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ハードボイルド小説という「強い男」幻想ジャンル

先ほど、寝床の中で「湖中の女」を読み終えたのだが、水中の死体の謎については、私の推測通りであった。ただ、作中の謎はその後いくつも出てきて、しかも富豪夫人が生きて活動しているらしい話が長々と続くので、「俺の推理(推測)は間違いだったかなあ」と思いながら最後まで読んだが、一番最初の謎自体は私が最初に考えた通りである。つまり、「The lady in the lake」という題名で最初から明白だったわけだ。
推理小説としてはどうなのかね、と思うが、チャンドラーは「パズラー」としての推理小説を全否定し、「小説」としてのハードボイルドの旗を掲げていた人間だから、謎自体には重きを置いていないと推測はできる。しかし、次から次へと人間が殺され、暴力行為が起こり、しかもたいていはその殺し方に芸が無いのだから、暴力やセックス自体にあまり興味の無い、むしろ暴力に嫌悪感を持つ私のような人間にはあまり読書対象にはならないジャンルのようだ。
ついでながら、謎というのは、犯罪行為があれば、「誰が」「なぜ」やったのか、という謎が自然発生するのだから、その犯人を追う行為の中で必ず謎解きは発生するのである。問題は、それ(犯人や犯行動機)を作者が意図的に隠すということをしながら、「途中段階での重要事実提示や推理行為」を最小限にし、そのことで最後の「名探偵、みなを集めてさてといい」という推理小説の結びを「決め」ながら、リアルぶってみせるインチキにあるのではないか。
チャンドラーの美文のせいか、ジャンルの一般特性か分からないが、とにかく、事実描写が読み取りにくいので、「推理小説」としては読解に難儀なジャンルであるようだ。まあ、暴力描写があれば、それが嬉しいという読者向けだろう。人間の汚さを描くジャンルという点では、「自然主義」文学に近いか。しかし、汚い現実など、なぜ小説の中までそれを読みたい人間がいるのだろう。

今思いついたのだが、「湖中の女」のメインの謎(トリック)は、チャンドラーが「簡単な殺人法」というエッセイの中で散々にけなして批判しているA・A・ミルンの「赤い館の秘密」のトリックの換骨奪胎ではないかと思う。その疚しさがあるから、チャンドラーはミルンの「赤い館の秘密」を批判した気がするwww あまり「男らしくない」行為のようだ。ただし、「簡単な殺人法」自体は面白いエッセイである。

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酔生夢人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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