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絶望と希望

「副島隆彦の学問道場」記事の一部で、全部に同意・同感するわけではないが、7割くらいは同感である。
ただし、

日本もまた、世界の一部として、次の大きな戦争(ラージ・ウォー、第三次世界大戦)に連れてゆかれる。またたくさんの人が死ぬ。

という部分には、あまり同感しない。というのは、第三次世界大戦より先に欧米社会の崩壊とドル支配体制の崩壊が起こる可能性があると思っているからだ。イスラエルのガザ虐殺は、イタチの最後っ屁だろう。火事場泥棒的行為である。あるいは「最後の賭け」か。
つまり、DS(基盤は欧米にある)自体が中露中心の非欧米連合の勃興によって、自分たちの崩壊を予感しているのではないか。
まあ、私の願望的妄想だが、毎度言うように「絶望の虚妄なること希望に相同じい」である。世界には青空も花畑も肥溜めもある。何も、肥溜めだけ見つめることはない。もちろん、足元に注意して歩かないと肥溜めに落ちる。

(以下引用)


日本は戦争に連れてゆかれる 狂人日記2020(祥伝社新書 副島先生の本 2020年8月10日発売)の84ページから引用。
人類(人間)は目下(もっか)、第三次世界大戦への道を着々と歩みつつある。この戦争は迫りくる核戦争であり、生物化学戦争であり、サイバー戦争である。コンピュータ・ウイルスで相手(敵国のレーダー)を無力化して 軍事施設を爆撃するということもする。2007年9月にシリアを空爆したイスラエル軍が、このサイバー攻撃でシリアのレーダー(ロシア製)に捕捉されず、攻撃に成功した。
日本もまた、世界の一部として、次の大きな戦争(ラージ・ウォー、第三次世界大戦)に連れてゆかれる。またたくさんの人が死ぬ。


そして29ページから引用。
日米交渉の真実。
今から80年前、日本人は保守層だけでなく、リベラルや左翼だった人たちも含めて皆、対英米戦争にのめり込んだ。日本国民も同様にのめり込んだ。日本の中学校、高校の社会科の教科書には「ABCD包囲網」すなわちAアメリカ Bブリテン(イギリス) Cチャイナ Dダッチ(オランダ)の4つにほういされ経済封鎖(禁輸)されたので、仕方なく日本は戦争に打って出た、という書き方をしている。
(略)28pから。
ところが、真珠湾攻撃が起きるその日まで、日本国民はアメリカ合衆国と交戦するなどと思ってもいなかった。政府の要人たちと軍のトップたち以外は、アメリカ合衆国との開戦への動きを知らなかった。何も知らされなかった。この大事な事を日本史学者(昭和史専門家)たちが書かない。1941年(昭和16年)の4月から、「日米交渉」が始まっていた(その準備段階を含めれば2月から)。
アメリカ政府はコーデル ハル国務長官が「日本は中国から手を引け。政府機関も居留民も、全て引き上げさせよ」と初めから要求していた。交渉官(全権公使)の野村吉三郎は海軍大将であって、もともと外交官ではない。助っ人で送られた来栖三郎(くるす さぶろう)は外交官だが、日独伊の軍事同盟(三国同盟)を推進した男だ。アメリカに好かれるはずがない。
この二人の日本の高官は、アメリカ側と真剣な厳しい交渉などしていない。どうもおかしな外交交渉だったのだ。アメリカは初めから日本に戦争を仕掛けさせようと計画していた。このようにしか、今となっては考えようがない。日本はまんまと騙され(嵌めら)れたのだ。
交渉の山場では二人はフランクリン・ローズベルト大統領とも会って話した。真剣で切実な交渉に見せながら、どう考えても和気あいあいと話をしている。そして12月には交渉決裂となった。「ハルノート」が11月26日に出されて、日本側はそれを「最後通牒」だ、と受け取った。日本は開戦を決定し、12月8日の真珠湾攻撃となる。その前から日本の連合艦隊は動き出していた。択捉島(北方四島の一つ)の単冠湾から11月26日に艦隊は出動、出港して真珠湾攻撃に向かった。6艘の空母が戦闘機と必要人員を満載していた。
アメリカ側は「突然、日本に攻撃された」と言う。だが本当は全部、計画的に仕組まれていたのだ。日本が上手に操られ、先に手を出したように事前に設(しつら)えられていた。のちに『真珠湾の真実―ルーズベルト欺瞞の日々』(文芸春秋、2010年刊 ロバート・B・スティネット著。)で明らかにされた。真珠湾攻撃はアメリカによって上手に、用意周到に実行されたのだ。戦争が始まるときには、日本をまず中国との泥沼の戦争に引きずりこんでおいて、そのあと日米開戦を仕組んだ。当然シンガポールや香港など大英帝国(イギリス)が東アジアに持つ拠点への攻撃も予想されていた。日本国民はアメリカと開戦するなんて思いもよらず、知りもしなかった。


