、そのような「和」ですべてが表面的には丸くおさまっていれば、太宗にも何もわからなくなる

隋はそのようにして一歩一歩と破滅へ進んでいった。
そして最終的には、小さな摩擦を避けて、これが安全と思っている者が、ひどい目にあった

これへの太宗の批評を見ると、私は日本の軍部のことを思い出す。

軍部内の和を乱すまい――不思議なことに、国の存亡がかかわるという状態になっても、このことが優先している。
塩野氏の指摘された「和によって亡ぶ」は必ずしも未来のことでなく、過去にすでに経験ずみなのである。

軍部内にも、合理的な意見があったのは事実である。

たとえば多田駿参謀次長の「無条件撤兵論」などがそれで、中国から無条件で撤兵しても、相手は海軍がないから追撃はされず、日本の国益は何一つ損ずることがない。

目的の明らかでない作戦を四年も継続し、いつ終わるか見当もつかず、何のためにやっているのか政治的目的もはっきりしないといった状態は、自らこれを打ち切ろうと思えばできるのである。

それができない
軍の面子にかけての反対が出るにきまっているし、そうなれば激論になって「和」は保てない

東京裁判の東條被告の副弁護人であった松下正寿氏は、「それでは部下がおさまりません」が、日米開戦の理由であった旨、述べているが、これもまた「軍部内の和が保てません」で、まさに「上下雷同」なのである。

さらに、海軍は内心では開戦に反対なのだが、「陸海軍の和」と、マスコミと一部政治家が醸成した「上下雷同」に押され、絶対に「反対」とはいわず、「総理一任」という形で逃げている

いわばあらゆる面における「相惜顔面上下雷同に基づく和」を崩すまいとし、衝突がないからそれが一番安全と思い、それによって破滅する

その結果国民は苦しみ、責任者はみな、隋の遺臣を評した太宗の言葉通りの運命に陥っている。

危急存亡の時になってもこうだったということを頭におくと、日本は将来「和によって亡ぶ」という塩野氏の言葉は、一種の不気味さをもっている

これは企業でも同じで、坪内氏が再建に乗り出す前の佐世保重工を見ると、「経営者と組合の和」が絶対化され、これまた「上下雷同」で、厳しい言葉を口にする者はだれもいない

まさに「相惜顔面」だが、そうやっていても、自分の身に禍いが振りかかると思っていない
そして進駐軍が進駐して来てはじめて目が覚める

(後略~)

【引用元:帝王学「貞観政要」の読み方/「十思」「九徳」身につけるべき心得/P64~】

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情報元の確認は大事

東海アマ氏の今日の記事(中国憎悪の記事)のネタ元(二次引用の大元)である「Voice of Hope」とは、下のような組織である。ユダヤ批判の雄である東海アマ氏が、中国嫌悪の余り、ユダヤマスコミに釣られているwww

(以下引用)


  • イスラエルで唯一のキリスト教のラジオ局をサポートする...到達。。。シリア、ヨルダン、レバノン、イスラエル希望の声 - 1287午前


    支える

注目の動画



VOICE OF HOPE – MIDDLE EAST
1287 AM ガリラヤ、イスラエル


迫害されたクリスチャンを励まし、初めてムスリムに福音を伝えました。 中東5カ国(イスラエル、シリア、ヨルダン、レバノン、キプロス)にリーチ







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日本人と「職人気質」

「隠居爺の世迷言」記事で、前半は60年まえの紅白歌合戦出場者の紹介と歌手への感想なので省略。後半がかなり鋭い世界(日本人)認識なので、転載する。まあ、前半のほうが面白いという人もいるだろう。
日本人が「職人気質」で、嘘が苦手、というのはまさにその通りだと思う。嘘と暴力で世界を制覇してきた欧米(背後のユダ金)にとっては日本人は赤子同然だろう。
だが、日本人がその善良さを失えば日本人ではなくなるとも言えるので、痛しかゆしである。

(以下引用)赤字は夢人による強調。「デマ太郎」はもちろん、河野太郎。私が彼を嫌いなのは、その傲岸不遜さが主な理由だ。(写真を見ているだけでその性格が分かる。)それは知性の欠如から来ている。他者を威嚇する犬はアホな犬に決まっている。


 こうやって、60年も前の日本人を見ると、やっぱり今とは違った感じを受ける。どこが違うのだろうか。印象としては、"真面目でひたむき、純粋な人たち"というところかな。安心できる人たちで、とっても好感が持てる。

