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般若心経と「ルール・ブリタニア」

今朝の未明の散歩の浮遊思考は、最初が仏教哲学のことで、その真髄は「色即是空 空即是色」にある、ということで、さらに、なぜ「色=空 空=色」になるかと言えば、その中間に「この世界の観察者」としての「我」があるからだ、ということで、当たり前と言えば当たり前だが、あまり誰も言っていないことのような気がする。
仏教とは畢竟、これだけのことで、だから、これは宗教ではなく哲学だ、と私は言っているのである。単純だが、このことを理解すれば、解脱できる。まあ、輪廻とは結局「迷いの世界」のことだ、というのが私の解釈だ。このことは前に何度か書いてあると思うが、いずれまた書くかもしれない。ちなみに、「色」とは、すべての現象のことである。
それから、源実朝の歌になぜ字余りが多いのか、という浮遊思考が浮かんできたが、そのきっかけというか、連想の元になったのが「もの言はぬ 四方(よも)のけだものすらだにも あはれなるかなや 親の子を思ふ」という歌で、正確な引用かどうかは保証しない。つまり、前の仏教思想からの関連で、「人間の情」と「色即是空 空即是色」は折り合いがつくかどうか、というのが潜在意識にあったのだろうと思う。で、源実朝という「政治家」は、感情過多の人間だったと私は想像しているのだが、「あまりに同情深い」というそれは人間としての美質だが、彼が若くして暗殺されたことは周知の事実だ。つまり、「用心深さ」が足りなかったのかもしれない。
さらに、これらのことを考えながら歩いている間中、通奏低音のように、あるメロディが心の底で流れていたのだが、それが何かと考えて、しばらくの思考の後、「ルール・ブリタニア」だと判明した。帝国主義イギリスを象徴するような軍歌(第二国歌とも言われる)で、行進曲でもあるから、散歩の伴奏曲向きではある。その歌詞をネットから探して載せておく。日本の軍歌とはかなり趣が違うことが分かるだろう。帝国主義、侵略主義の堂々たる正当化であるwww ちなみに、ブリタニアは「ブリテン」の語源と言われる女神である。意味を補って歌の題名を訳すなら「ブリタニア女神(英国)よ、世界を統治せよ」だろうか。







(以下引用)



歌詞[編集]

When Britain first at Heav'n's command
Arose from out the azure main;
This was the charter of the land,
And guardian angels sang this strain;
Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall[will] be slaves.
この世のはじめ 神の命を受け
碧海の中から興る ブリタニア
「これこそ証 国の証ぞ」と
守護天使らは斯く 歌い合えり
統べよ、ブリタニア! 大海原を統治せよ
ブリトンの民は 断じて 断じて 断じて 奴隷とはならじ
The nations not so blest as thee,
Shall in their turns to tyrants fall;
While thou shalt flourish great and free,
The dread and envy of them all.
Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall[will] be slaves.
汝より祝福されえぬ国は
暴虐なる支配者の前に伏すだろう
なれども汝、豊かに自由に繁栄し
他の恐れと羨望 その身に浴びるを 感じるだろう
統べよ、ブリタニア! 大海原を統治せよ
ブリトンの民は 断じて 断じて 断じて 奴隷とはならじ
Still more majestic shalt thou rise,
More dreadful from each foreign stroke;
As the loud blast that tears the skies,
Serves but to root thy native oak.
Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall[will] be slaves.
他国らがさらに畏怖して見つめる程
汝は尚も威厳もて育つべし
自然の樫の根付くことを除き
汝に服す 天裂く疾風の如く
統べよ、ブリタニア! 大海原を統治せよ
ブリトンの民は 断じて 断じて 断じて 奴隷とはならじ
Thee haughty tyrants ne'er shall tame,
All their attempts to bend thee down
Will but arouse thy generous flame;
But work their woe, and thy renown.
Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall[will] be slaves.
汝を屈さす力無き 暴君の
汝をおとしめんとする 試みは全て
怒りに代えて 寛大なる情熱と
彼らの悲劇と 汝の名声立たしむ
統べよ、ブリタニア! 大海原を統治せよ
ブリトンの民は 断じて 断じて 断じて 奴隷とはならじ
To thee belongs the rural reign;
Thy cities shall with commerce shine;
All thine shall be the subject main,
And every shore it circles thine.
Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall[will] be slaves.
汝にとって 支配は田舎の平和な地までも
汝の都市は 商業の繁栄をうけ
汝のものは全て 僕なる海原と
汝を取り巻く 数多の海の国
統べよ、ブリタニア! 大海原を統治せよ
ブリトンの民は 断じて 断じて 断じて 奴隷とはならじ
The Muses, still with freedom found,
Shall to thy happy coast repair;
Blest Isle! With matchless beauty crowned,
And manly hearts to guide the fair.
Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall[will] be slaves.
自由を見いだし給う 九女神
汝の幸福のため 浜辺を整えり 
ああ聖なる島よ! 無比の美を冠し
正義を守る 雄々しき心を秘めた
統べよ、ブリタニア! 大海原を統治せよ
ブリトンの民は 断じて 断じて 断じて 奴隷とはならじ