昭和天皇が出席する御前会議が開かれた。昭和16年(1941年)には真珠湾攻撃決定までに4回も御前会議があった。開戦を準備する動きは着々と進んでいた。この時点で、全てアメリカとイギリスに仕組まれていた。日本は昭和天皇以下、国家指導者たちが騙され、策に陥ちていたのだ。この世界史の真実を歴史学者を含めて日本の知識人たちは今もあまり自覚がない。それで一番ひどい目にあって苦労するのは一般国民である。


29pから日米交渉(1941年11月17日)の写真(共同通信イメージズ) 向かって右から来栖三郎、コーデル ハル、野村吉三郎。1941年4月から12月まで8か月も長丁場が続いた日米交渉は、連日日本で報道された。のらりくらりとした交渉だった。どうせ日本がアメリカの言うことを聞くとは思っていない。初めから仕組まれていた。
以上 引用終了。


要するに初めから猿芝居だったのだ。

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いじめ被害者女子児童「死にたい」教師「you can do it !!(www)」

この教師のシニカルさに慄然とする。

(以下引用)

学校側は調査を拒否 女児の両親、教諭「花マル」書き込みに「震え止まらず」


配信

産経新聞

娘へのいじめに対する取材に答える女子児童の両親=12月11日、大阪市(秋山紀浩撮影)



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浮かれ女盛衰記

作者名も詩題も知らないが、おそらく森鴎外主宰の新声社の翻訳で、七五調の音声が快くて覚えている詩がある。ただしうろ覚えである。


流れの岸のひともと(一本)は
御空の色の水浅黄
波ことごとく口づけし
はたことごとく忘れゆく


「はた」は「また」と同じ。もちろん、これはある種の女性と男たちの関係を描いたものだろう。
これで思い出すのが、大島弓子の「海にいるのは」で、主人公(あるいは副主人公)の母親が娼婦で、その女性が窓辺で椅子にかけて時折口ずさむ詩である。「海にいるのは」というフレーズ自体は中原中也の詩の一節だろう。

海にいるのは男たち
寄せる偽り
返す真実
寄せる真実
返す偽り

これもうろ覚えで、最後の2行は私が作ったかもしれない。
で、このふたつの詩で私が連想するのはバルザックの「浮かれ女盛衰記」という小説のタイトルで、私はその小説自体は読んでいないが、男女関係においてある種華やかな生き方をしてきた女性の幸福と悲哀を表す題名だな、とは思う。もちろん、娼婦と単なる「浮かれ女」を同一視はできないが、男女関係という点では同一だ。まさに、男たちは彼女に一時期だけ近づいて消えていくのである。川岸や海岸に寄せる波と同じである。もちろん、男たちの中には彼女を「忘れ得ぬ人々」のひとりとして一生記憶に残している男もいるだろう。



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ガザで盲いて

「福音の史的展開」というサイトから転載。
パウロ(サウロ)が「ガザで盲(めし)いた」状況である。
で、私は、これはパウロの作り話で、パウロは自らキリスト教の内部に入って、それを変質させようとした「思想スパイ」だったと思っている。
その後のパウロが土台を作ったカソリック教会の「キリスト教」が本来のイエスの教えとはかけ離れた、「人民支配の道具」になっていくのは誰でも知っているだろう。
さて、ガザはカソリックにとって聖地だと思うのだが、今のガザでの「ユダヤによる他民族虐殺」について、ローマ法王やカソリック関係者、あるいはキリスト教関係者は何か発言しているだろうか。



(以下引用)

