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数学信仰・科学信仰

図書館から適当に借りた本が、私の大嫌いな幻冬舎の本だったのだが、何か気を惹かれるものがあったから借りたのだろうと、とりあえず読んでみた。まあ、理系男子が出版社に入って、理系知識を生かしてベストセラーを出そうという話で、要するに、統計的手法で「売れる本」の傾向を割り出すということだ。馬鹿な話である。編集者の経験に基づく勘より統計のほうが信頼できるなら、ほとんどの編集者を首にしていい。パソコンがあって作業員がひとりいればいい。作中に書かれるブラックな出版社の編集の仕事というのも必要がなくなるだろう。まあ、パソコンに、作家先生との交渉や駆け引きができるか、「統計」が交渉の材料になるか、怪しいものだ。作家(ノンフィクションライター含む)は書きたいものを書くためにその仕事をしているのである。編集者からの注文どおりの仕事をするなら、自由業どころか奴隷にすぎない。
この作品の筆者はまさに理系男子で、東大卒らしいが、数学を全能の神のように信仰しているようで、作中に数学賛美の文章がひっきりなしに出て来る。私も理系の話題は嫌いではないので、最後まで読んだが、作者の理系信仰、数学信仰にはうんざりした。素数が美しいとか、別の何かの小説にも出てきたが、美しいか? なぜ素数以外の数字より「美しい」のか、私にはまったく理解できない。
ちなみに、数学の話だけではなく、最初に「オルバースのパラドックス」という、私には初耳の宇宙物理学の話が出て来るが、私は一読して、実にくだらない説だと思った。これが現代でも解けない(らしい)宇宙の謎だとされているらしい。

「この宇宙が無限に広がっていると仮定すると、そこには当然、無数の星が浮かんでいるはずである。すると、地球には無限の光が届くことになり、夜空は無限の明るさで輝いていないとおかしい」

という説らしい。さて、あなた、この説(19世紀にオルバースという人物が発表して以来、百数十年にわたって議論され続けたと書かれている。)のどこがおかしいか、分かりますか?




「宇宙には無数の星が浮かんでいる」なら、自らは発光しない星のほうが圧倒的に多いはずである。そして、発光する星が出した光は、それらの発光しない星によって遮られ、その後方には光は行かないはずだ。とすれば、「地球には無限の光が届く」のではなく、たまたま光が届く星と届かない星があるだけの話になるのではないか? 「それは光が直進するという前提での話で、『光も曲がる』のだ」としても、その曲がった光もまた他の星に遮られる可能性が高いだろう。何しろ、「無数の星がある」のだから。

まあ、中学生レベルの思考だとこうなるのだが、科学者たち(昔は『天動説』を信じていた連中だww)は、このオルバースの説を論破できなかったらしい。


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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