 敗戦から18年たっていたけれども、まだその影響が日本人全体に残っていたのかもしれない。傲慢さというか、尊大さというか、高慢というか、不遜というか、そのような雰囲気が出場者全員にほとんど感じられない。老人にも若者にも、デマ太郎のような生意気さが一切ない。

 自虐史観といわれるような、過度に自分を貶めるような認識を持つべきではないけれども、かといって、自国民を殺して平然としている現在の日本政府のような面の皮の厚さもどうかと思う。

 "真面目でひたむき、純粋な人たち"ということから連想するのは、職人かな。日本人はその多くが職人気質なのかもしれない。職人気質とは「自分の技能を信じて誇りとし、納得できるまで念入りに仕事をする実直な性質。」(デジタル大辞泉)とある。私なども、能力的に及ばないところは多々あるけれども、そういうのが大好きだ。

 今でも、日本そして日本人の長所、美点とされているところには、そのような職人気質が生きているように思う。しかし、そこにアメリカ文化が入り込んできて、日本文化と融合するならまだしも、侵し始めたことから日本は狂ってきた。

 アメリカには、真面目とか、良心とか、誠実とか、そういうものは一切ないからね。騙して殺すのが平気というか、得意というか、喜びというか、そんな連中が集まっている。そのようなすれっからしに、"真面目でひたむき、純粋な人たち"である日本人が交わったのが、明治維新以降の日本になる。はっきりいって勝負にならなかった。

 もちろん日本人も"うぶなネンネ"のままということではなく、それなりに狡さを身につけては来ている。しかし、米英は狡さにかけては本家本元、百戦錬磨の筋金入りだ。日本は歯が立たないままにコテンコテンにやられて続けて現在に至る。

 一番の悲劇は、政治家をはじめ日本人の多くが米英に騙され、操られ、身ぐるみはがされ、殺されるような酷い目に遭っているという認識のないことで、これ以上ないくらい米英の思う壺にははまっている。アメリカの手先になって日本を売り渡している政治家も少なくない。しかし、多くの日本人は気がつかないのだから当然対策も立たない。

 期待はロシア、中国、インド、イランなどの国になる。彼らは米英の手口の汚さをこれ以上ないくらいに知っている。気付いてしまえば、そうそう簡単に騙されるようなことはなくなる。勝負に勝てるかどうかは分からないけれども、米英の嘘に簡単に騙されるようなことはもうないだろう。

 そうやって考えると、今後は日本がいかにアメリカ離れをするかが最大の課題になる。だがしかし、上に書いたように、職人気質が多い日本人は嘘を見抜けない。これは職人の世界では嘘が通用せず、特に職人同士では嘘をついてもすぐ見破られてしまうためかな。口で何といおうと、腕(仕事ぶり)を見れば一目瞭然だからね。だから日本人は全体に嘘を嫌い、嘘をつかない習慣ができてきた。


 


そこまではいいのだけれど、みんなが嘘をつかないものだから、嘘に慣れておらず、騙されても気付かないということが起きるようになった。そんなところに、嘘や騙しが大得意なアメリカがやってきたのだから、もう為す術がなかったね。今に至ってもさほど改善されていない。

 私の場合にどのように嘘を見破っているかといえば、それは論理を使うことかな。嘘というのは必ずどこかで辻褄が合わなくなる。論理的な思考をする人はそこで気がつく。職人気質の日本人でも、論理に強い人なら心配ないのだけれど、職人には論理を嫌う人も多い。「理屈を言うな、体で覚えろ」などの感じかな。あるいは「理屈を覚えるのではなく、コツを覚えろ」というところかな。

 野球の解説者でも、野村監督や広岡監督のように論理の好きな人もいたけれど、「ここでエラーはいけません」「この場面、絶対に抑えたいですね」「ここはヒットが1本ほしいところです」などと、素人以下のことを言う人も多かった。野球がうまい下手とはまた別問題だった。残念なことに、日本人には野村監督や広岡監督のような人が他国に比べて少ない。

 まあ、難しいね。日本には1500年もの歴史があってその上でこうなのだから、100年や200年でどうにかなるということでもないのだろう。日本にふさわしい立ち位置は、準先進国、2流国というところなのかな。しかし、たとえ2流国であっても、アメリカにむざむざと騙されっぱなし、殺されっぱなしということは避けられるはずだ。やはり、まずは気がつくことだろうか。そして、気がつくだけなら何とかできるかもしれない。もっともアメリカは気付かせまいと必死になってプロパガンダを強めてきているから、やっぱり難しいのかな。