  第二節  パウロの回心とアンティオキア共同体の成立


はじめに

 前節で、エルサレムに成立したユダヤ人たちのキリスト信仰の共同体が、使用言語の違いからアラム語系ユダヤ人の共同体とギリシア語系ユダヤ人の共同体に別れたことを見ました。エルサレム共同体はもともと、ガリラヤでイエスの弟子であった「十二人」の使徒たちの福音告知によって成立した共同体であり、「十二人」が代表するアラム語を用いるパレスチナ・ユダヤ人の信仰共同体でした。その共同体にエルサレム在住のギリシア語系ユダヤ人が加わったことによって、エルサレム共同体の福音活動に重大な変化が生じます。ギリシア語系ユダヤ人のグループは、「十二人」の承認の下に「七人」の代表者を立て、周囲のギリシア語系ユダヤ人の間で活発な福音告知の活動を始めます。そのとき、彼らのディアスポラ・ユダヤ人としての体質から、神殿での祭儀や伝統的な律法順守に対して批判的な言動がなされ、それに反発する周囲の律法熱心なギリシア語系ユダヤ人との間に激しい論争が起こり、彼らの代表者であるステファノが石打で殺されるという事件が起こります。今回は、この事件から引き起こされた結果をたどることになります。


  Ⅰ パウロの回心

迫害者サウロ

 ギリシア語系ユダヤ人の間に起こった激しい論争で、ステファノグループを迫害する側の先頭に立ったのは、同じくギリシア語系ユダヤ人の会堂で指導的な立場にいた年若い新進気鋭のファリサイ派律法学者サウロでした。サウロは、ステファノが会堂の衆議所に引き立てられたとき、彼の石打の処刑に賛成し(八・一)、石打が行われたときには、最初に石を投げる証人の上着を預かるなど立会人を務め、積極的にステファノの石打に参加しています(七・五八)。それだけでなく、彼はその後もイエスをメシアと言い表す信者を探索し、見つけ出せば会堂の衆議所に送り、審問にかけるという活動を続けます。ルカは彼の弾圧活動を、「サウロは家から家へと押し入って《エクレーシア》を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた」と記述しています(八・三)。


 この迫害の急先鋒となったサウロこそ、後にイエスの僕となり、イエスをキリストとして世界の諸民族に告げ知らせる偉大な使徒となったパウロに他なりません。どうしてこのようなことが起こったのか、それは何を意味するのかを理解するために、ここで迫害者として現れたサウロとはどういう人物であったのかを見ておきましょう。


 サウロは、キリキア州の州都タルソス出身のディアスポラ・ユダヤ人です。サウロの両親は、タルソス在住の敬虔なユダヤ教徒であり、サウロが生まれたとき、八日目に割礼を施し、自分たちが所属するベニヤミン族の英雄サウル王にちなんで「サウロ」と名付けました(フィリピ三・五)。ヘレニズム都市に住むディアスポラ・ユダヤ人の通例として、「サウロ」というユダヤ名の他に、「パウロ」というギリシア語の名前も用いていました。このように二つの名前を持ち、ギリシア文化の中でギリシア語を母語として育ちながら、ユダヤ教の伝統に従って教育を受けるという二重性が、後のパウロを形成することになります。


 サウロの父親は、キリキア特産の天幕布織りを職業としていました。父親はサウロをラビ(ユダヤ教の教師、律法学者)にしようと願ったのでしょう、幼いときからその職業を教え込みました。当時ラビは、無報酬で教えることができるために手仕事を習得することが求められていました。後にこの技術がパウロの独立伝道活動を支えることになります(一八・三)。


 サウロが生まれ育ったタルソスは、当時のヘレニズム世界で有数の文化都市であり、ギリシア文化の学芸が盛んな都市でした。ギリシア語を母語として育ち、ギリシア語を用いる初等の学校で教育を受けたサウロは、当時のギリシア思想文化を深く身に染みこませていたと考えられます。しかし、厳格なユダヤ教徒の家庭に育ったからでしょうか、ギリシア哲学とか文学・演劇などに深入りした形跡はないようです。


 サウロは青年期にエルサレムに行って、そこで律法を学びます。何歳の時にエルサレムに渡ったのかは確認できません。パウロは後に自分がファリサイ派であることを明言していますが(フィリピ三・五)、当時のエルサレムで指導的なファリサイ派のラビはガマリエルでしたから、自分はガマリエルの門下で律法の研鑽に励んだという、ルカが伝えるパウロの証言(二二・三)は十分信頼できます。七〇年以前のユダヤ教で、ファリサイ派ラビの律法教育がエルサレム以外の地で行われることはありませんでした。ガマリエルはヒレルの弟子で、二〇年から五〇年の頃活躍したファリサイ派を代表するラビです。従って、三三年頃に舞台に登場するサウロが、それまでガマリエル門下で学んでいたことは十分ありうることです。