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超人という屠殺業者を崇める豚の群れwww

ある種の人々にニーチェが好まれるのは、「超人思想」という言葉のためではないか、と私は思っている。つまり、ニーチェの信奉者である自分=超人(に近い人間)という幻想である。
しかも、その「超人」の意味を把握していない可能性が高い気がする。
要するに、ニーチェの言う「超人」とは哲学者であり、アメコミ的なスーパーマンではないのだが、一般人がイメージするのは後者に近いかと思う。
場合によっては「悪人こそ(普通の道徳を超越しているために)超人である」と考える、アニメ的思想(「よう実」など、それだろう。)というか、なろう小説的思想の人間もいるが、そのほうが「通俗道徳」を否定したニーチェに近いだろう。現実には、普通人は悪人という「超人」に蹂躙される「畜群」なのだがww

(以下引用)


哲学的分野で言う超人(ちょうじん、ドイツ語Übermensch英語overmansupermansuper-human)とは、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが提唱した概念の一つであり、そのような新しいあり方を体現する人類の呼称である(その、漢字文化圏における表記)。


ニーチェはその著『ツァラトゥストラはかく語りき』において、人間関係の軋轢におびえ、生活保証平安、快適、安楽という幸福を求める現代の一般大衆を「畜群」と罵った。その上で、永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する「超人」であるべきと説いた。






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下級人類削減の「見えない悪魔」の手か




F1品種のことである。ご自分で調べられたい。

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「悪のヒーロー ジャン」の構想

2,3日前から読んでいたモリエールの「ドン・ジュアン」を今朝の寝床の中で読み終えたのだが、実に傑作である。中世的な不合理な精神への批判として完璧だ。しかし、当時の宗教や道徳への痛烈な批判が内容なので、当時は、そして現代でも物議をかもす作品だろう。
これを読んで、私はこれをアニメ化したら面白いだろうなと思ったが、もちろん映画化やテレビドラマ化でもいい。しかし、ほとんどが会話劇なので、映像化は困難というか、映像化しても魅力に欠けるだろうな、と思う。そこで、この話の中心思想、つまり哲学を内包しながら、話にはもっと起伏を与え、事件性、冒険性、アクションを多くするのが一番だと思ったが、先ほど散歩の中で考えたのは、サドの「呪縛の塔」(私は前にうっかり「虚栄の塔」と書いた記憶がある。「虚栄の市」とごっちゃにしたのだろう。)のラストの部分、主人公と神(か悪魔)との対話の場面である。宇宙を背景に、主人公と神が論争する、というのはイメージ的に興奮するのではないか。
で、私がその時考えたのは、「精神においては人間は神と対等だ」ということである。正直言って、どんな神話や宗教の神も、私を納得させる精神性が無い。ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の神も、ギリシャ・ローマ神話の神も、単に「人間の願望の集積」でしかないように思える。そこには、いわば「哲学」が無いのである。だから、合理性もない。単に、超越的存在だから人間はそれに従うしかないだけだ。それでは、王族や貴族には庶民が逆らえない権力と暴力性があるから従うしかないのと同じではないか。
で、その作品の題名を「悪のヒーロー ジャン」とする予定である。主人公はもちろんドン・ジュアン(スペイン読みではドン・ファン)で、私の作品では「ジャン・ジャック・テノーリオ」にする予定である。貴族の特権を利用して悪の限りを尽くす主人公の名前に、「民権論」のジャン・ジャック・ルソーを連想させる「ジャン・ジャック」を使ったのは、対比効果を狙ったものであるが、実は既成概念への反抗という点ではドン・ジュアンとルソーは近いのである。(最初の投稿では文中の「既成概念」を「規制概念」と変換されていたのに気づかなかった。こんな4文字熟語すら変換ミスする、変換機能とは何だろう。アホじゃないか。)
主人公のジャン・ジャックは、無道徳の漁色家で高慢そのものだが、この話の中ではヒーローらしからぬ情けない姿をしばしば見せるし、ヒロインたちも、欠点を見せる。つまり、我々凡人と同じなのである。しかし、不合理性(の桎梏)への反抗と、その勇気という点でジャン・ジャックはヒーローの資格を持つ。
で、話をあまり真面目に(深刻に)しないために、場面場面で小さなギャグをたくさん入れたい。たとえば、ジャンに捨てられたヒロインのひとりが完膚無きまでにジャンを弁舌でとっちめ、さっそうと帰ろうとした瞬間、何かに躓いて無様に転ぶなどの、初歩的なギャグである。それによって、むしろヒロインの可愛さを出したい。これは、フィールディングの「トム・ジョウンズ」の中で、ヒロインの完璧な美少女で性格の良さ抜群のソファイア・ウェスタンが馬に乗ろうとして転がり落ちる場面がヒントだ。
ちなみに、「神との論争」は、原作で主人公のドン・ジュアンが雷に打たれて地獄に落ちた、その後の場面である。劇では地獄落ちが暗示されているが、私はそれを宇宙という法廷での人間と神との論争の場面にするわけである。まあ、「2001年宇宙の旅」のラストあたりみたいな映像であれば最高だ。