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鳩山由紀夫と西田昌司

私が鳩山由紀夫を好きなのは、彼の理数科的知性と同伴する理想主義的側面にある。あるいは思想や行動の基本にヒューマニズムがある点だ。他の政治家は政治闘争のゲスなテクニックでは彼より上だが、政治家になる最低限の資質、つまりヒューマニズムが無い。で、寝技・反則上等の相手に、ルールに従って戦う人間が勝てるわけがない。鳩山がマスコミやネットで馬鹿にされ続けているのは、マスコミやネット民の下種さと馬鹿さの証明である。
ちなみに、私は西田昌司もわりと好きである。彼の馬淵睦夫との対話動画は、動画嫌いの私としては珍しく見て、西田昌司の知能の高さに感心した。馬淵睦夫は、まあ、ネット民の上等な部類といった感じである。つまり、世界の真実、DS支配の世界を知って、世間を啓蒙し始めたわけだ。
西田を右翼呼ばわりするのは、リベラルマスコミという馬鹿(自分たちがユダ金という悪魔の手足だとの自覚も無い)だけだろう。

(以下引用)私は下の動画を未見なので、これはメモとしての保存だ。

鳩山由紀夫×西田昌司のセッションを今さら見たんだけど非常に面白いな

Ghost Riponの屋形(やかた)さんのサイトより
https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12830333585.html
<転載開始>



西田氏は、自民党を出た方がいいんでないの?(笑)

「まさかの対談が実現!十数年の時を経て再び向き合う…鳩山元総理大臣にあの時の胸中を聞いた。米軍基地移設発言の真意と政治信条の共通点」西田昌司×鳩山由紀夫 友愛対談 VOL.1

https://www.youtube.com/watch?v=gYidRcZTnH8
「官僚主導から政治主導へ…模索したが官僚が手を引いた。政権与党が抱える責任と方針とは」西田昌司×鳩山由紀夫 友愛対談 VOL.2

https://www.youtube.com/watch?v=rPGyGtDNkAY

「大きな求心力で政権を狙う野党を結党したが、その中身は意に反したものだった。欠けていたのは日本人の伝統的な道徳観」西田昌司×鳩山由紀夫 友愛対談 VOL.3

https://www.youtube.com/watch?v=wHBvIKn0JFs

【最終回】「歴史の誤りにこそ政治の本質がある。日本の国益のために与野党の対立を超えた政策議論を」西田昌司×鳩山由紀夫 友愛対談 VOL.4

https://www.youtube.com/watch?v=PDb4Bxy-gjE




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井口博士の「世界史」認識

前回記事で知った井口博士の過去記事の一部だが、井口博士の書いた記事の中でも出色だろう。ここには私のような知ったかぶりでいい加減な人間が指摘できるような政治的認識の誤りはほとんど無い。(もちろん、大部分は博士の主観だと言えるだろうが、その「主観」的認識が正しいかどうかは現実の歴史で証明されているだろう。)
ここに書かれたことは私自身がこれまで書いてきたこととほとんど一致するが、まあ、私自身、昔から井口博士のブログは読んでいたから、案外こういった記事から影響も受けているだろうが、他にも似たような言説を言う者は多いと思う。問題は、その人間の人間的レベルだ。私がスピリチュアル系の発言者を信じないのは、彼らの多くは「自分の利益のために陰謀論を利用する」悪質陰謀論者だと思うからである。

(以下引用)


まあ、これは、明治維新の話だが、明治維新というものの本質は、英米のアングロサクソン国家、今でいうところの「偽ユダヤ人国家」が、偽ユダヤ人による世界統一政府樹立のために、アジア支配を目論だ時、アジアのまだ残っている最高文化勢力であった、この日本、江戸時代の日本を、金融的にも政治的にも破壊することが目的だったというにすぎない。

そのために、イギリスのロスチャイルドの手下の悪魔主義一派のフリーメーソン所属の、グラバーのような武器商人を薩長に送り込み、江戸支配の緩かった、長崎、薩摩、山口あたりから、南からの攻撃を加えるためのものであったということのようである。

仮にその計画がうまく行かなかった最悪の場合でも、江戸時代の日本は(今の朝鮮半島のように)南北に分裂、うまく行けば、日本を英米の属国化ができる。そして、現実には、それが成功し、江戸時代が終焉した。英米に武器資金援助してもらって、それまでの王権や政権を打破するという、古典的手法である。そういうものにまんまとハマったというのが、明治維新における「この国の真の形」というものである。