 ガマリエルの下で律法(ユダヤ教)の研鑽に励み、その実践に精進した時代のことを、後にパウロは「わたしは先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年頃の多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました」と語っています(ガラテヤ一・一四)。このガマリエル門下での律法の研鑽によって、聖書の言語であるヘブライ語を十分に習得し、また、長年のエルサレム在住によりその日常語であるアラム語も使えるようになっていたことは、十分に推察できます。


 しかし、ギリシア語を母語とするギリシア語系ユダヤ人として、ギリシア語系ユダヤ人の会堂に所属し、そこで律法(聖書)の教師として働き、聖都に巡礼したり在住するようになったディアスポラ・ユダヤ人に聖書を教え、また、ユダヤ教にひかれて聖書を学ぼうとする異邦人に律法(ユダヤ教)を講じ、彼らが割礼を受けてユダヤ教に改宗するように導く働きをしたと考えられます。後にパウロはこの活動を「割礼を宣べ伝える」と表現しています(ガラテヤ五・一一)。


 このようにギリシア語系ユダヤ人会堂で責任ある立場にいたサウロは、イエスをメシアと言い表すギリシア語系ユダヤ人たちが、モーセ律法や神殿祭儀に批判的な言動をするのを見過ごすことはできませんでした。サウロは、イエスと同時代のエルサレム在住のユダヤ人として、イエスがエルサレムの最高法院で裁判を受け、ローマ総督に引き渡されて十字架刑により処刑された事実はよく知っていたはずです。それを目撃したり、その過程にかかわった可能性も十分あります。その後、数人のガリラヤ人によりイエスをメシアと宣べ伝える運動が始まったとき、それがユダヤ教の枠内で行われている限りは、師のガマリエルと同じく、ことの成り行きに委ねることができました。しかし、一部のギリシア語系ユダヤ人がその信仰のゆえに律法(ユダヤ教)そのものをないがしろにするような言動を示したとき、黙って見過ごすことはできませんでした。先にステファノの殉教のところで見たように、サウロは迫害者として舞台に登場します。

  •   迫害者として舞台に登場するまでのサウロと彼の迫害活動について詳しくは、拙著『パウロによるキリストの福音Ⅰ』43頁以下の「ユダヤ教時代のパウロ」と「迫害者パウロ」の両節を参照してください。なお、そこでステファノの殉教を「リンチ事件」としていることは訂正しなければなりません。先に見たように、ステファノの石打は、民衆の激高によるリンチ事件としての様相も見せていますが、やはり(最高法院ではありませんが)会堂の衆議所の審問と判決を経た処刑と見なければなりません。

 

復活者イエスとの遭遇

 さらにルカは、「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった」と報告しています(九・一~二)。サウロは、エルサレムだけでなくダマスコの諸会堂にも探索の手を伸ばします。ダマスコにも「この道に従う者」、すなわちイエスをメシアと言い表すユダヤ教徒がいることが報告されてきたからです。この時ダマスコにいたエスを信じる者たちとは、エルサレムでの迫害を逃れてダマスコに行った人たちを指すのか、その時までにダマスコにも信じる者たちの共同体が成立していたのか、確認は困難です。しかし、サウロを迎え入れた後のアナニアを中心とする彼らの活動を見ますと、この時までにかなりの規模の信者の共同体が存在していたと見る方が順当でしょう。


 そうすると、ダマスコの共同体《エクレーシア》はどのような経過で成立したのかが問題になります。まだエルサレムのギリシア語系ユダヤ人の福音活動はダマスコには及んでいません。エルサレムの会堂との密接な交流によって、メシア・イエスの信仰が伝えられたのか、地理的に近いガリラヤからの伝道活動で信じる者の共同体が形成されたのか、詳しいことは分かりません。ガリラヤからの影響の可能性が高いと考えられますが、ガリラヤでの信仰運動の実態が分からないので、確定的なことは言えません。


 とにかく、ダマスコの諸会堂がこの新しい信仰によって動揺することを恐れたエルサレムのギリシア語系の諸会堂は、迫害の先鋒を担うサウロをダマスコに派遣します。サウロは大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての添書を求めます。他の地域の諸会堂で逮捕連行のような検察官の任務を行うのですから、ユダヤ教の最高機関の承認と任命によることを示す必要があります。おそらく、逮捕連行するための神殿警察隊も同行したと考えられます。ルカは、サウロの迫害行為が大祭司や祭司長たちの承認による行動であることを、繰り返し強調しています(九・一四、二二・五、二六・一〇と一二)。こうして、エルサレムのギリシア語系ユダヤ人の会堂で始まった迫害は、最高法院の権限による広い地域での迫害に拡大します。
 「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らし」ます(九・三)。それは真昼ごろであり、その昼の光よりも強い光が天から一行を照らします(二二・六参照)。この光は神の栄光の光であり、真昼の太陽の光をもしのぐ強烈な明るさで一行を(照らすというより)打ちます。


