画は 葛飾 北斎(葛飾 北齋)かつしか ほくさい
宝暦10年(1760)? ~ 嘉永2年(1849年)
号は、葛飾 北齋、前北齋、戴斗、為一、
画狂老人、卍 など。 作
「冨嶽三十六景 駿州江尻」です。
(注)管理画面とアップした画面では絵の大きさが変わっており、絵の半分以上が切れてしまった。興味がある人は元記事で確認してください。「ギャラリー酔いどれ」から転載。
初見の絵だが、一見して「葛飾北斎かな?」と思ったら案の定そうだった。まあ、誰でもそう思うのかもしれない。では、葛飾北斎の絵が一見して分かるのはなぜだろうか。
構図の大胆さがその一つだろうが、大胆と言うより「ダイナミック」と言うべきかもしれない。
別の言い方をすれば「一瞬を捉えた絵の中に、はっきりと動きがある」ということだ。
漫画なら、効果線などを使って動きを表現できるが、下の絵にはそういう効果線は描かれていないのに、「突風」がはっきりと「見える」。
もちろん、宙に舞う無数の紙や笠、風になびく草や枝、同じく風になびく人物の袖や裾が描かれているからだが、一瞬の情景を「ストップモーション」にすることで、逆に「モーション」が浮かび上がる。この画家の目と構想は凄い、と思う。下の絵は欧米には伝わっていないと思うが、伝わっていたなら、ある種の衝撃を西洋絵画に与えたのではないか。
なお、遠方の山や海の色などが大胆に省略されているのは、近景をクローズアップする効果を高めていると思う。
静物画を「スティル・ライフ」と言うと聞いているが、もともと生命の無い物を描いた「静物画」ではなく、北斎の絵は「life(生命、生活)」を「still」の状態で描いた、真の意味での「still life」ではないだろうか。
初見の絵だが、一見して「葛飾北斎かな?」と思ったら案の定そうだった。まあ、誰でもそう思うのかもしれない。では、葛飾北斎の絵が一見して分かるのはなぜだろうか。
構図の大胆さがその一つだろうが、大胆と言うより「ダイナミック」と言うべきかもしれない。
別の言い方をすれば「一瞬を捉えた絵の中に、はっきりと動きがある」ということだ。
漫画なら、効果線などを使って動きを表現できるが、下の絵にはそういう効果線は描かれていないのに、「突風」がはっきりと「見える」。
もちろん、宙に舞う無数の紙や笠、風になびく草や枝、同じく風になびく人物の袖や裾が描かれているからだが、一瞬の情景を「ストップモーション」にすることで、逆に「モーション」が浮かび上がる。この画家の目と構想は凄い、と思う。下の絵は欧米には伝わっていないと思うが、伝わっていたなら、ある種の衝撃を西洋絵画に与えたのではないか。
なお、遠方の山や海の色などが大胆に省略されているのは、近景をクローズアップする効果を高めていると思う。
静物画を「スティル・ライフ」と言うと聞いているが、もともと生命の無い物を描いた「静物画」ではなく、北斎の絵は「life(生命、生活)」を「still」の状態で描いた、真の意味での「still life」ではないだろうか。
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