その時に、実は本当の天皇家は暗殺されて、南から傍系の天皇家が急遽担ぎ出されて、現代の天皇家に至ったという説もある。これもまた、実に良くある古典的手法であると言えるだろう。

さらに、付け加えると、明治維新は「下級武士の反乱」という言い方がされるが、伊藤博文や東郷とか、実際には、朝鮮からの流民の系列であり、江戸末期に名前を日本人から買って、日本人に成り済ました、という話もあるようである。これまた、さもありなんという話であって、これが事実だったのであれば、これまた、「マイノリティーによる支配」の典型と言えるだろう。

まあ、今のアラブ諸国のようなものである。例えば、
私はアサド大統領を支持します。
などを見れば分かるように、リビアのカダフィ大佐やベネズエラのチャベツ大統領のように、英米から自主自立した独立勢力に対して、「中東の春」とか、「民主化」とか、大義銘文を逆手に取って、実際には、英米の金融寡占勢力の傘下に組み込み、金融、政治、軍事、文化などのあらゆる面から、支配下に組み込むことが、その本来の目的だったということである。

しかしながら、英米支配者の思惑通りになかなか行かず、その都度、予想外の行動に日本人がでるというのが、これまたこれまでの真実の歴史という感じがするのである。

タリバンで例えるなら、無知蒙昧な九州の下層武士タリバンたちに、近代兵器の使い方を教えて、永久に自分たちの武器の輸入者で過ごさせ、日本を経済的にも軍事的にも永久支配を目論んだのは良いが、今度来た時には、日本の下級武士タリバンたちが、もう自前の戦艦や武器を作って待っている。それも英米が作ったもの以上の性能のものまでできる始末。そして、タリバン兵たちが、「人種差別主義撤廃」を叫んで来る。こんな感じだろう。

500年前の戦国時代における、種子島の鉄炮伝来の時もそうだったが、それと同じような事が必ず起き、その都度、予想に反した展開になる。そんな感じのように見えるから、実に不思議である。

ついでに付け加えると、第二次世界大戦後は、今度は、ロスチャイルドとMI6の英国ではなく、ロックフェラーとCIAの米国(英国の植民地)によって同じようなことが行われたわけである。つまり、戦後日本は、薩長の下級武士の役割を在日朝鮮人/無学貧乏の最下層の半島人が果たしたのである。それゆえ、明治政府や戦前の官僚の中のいやらしさと戦後の官僚と政治家の中にあるいやらしさが一致しているというわけである。これが、市川房枝が「戦前戦中戦後と貫く棒のごときもの」と言ったものである。明治維新以降、日本は朝鮮人の影響をもろに受けたということである。

ちなみに、一方のソ連はスターリン(偽ユダヤ人)とKGBによる「赤化路線」で、北朝鮮と中国がその罠にかかった。これにより、世界と極東アジアが東西に別れ、冷戦という名のもとに、分裂支配されたというわけである。偽ユダヤ人の思うつぼ。これで、KKKの創始者、アルバート・パイクのアジェンダのその通りの世界戦争計画をひた走ることになったということのようである。残るは、第三次世界大戦のみ。

今回の英エリザベス女王の在位60年記念式典を見れば明白なように、彼らのこの計画への意気込みの強さが分かるはずである。船の上にいた英王室関係者全員が、軍服だったのである。
明治維新の真実:「薩長軍は、タリバンだった!?」_e0171614_129575.png

1,000-boat Royal 'pageant' ends with musical finale celebrating British colonialism ('wider still and wider shall thy bounds be set', cue NATO) and dictatorship by reptilian bloodline with the cringe-making, arse-licking national anthem
(いつの間にか、ハリーこと、ヘンリー王子もでかくなったナア。)

はたして、今後の展開やいかに? 実に興味深いところである。

いずれにせよ、日本の近代史もまた再考、再編の時期に来ていることだけは確かである。こういうことはまったく想像力や事実認識の欠如した御用学者では無理。そういった日本の御用学者ではない、本当の歴史学者たちの出番と言えるだろうヨ。