 「サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞」きます(九・四)。その光は自然の光ではなく、人格から発する光であることが、その光がサウロの名を呼んで語りかけることから分かります。この語りかけは、「サウロ」というヘブライ名を使っていることから、ヘブライ語(またはアラム語)でなされたことが分かります(二六・一四参照)。

  •  新共同訳はこの呼びかけを「サウル」としています。これはギリシア語で、《サウロス》(日本語表記ではサウロ)という人に呼びかけるときの形(呼格)が《サウル》だからです。呼格がない日本語への訳では、「サウロ」のままでよいのではないかと考えられます。

 サウロはこの光に打たれて地に倒れたとき、自分の前に一人の人格が迫っていることを感じます。しかし、それが誰であるか分かりません。サウロに強烈な光として現れた人格は、「なぜ、わたしを迫害するのか」と迫り、サウロがまさに迫害してきた相手であることを告げます。サウロは思わず、「主よ、あなたはどなたですか」と訊ねます。すると答えが来ます、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」。(九・五)
 この強烈な光として現れた人格は、復活されたイエスだったのです。復活者イエスが、神の栄光の強烈な輝きをまとってサウロに現れたのです。復活されたイエスが弟子たちに現れるとき、生前のイエスをよく知っている弟子たちでも、それが誰であるか分からないのが普通です。現れた人格が、地上の人間の容相とは違うからです。現れた方が言葉をかけることによってはじめて、それがイエスであることが分かります。この場合も、復活者イエスが顕現されるときの典型的な様相を示しています。


 サウロの場合この体験は、探し求めていた方についにめぐり会ったとか、たまたま出会ったというような性質のものではありません。突然敵将に遭遇したのです。今の今まで敵対し攻撃していた敵軍の将が、突如思いもかけないときに、その強烈な力をもってサウロの前に現れたのです。サウロはその力と威厳に圧倒されて、地に倒れ伏します。


 「主よ、あなたはどなたですか」と訊ねたサウロに、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」という答えが響きます。サウロは地上のイエスを知りません。直接イエスを迫害したことはありません。サウロが迫害したのは、イエスを信じるユダヤ人です。しかし、実は彼らの中にいますイエスを迫害していたのです。復活者イエスは、イエスを信じる者とご自分を一体として、彼らを迫害することは自分を迫害することだとされるのです。
 このようにご自身が誰であるかを示された後、「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」と、降参して倒れ伏しているサウロに、これからなすべきことを指示されます(九・六)。


 「同行していた人たち」とは、ダマスコのイエスの信者を逮捕してエルサレムに連行するために、サウロに同行していた神殿警察の一隊でしょう。彼らも光に照らされ、サウロが発する声は聞こえたのですが、だれの姿も見えないので、あまりの驚きにものも言えず立ちつくしていました。「あなたはどなたですか」という問いに対する答えは、サウロの内面だけに響いた言葉であり、ここで復活者イエスを見たのはサウロだけで、同行者はだれも見ず、イエスの言葉も聞かなかったと考えられます(九・七)。


 「サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった」。サウロの目は、あまりにも強烈な光を見たために、見えなくなっていました。それで、「(同行の)人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行」きます(九・八)。

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老人として成長する日々

「伸びしろを感じる」という言葉が、まさにギャグの達人である。
私も、これからが伸び盛りかwww
ちなみに、これは12月8日のツィートだが、去年の12月8日だ。1941年の12月8日ではない。

(以下引用)
TORI MIKI/とり・みき
@videobird
老人力とはまさによく言ったものでトイレに入って出てくると次に何をするつもりだったかきれいに忘れている。昔は努力してもそんなことは出来なかった。伸びしろを感じる。

