世帯収入800万の家庭が破綻しそうだ、という話なんだが、そもそもタワーマンションが5000万もして、しかも月々の管理費が取られ、駐車場に毎月何万円もかかるw おまけに子供を私立校に入れたがるので、毎月10万円w そら、800万の年収程度じゃ破綻しますw 田舎はいいよw 500万で土地付き中古住宅w 駐車場はもちろんタダw 私立校なんて、最初から選択肢にないしw それでいて給料は都会と変わらないので、地方公務員最強ですw「世帯年収700万円を超え始めた人は『ウチは普通よりも上なんだ』という変な意識を持ってしまいがちで、いい家、いい教育、いい車を欲しがってしまう。しかも、なまじ収入があるために5000万円以上の新築マンションでも、親に頭金を出してもらったりして買えてしまうんです。 いつも書いてるように、伊豆半島の南部は平均世帯収入200万ですw でも、見てみると、そんなに貧しい感じはないですねw 都会では、いくらカネがあっても足りないけどw |
まあ、雨風をしのぐ家さえあれば、後は何とかして生きていけるのではないか、と私は思う。固定費というか、固定的出費が一番困る。国民健康保険とかね。年金のうち2割くらいが健康保険費で消える。健康保険費を出すと、医者に行くカネも無いwww
それでも私が何とか生きていけるのは、持ち家(中古の兎小屋だが)なので家賃が要らないからである。家賃が固定費の中では一番大きいのが普通なのではないか。
前にも書いたが、一生の出費の3分の1か4分の1は家賃である。となれば、人間は家賃を払うために生きているようなものだ。ならば、その家賃地獄から解放されるには持ち家を持つしかない。それで初めて安心立命の境地になれる、と私は思うわけだ。もちろん、地震でもくれば財産はすべてパーだが、それは借家住まいでも同じことである。
都会だと持ち家を持つのは難しいだろうが、田舎なら格安物件も多いのではないか。家など、新築と同様でも、一度でも誰かが住んだら「中古」になり、値段がガタ落ちするのだから、中古物件を探せば掘り出し物は必ずある。ただ、中古物件には銀行はカネを貸し渋る。
もっとも、東京に生活基盤があること自体が他府県とはまったく違うメリットがあるだろうから、都会住まいの苦労を耐えるには耐えるだけの意味があるわけだ。
特に、子供を「文化人」として育てるには東京に生活基盤を持つしかない。実は東京以外は「非文化」の土地だ、というのは知られているようで案外知られていない事実である。今でも文化人は9割がた東京出身である。文化の中心地で成長し、文化の中で知識を吸収して成人し、さまざまなコネを持つことは、他府県に生きる人には得られない特権である。
もちろん、そうした「コネ」的なものを除いて、ただ創造をするだけなら、どこで生まれようがどこで育とうが、優れた才能は芽を出すだろうが、温室の中で肥料を与えられて育つか、雑草や害虫の中で育つかの違いはある。ロクでもない文化環境の中でまともな成長があるとは思えない。
そもそも田舎者の私が(おそらく東京の人間には常識だったであろう)「キャリア」「ノンキャリア」という言葉を知ったのは成人後である。中学や高校のころにそんな言葉を知っていれば、東大に行くことの意味を理解し、国家官僚を目指していたかもしれない。当時の私は東大などに行くために死にもの狂いで勉強するのは馬鹿なんじゃないか、と思っていた。まあ、自分がやっていたら、受験勉強で発狂していたかもしれないがwww 要するに、田舎の子供の社会的知識はそんなものだ、ということだ。大人だって似たりよったりである。(これはネット時代以前のことだが、今でもネットに触れない層が大人の大半だろう。)
たとえば、東大を拒否するにしても、「知らずに拒否する」のではなく、「知って拒否する」という高いレベルの拒否ができる、というのが東京で育つことの意味である。
(以下引用)
それでも私が何とか生きていけるのは、持ち家(中古の兎小屋だが)なので家賃が要らないからである。家賃が固定費の中では一番大きいのが普通なのではないか。
前にも書いたが、一生の出費の3分の1か4分の1は家賃である。となれば、人間は家賃を払うために生きているようなものだ。ならば、その家賃地獄から解放されるには持ち家を持つしかない。それで初めて安心立命の境地になれる、と私は思うわけだ。もちろん、地震でもくれば財産はすべてパーだが、それは借家住まいでも同じことである。
都会だと持ち家を持つのは難しいだろうが、田舎なら格安物件も多いのではないか。家など、新築と同様でも、一度でも誰かが住んだら「中古」になり、値段がガタ落ちするのだから、中古物件を探せば掘り出し物は必ずある。ただ、中古物件には銀行はカネを貸し渋る。
もっとも、東京に生活基盤があること自体が他府県とはまったく違うメリットがあるだろうから、都会住まいの苦労を耐えるには耐えるだけの意味があるわけだ。
特に、子供を「文化人」として育てるには東京に生活基盤を持つしかない。実は東京以外は「非文化」の土地だ、というのは知られているようで案外知られていない事実である。今でも文化人は9割がた東京出身である。文化の中心地で成長し、文化の中で知識を吸収して成人し、さまざまなコネを持つことは、他府県に生きる人には得られない特権である。
もちろん、そうした「コネ」的なものを除いて、ただ創造をするだけなら、どこで生まれようがどこで育とうが、優れた才能は芽を出すだろうが、温室の中で肥料を与えられて育つか、雑草や害虫の中で育つかの違いはある。ロクでもない文化環境の中でまともな成長があるとは思えない。
そもそも田舎者の私が(おそらく東京の人間には常識だったであろう)「キャリア」「ノンキャリア」という言葉を知ったのは成人後である。中学や高校のころにそんな言葉を知っていれば、東大に行くことの意味を理解し、国家官僚を目指していたかもしれない。当時の私は東大などに行くために死にもの狂いで勉強するのは馬鹿なんじゃないか、と思っていた。まあ、自分がやっていたら、受験勉強で発狂していたかもしれないがwww 要するに、田舎の子供の社会的知識はそんなものだ、ということだ。大人だって似たりよったりである。(これはネット時代以前のことだが、今でもネットに触れない層が大人の大半だろう。)
たとえば、東大を拒否するにしても、「知らずに拒否する」のではなく、「知って拒否する」という高いレベルの拒否ができる、というのが東京で育つことの意味である。
(以下引用)
金持ち貧乏
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