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白人という美しい悪魔たち

「大摩邇」所載の井口博士のブログで、井口節は変わらず、暴言が楽しい。脳梗塞で、より頭が活発化、いや偏向度が進んだか。
ちなみに、私は西鋭夫とやらの動画は見ていない。米国の大学の教授と言うだけでも、DSの手下であるのは80%くらいの可能性があるだろう。陰謀論者にも、「本物」と「偽物」がいる。後者は意図的に馬鹿な陰謀論を言うことで、本物の「陰謀論」への評判を落とし、信頼性を疑わせる役目である。
日本史に限らず、各国史は世界史の中で見なければ、その真実は分からない。それで分かるのは、白人(白人支配層)が悪魔であり、特にユダヤ(古代ユダヤ人的思想の人間)が悪魔であることだ。ただ、問題はその悪魔たちは同時に素晴らしい文化や芸術を作ってきたことだ。だから我々の頭には「白人=美」という思想が牢固として刻まれている。

(以下引用)

【アイラブジャパン】西教授の“伝説のスピーチ”:フォローザマネー!

井口博士のサイトより
https://quasimoto4.exblog.jp/33555445/
<転載開始>
みなさん、こんにちは。
さて、円盤や宇宙人の話は非常に興味深かっただろう。それはまたいつかにして、今回はこの日本のことにしよう。
そこで、日本の真の歴史といえば、西教授の有名な講演がある。それをメモしておこう。以下のものである。
ちなみにこれはそのダイジェストの一種のCM版である。
だいぶ昔に拙ブログでは、
(1)明治維新は、イギリスのロスチャイルドの仕組んだ内戦に過ぎなかった
(2)秀吉の朝鮮出兵は、スペインポルトガルの世界戦略に対する防衛に過ぎなかった
(3)関ヶ原の合戦は、英蘭とスペインポルトガルとの欧州対立の代理戦争に過ぎなかった
(4)日本史は世界史の中で見直さなければ真実はわからない
などなどのメモをしてきた。
にもかかわらず、いまだ「どうする家康」を見てもわかる通り、日本史は世界史と切り離されたものの見方で描かれている。
三浦按針ことウィリアム・アダムスはイギリス系ユダヤ人、ヤン・ヨースデンはオランダ系ユダヤ人。
彼らは共に東インド会社の工作員にすぎない。
同様に、種子島に流れ着いたことになっているポルトガル商人もまたポルトガル系のユダヤ人商人、メンデス•ピントである。
またイエズス会のフランシスコ・ザビエルもまたポルトガル系ユダヤ人だった。
ついでに言えば、奴隷制の根幹となった三角貿易もまたユダヤ人が行なったものに過ぎない。
当然、戦国時代に来た外人により100万人規模の日本の女性たちが海外に奴隷として売られた。
売ったのはカソリックに洗脳されたキリシタン大名たちであった。
まあ、相対的に見て今現在も状況は似たようなものである。
要は昔は日本人女性を売ったが、今は動産の株や会社から土地不動産を売り始めたに過ぎない。
この意味で、よく言えば、人のいい、悪く言えば、お花畑の日本人は、
ま・ぬ・け
間抜けなのである。
まあ、それが日本人の良さであるが、そこで犠牲になった人たちは浮かばれない。
まあ、私個人は、
この世界に白人種がいる限り地球は滅ぶ
と信じているから、我々の未来がいつも緊張に見舞われるのは、どうしようもないだろうと思う。
しかしながら、そんな状況下でも、我々は生き延びていかねばならない。
それにはどうしたら良いか?
それを我々日本人は無視すれば、早晩、2060年までには確実に外国のものに変わってしまうだろう。
80億人いる世界人口で、白人の遺伝的影響を受けていない国はほとんどない中で、日本人は1億しかいない。
いたとしても半分は高齢者や病人である。
日本が外人の力で置き換わってしまうのは、物理的生物学的に考えて当たり前だろう。
無論、今のままでは。
いずれはアメリカインディアンやハワイアンのように、国内の一番住みにくい場所に日本人だけ追いやられる国になるだろうことは目に見えている。
すでに国会議員の半数は朝鮮帰化人および外人系である。
白人ハーフは日本人ずらして闊歩している。
まあ、
それも運命さ!
と言うのも一考である。
しかし、先人たちの努力を見れば、なかなかそうも言っていられないだろう。
それゆえ、フーバー研究所で40数年研究してきた西教授の厳しい意見は拝聴に値するだろう。
私がブログでいくらメモしても大した効果はないが、名前や肩書きに弱い日本人には、超有名教授たちが最近ではどんどん表に出てきて話すようになったので、それなりの影響が出てきただろう。
実にいい傾向である。
もっとやれ!
と俺は言いたい。
そう言うわけで、西さんの話をこの秋の夜に聞いてみるのも良いだろう。
いやはや、世の始まりですナ!
弥栄!

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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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