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東海アマ氏の「カルマ思想」

「東海アマ」ブログ記事の抜粋で、私の目からは思想的に支離滅裂に見えるが、自分自身の人生を正直に語っているところはいい。だが、それを「カルマ」という言葉で片づけているのは私には気に入らない。その「カルマ」が、「自業自得」にとどまらず、自分の前世やそのはるか昔の人生の影響だとするなら、いったい東海アマ氏は前世や前々世でどんな悪行を積んできたのかwww
で、今の世で悪行を積み重ねている上級国民は今の人生でどんな善行をし、その前世や前々世でどんな凄い善行をしてきたのか。馬鹿を言うのもほどほどにしろ、と言いたくなる。

自業自得とは、勉強をして学力をつければ、いい大学に入れ、いい企業に就職でき、裕福な後半生を送れる、という程度のものだ。あるいは、自分を肉体的に鍛え上げれば、スポーツの世界で成功できる可能性が高い、という程度のものだ。そんなのは「善行」とは何の関係もない。品性下劣な成功した商売人や芸能人やスポーツ選手は無数にいる。
東海アマ氏の今の生活は、若いころから氏が選んできた人生の生き方の結果であり、まさに自業自得ではあるが、それは先祖代々(と言うより輪廻的継続性のある幾つもの前世)の悪行の結果ではあるまい。実に情けない、「責任転嫁」思想である。しかも、氏が自分の若いころにした「悪行」が、現在の貧困生活とどう関係しているというのか。悪の限りを尽くして、裕福で幸福な一生を送った悪党は無数にいる。氏が批判し続けてきた原子力村の住人もその一種だろう。
(ただし、私は悪党などの物質的裕福さを「幸福」だとは思わない。それは道徳的退廃による精神毀損を代償としているからだ。人間の本当の生活は脳の中、思考と精神の中にこそある、というのが私の思想だ。他者に為した悪行は、その悪人の精神を毀損しているのだ。ただし、殺人だから悪行というような単純な考えでもない。殺人も、暴君暗殺などのように、時には道徳的行為だが、ただし、それが誤った情報による愚行の場合もある。)
氏が社会の悪(特に原子力村)と戦ってきたことを、私は非常に高く評価し、尊敬しているだけに、氏のこのような情けない発言を私はあえて批判するのである。
東海アマ氏は、勝海舟流に言えば「気が飢えている」、つまり気力が沮喪しているのだろう。まあ、国会議員や大臣、原発企業役員とまでは言わないが、せめて、あの悪質な隣人老人を〇してみたらどうか。  もっとも、返り討ちに遭う可能性のほうが高そうだwww その計画を考えるだけでも、楽しいと思うが。今こそ氏は失うものの無い「無敵の人」ではないか。世の中の害虫的存在をひとつ消すだけでも立派な社会貢献である。

(以下引用)

 「カルマ」とは、自分が行った行動・態度は自分に帰ってくるという意味である。一般的に、「カルマ」という言葉は悪い行いのみが影響を及ぼすという意味にとらえがちだが、実は善悪を問わないニュートラルな言葉である。
 さらに、「カルマ」は現在進行形で、常にそれぞれの人に積み上げられているものだ。つまり、善行を重ねれば明るく良い結果が生まれ、悪事を繰り返せば同様の壊滅的結果が生じるという意味がある。

 ちなみに、「カルマ」は必ずしも人の行動・態度から生じるのではなく、思考や欲望、性癖も関係している。それは、行動の根幹は精神と直結し、心の内は行動に現れるためだ。

 「カルマ」は、スピリチュアルの世界、いわゆる魂の世界を解釈する際にも使われる。スピリチュアルの世界でのカルマは、自分自身の行動・態度・思考が自分に帰って来るだけではなく、前世の悪事・善行も今世に影響を与えるという考えだ。
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 一部引用以上

 なんでカルマを引用しているかというと、私のように世間的な富や名誉の人生から落ちこぼれた貧乏老人は、自分自身の人生を振り返って、若い頃なした悪行が、今の自分に反映している現実を非常にリアルに理解できるのだ。
 毎日考えることは、「ああ、あのとき、あんな悪いことをしたから、今の自分の苦しみがあるのだ……」という因果応報の経路ばかりなのだ。

 これが、名誉や財産や地位や、たくさんの家族に恵まれている人には、なかなか理解できないだろう。また、自分の人生の汚点を、他人を見下すことによって覆い隠そうとしている人にも理解できないだろう。
 これは、誰からも見放された、何も守るもののない落ちこぼれ老人の特権なのである。
 だから、私は、どんなカルマが、自分の人生を演出してきたのか、普通の人よりも、はっきり理解できていると思っている。
 そしてカルマについて、考えることも多く、その深い真実に気づかされるのである。