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脂肪削減して死亡www

多くの医者が言っているが、コレステロールが高いほうが長生きするらしい。で、筋トレは「脂肪を削減する」のが原則だから、コレステロールの欠乏が免疫能力を低下させるのではないか。

(以下引用)


28: 名無しさん@おーぷん 24/02/13(火) 10:23:54 ID:Qfmq
ワイも筋トレ始めて風邪引きやすくなったわ

32: 名無しさん@おーぷん 24/02/13(火) 10:25:35 ID:In3p
筋トレするとマジで風邪ひきやすくなるよな
体への負担すごいんやなっめ

40: 名無しさん@おーぷん 24/02/13(火) 10:28:37 ID:E5NA
免疫とトレードオフとか大変やなあ

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世界的食糧生産削減という奇怪なアジェンダの「論理的根拠」

「大摩邇」所載の「あかいひぐま」氏の記事の一部で、私自身はその記事を斜め読みしただけだが、この部分には、私が疑問に思っていたことへの答えがあるように思う。「徽宗皇帝のブログ」に載せてもいい、政治経済的に重要な記事だとは思うが、裏付けの困難な「思索のヒント」にとどまる内容なので、このブログに載せておく。

要するに、私はDSが一枚岩だと考えていたが、NWOとは、実はロスチャイルドとロックフェラーのふたつの家族が、衰退していく西側経済の中で自己防衛のために推進しているだけのものだ、という考えである。で、世界の食糧生産削減という、怪奇極まるアジェンダの意味も、「世界経済規模を縮小させることで、両家族の世界経済への相対的権力を増加する」、というアクロバットである、ということである。なるほど、世界人口の大規模削減同様、悪魔的だが、ある意味論理的でもある。

(以下引用)

エネルギーとグリーン・アジェンダ

このアジェンダは、自称ダボスのエリートたちによって考案されたもので、ロックフェラーの弟子であるモーリス・ストロングによって1992年に構想された。ロックフェラーの弟子であるモーリス・ストロングが1992年までさかのぼる。このアジェンダに組み込まれた夢は、グレート・リセット(無意味な炭素ゼロのグリーン・アジェンダ)を実施することだ。ロックフェラー一族の目的は、この詐欺を使って世界経済を脱工業化することだ。


石油、ガス、石炭、原子力といったエネルギー生産の増加は、労働者一人当たりの生産性を向上させ、余剰を生み出す。逆もまた真である。エネルギーを削減すれば、経済は停滞し、衰退する。つまり、産業活動と生産性を低下させ、ウォール街の政策を優先させ、生産を破壊することは、家族にとって利益となるのだ。生産されないものを食べることはできない。


西側が衰退し、東側が台頭しているため、西側を支配する2つのファミリーは、衰退しつつある世界的な権力にしがみつこうと懸命になっている。


同様に、南半球における食糧生産も同様だ。アメリカの巨大農業企業に有利な土地改革を含む新たな政策が、これらの国々のほとんどに強要された。食料、エネルギー、金融がロックフェラーの支配下にあるため、これらの国々はワシントンの政策に従うか、飢餓に陥るか、制裁を受けるか、侵略されるかのいずれかである。


経済、金融、軍事、イデオロギー、メディア支配など、2つのファミリーを支えてきた主なベクトルは、すべて衰退の一途をたどっている。もうひとつの側面は、グローバル・サウスにおける天然資源の略奪である。

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「Stone me!」

トイレに置いて、少しずつ読んでいる、小鷹信光の「私のアメリカン・グラフィティ」という、アメリカ雑学談義の本、あるいは英語雑学談義の本があるが、その中に「stone me」という言葉がある。さて、これはどういう意味か、少しお考えいただきたい。












はい、時間切れ。
この本では、これは「おっ、凄い!」と訳されている。この訳が適切かどうかは置いておいて、なぜそう訳できるのか、その「理屈」を、まあ、屁理屈でいいから、少しお考えいただきたい。私の「解答」は数行の空白の後に書く。











さて、私の解答だが、これは文字通り、「俺に石をぶつけろ!」という意味だと私は思う。つまり、stoneを動詞として使ったわけだ。で、この言葉は、何かに驚いたりひどく感心したりした場合に使うから「おっ、凄い!」と訳されたのだろう。で、なぜそうなるのかと言えば、前に書いた「ダッシュボード(=衝突板)」と同じく、ユーモアだろう、というのが私の推理である。
つまり、何かにひどく驚いたという状態は、いわば茫然自失の状態だから、その自分を正気に戻すために、「誰か俺に石をぶつけろ」と言っているのだ、というのが私の解釈である。
まあ、世の学者や学習者は真面目な人が多いから、こういうふうにユーモアの観点から物事を考えるのが苦手なのではないか、と思われる。もちろん、私のこの考察が正解だと言い張る気はない。私を馬鹿だ阿呆だと思う人は私に石を投げてもいい。ただし、「罪無き者、まず石を投げよ」である。学習の面で間違ったことの無い者にだけ石を投げる資格がある。





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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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