 もう人生の出口、終着駅がはっきりと見え始めている私にとって、他人に対して優しくできなかった偏狭な自尊心が、どれだけ私の人生を窮屈で悲惨なものにしてきたのか後悔しかない。
 もっと他人の笑顔のために生きれば良かった……利他主義に生きれば良かった……そうしていれば、温かい思い出に浸りながら次の人生に迎えただろうと、後悔しながら物質的肉体の終焉を待つばかりだ。

 まあ、70年も生きていると、あらゆる物質的な満足が虚構にすぎないことを思い知らされる。高級車も豪邸も美人妻もイケメン夫も、他人を見下す地位も、貯め込んだ財産も、まるで過ぎ去る雲のように不確実で、一瞬の夢幻にすぎない。自分にとって何の価値もない。
 秀吉が死ぬ間際に「浪速のことは夢のまた夢」と辞世を述べたのと同じだ。

 そんな物質的虚構なんかより、人生で接点のあった他人との関わりで、相手のひとときの笑顔が心を癒やしてくれたことこそが、人生でもっとも価値の高い実存であり、果実なのだと思えるようになる。
 財産という物質的虚構と、「他人に親切にできた」という精神的果実(自己満足)の比較評価ができるようになる。それが70年という人生体験である。
 
 ただし、財産や地位に執着のある人には無理だ。真実を見抜くことができる資格は、守るべき価値への執着のない人生である。それは、人生の本当の喜びは、他人の小さな笑顔を見て刹那の満足を得ることでしかないと知ることだ。

 人生とは何か? 釈迦は「無記」としたが、何の物質的価値も持たない貧乏老人にとっては、真実を知るための虚構のプロセスであり、真実のように思い込まされている茶番劇であることが、はっきりと理解できる。
 我々の肉体、我々の人生は、生まれる前から定まっている。それを定める正体は「前世のカルマ」である。

 人はカルマのために肉体を持ち、カルマを解消するための人生経験を重ねる。その人生で克服できなかったカルマは、さらに次の人生に持ち込まれる。
 こうして、数百、数千の輪廻転生を繰り返しながら、少しずつカルマの少ない人生に向かってゆく。完全にカルマから脱却できれば、それは双六の上がりのようなもので、もう物質的肉体を得る必要もなくなる。
 これがヘーゲルの指摘した「イデー=絶対精神」である。

 こう考えれば、カルマの全体像が朧気に見えてくる。我々の物質的人生は、カルマのための茶番劇なのだ。
 だから、突然人生の終焉を突きつけられても、心配する必要はない。すぐに次の肉体が待ち構えて、その人生で克服できなかったカルマの課題に向き合う人生が始まるからだ。

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推理小説における「観の目」と「見の目」

宮本武蔵の「五輪の書」に、「観の目と見の目」という思想が書かれていて、これは人生哲学として非常に重要な思想だと私は思っている。それは、「物事を大きく広く見る観の目と、物事の細部を詳しく見る見の目が剣術家(当時は芸者と言っていた。今は武芸者と言う)には必要だ」という思想である。
私は、「観の目」が優勢な人間で、「見の目」は開きめくらに近い。まあ、日本人では異端の血液型のせいだろう。小さなものを注視するのが苦手で、同じ物を十秒と続けて観察できない。A型の人間は「見の目」が優勢のようだが、日本人はA型が一番多いらしい。それは、造形芸術など、特に模写能力の高さとして現れる(ネットには素人の描いた見事な写実絵画が無数にある。)が、飛躍的な物事を苦手とする。だから、日本では優れたシュールレアリズム絵画は生まれなかった。そして、「不思議の国のアリス」のような小説も生まれなかった。まあ、漱石の「夢十夜」あたりが、いちばんそれに近いか。

さて、以上は話の枕であるが、本題にももちろん関係する。本題は、今読みかけの「見えないグリーン」のことで、残りページも少ないので、そろそろこの推理小説の出している問題の解答を考えてみようということだ。305ページ中の266ページまで読んだ時点である。つまり、残り2割弱か。ただし、私のそれは「論理的」解答ではない。というのは、この小説自体が「推理小説における『事実』や『論理』への嘲笑、パロディ」ではないか、というのが私の直感だからだ。
推理小説の読者は作中の「事実」や、主人公(多くは「探偵」である)の「論理的」推理を後追いして、小説の謎の解明や犯人が誰かに頭を悩ませる。だが、言うまでもないことだが、その「事実」は作者が提供したフィクションであり、「探偵」の推理も、作者が彼を「名探偵だ」と保証しているだけにすぎない。ヘボ探偵が主人公の推理小説は稀だろう。昔のドーヴァー警視(警部?)とか何とかいった主人公のように、とりあえず近くにいた人間を何の根拠もなく「お前が犯人だ!」と捕まえ、それがだいたいまぐれ当たりするという小説は稀だと思う。
で、私はそのドーヴァー方式で行くつもりだ。
この推理小説の根幹は、前に同じ小説に出て来る小話として私が紹介したパズルにあると思う。
つまり、「情報は、それ自体が誤解を生む」ということである。
で、第三の殺人事件の被害者である推理マニアの老婦人が、なぜ甥とその婚約者のパーティを欠席しながら、あのような「無意味」そうなパズルをわざわざ送ったか、というのが問題だ。
それは、「私には一連の殺人事件(前の2回)の犯人が分かった」あるいは「お前(甥)の身に危険が迫っている」というものだろう。前者の場合はそれを、パーティ参加者全員に知らせることに意味があったわけだ。だが、それで事態の急転を知った「犯人」は、急いでその老婦人を殺したわけである。
さて、あのパズルの意味、あるいは思想は何かと言えば、「物事は、そう見えることの反対であることがある」ということだ。男だと思っていたら女だった、というのがあのパズルだった。
そこで、この推理小説「見えないグリーン」が延々と書いてきたのは、素人推理愛好家7人組にまつわる話で、たいていの読者はその7人の中に犯人がいる、と思うわけだ。だが、殺された老婦人(女史と言っておく。頭脳明晰な女性だ)が言うように、「窃盗で裁判にかけられた男がいて、検察側は彼の犯行を見ていた四人の証人を召喚したの。すると被告は、彼が盗むところを見たことがないという証人を八人呼んだんだって!」ということで、「事実」をいくら集めても「真実」になるとは限らない。女史は、検察側の立場に立って(だと思うが)「反証が無いということは証拠にはならない」と言っているが、この話はむしろ「事実」というものの危うさを示していると思う。黒い烏を何万羽集めても、白い烏が存在しない証明にはならない。
で、この「見えないグリーン」が推理小説愛好家7人組の話を長々と積み上げてきたのは、実はそれが「重要でない」は言い過ぎにしても、「ミスリード」としての機能だった可能性が大きいと私は思うわけである。いわゆる「赤いニシン」である。
で、ほとんど根拠は無いが、ドーヴァー流に、手近な人間を「お前が犯人だ!」とするなら、私は殺害された老婦人の「善良そのものに見える」甥と、その共犯者として彼の善良そうな婚約者を挙げる。このふたりは、少なくとも「第二の殺人」では、犯行機会が一番ある人物で、ただ「犯行動機」が無いと見られて警察には嫌疑をかけられなかったのだろう。で、第一の殺人は三つの殺人事件ではもっとも不可解な「密室殺人」だが、これは密室の中で死亡者が病気で急死したとすれば、殺人事件でも何でもない。この第一の死が例の老婦人に第二の殺人を思いつかせ、甥を手先として第二の殺人事件をやらせた可能性もある。で、「殺人事件計画立案者」の女史が、甥に「例の事件が発覚する可能性がある」という警告の「パズル」を出したことで甥は逆に、「すべてを知っている」伯母を殺害したというわけだ。まあ、甥(あるいはその婚約者)がパーティ会場からどうして抜け出したかは分からないが、これはいくらでも作者が事情を説明する「小説内事実」を出してくれるだろう。
要するに、小説内の情報が多すぎることで、私はこれらの情報の大半はミスリードのための情報だ、と判断したのである。というより、私の記憶能力では、それらの情報を覚えていられないから、ドーヴァー方式を採用するしかないwww


(追記)一応、答え合わせを報告しておくと、私の答えは「半分正解」である。詳しくは言わない。ただし、第三の殺人(メインの殺人)の殺害方法はほとんどギャグである。ゴルフと関係はある(地面に置かれた少し大きいだけのボールをドライヴァーで打つのだから、ゴルフの素人には難しい。ただ、その「ボール」がなぜ動こうとしないのかが問題だ。)が、「ゴルフ場のグリーンとは無関係」と言っておく。第一の死亡事件も他殺で、これもギャグにしか見えない。ヒントは、マルクス兄弟の某映画である。森博嗣あたりが喜びそうな「物理的」手段だ。作者のスラデックは本来はSF小説書きらしい。




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