私は退屈するということがほとんど無い人間なので、「退屈まぎれに」何々をする、という事もほとんど無いのだが、気まぐれに何かをすることはよくある。本を読むのもそうで、読みかけの本が家には無数にあって、その時その時の気まぐれで、そのうちの何かの一節に目を走らせたりする。英語の本などはまったくそれで、一冊全部を読み通した経験はほとんどない。しかし、本の中のほんの一節(洒落である)に目が止まって、そこから浮遊思考が始まると面白い。
先ほど、気まぐれで手にした、レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」は、日本語訳も読んだことがないが、その英語原書の冒頭部分を少し読んで、「dash lighter」という言葉に引っかかり、すぐに、「ああ、これは車のダッシュボードに付属しているライターのことだろうな」と思ったのだが、その時、「ダッシュボードという言葉は正しいのだろうか」という疑問が起こった。私は、物や物事の名前を間違って覚えていることがよくあるのである。
そこで、英和字典(中学生向きの、字の大きい、絵が多い奴だ)で調べると、「dash board」で正しいようだ。ところが、問題は、その「dash」という言葉である。辞書でその訳語を見ると、大まかに書くとこんなところだ。
動詞
1:投げつける 2:ぶっかける 3:くじく
1:突進する 2:衝突する
名詞
1:突進、突撃 2:衝突 3:短距離走 4:少量(の混ぜ物) 5:記号のダッシュ(ー)
などだ。そのどこに、車のダッシュボードと関係するものがあるか、今、これをお読みの方にクイズとしよう。私の答えは、数行の空白部の後。
さて、答えだ。
私は、これはアメリカ的ユーモアだと思う。つまり、これは日本語訳の中にある「衝突」の意味だと私は考える。ダッシュボードとは「衝突板」なのである。
ご存じのように、車が他の車などと衝突したら、運転者や助手席の人間は慣性の法則によってその身体が「ダッシュボード」に激突するのである。となれば、ダッシュボードは「衝突板」だということになる。
まあ、ブラックなユーモアだというのは、私の考えすぎだろうか。(運転者はダッシュボードよりハンドルに衝突するはずだ、という異議は認めるが、ハンドルには「ステアリングホイール(steering wheel)」という名前があるし、ハンドルを「衝突何とか(たとえばダッシュホイール)」とするのは捻り過ぎだろう。)*steerは「操縦する」意味。
ちなみに、運転席より助手席のほうが、衝突の衝撃は大きいらしい。運転者はハンドルを握っているので、激突の慣性力がある程度手で防げるからだろう。
先ほど、気まぐれで手にした、レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」は、日本語訳も読んだことがないが、その英語原書の冒頭部分を少し読んで、「dash lighter」という言葉に引っかかり、すぐに、「ああ、これは車のダッシュボードに付属しているライターのことだろうな」と思ったのだが、その時、「ダッシュボードという言葉は正しいのだろうか」という疑問が起こった。私は、物や物事の名前を間違って覚えていることがよくあるのである。
そこで、英和字典(中学生向きの、字の大きい、絵が多い奴だ)で調べると、「dash board」で正しいようだ。ところが、問題は、その「dash」という言葉である。辞書でその訳語を見ると、大まかに書くとこんなところだ。
動詞
1:投げつける 2:ぶっかける 3:くじく
1:突進する 2:衝突する
名詞
1:突進、突撃 2:衝突 3:短距離走 4:少量(の混ぜ物) 5:記号のダッシュ(ー)
などだ。そのどこに、車のダッシュボードと関係するものがあるか、今、これをお読みの方にクイズとしよう。私の答えは、数行の空白部の後。
さて、答えだ。
私は、これはアメリカ的ユーモアだと思う。つまり、これは日本語訳の中にある「衝突」の意味だと私は考える。ダッシュボードとは「衝突板」なのである。
ご存じのように、車が他の車などと衝突したら、運転者や助手席の人間は慣性の法則によってその身体が「ダッシュボード」に激突するのである。となれば、ダッシュボードは「衝突板」だということになる。
まあ、ブラックなユーモアだというのは、私の考えすぎだろうか。(運転者はダッシュボードよりハンドルに衝突するはずだ、という異議は認めるが、ハンドルには「ステアリングホイール(steering wheel)」という名前があるし、ハンドルを「衝突何とか(たとえばダッシュホイール)」とするのは捻り過ぎだろう。)*steerは「操縦する」意味。
ちなみに、運転席より助手席のほうが、衝突の衝撃は大きいらしい。運転者はハンドルを握っているので、激突の慣性力がある程度手で防げるからだろう。
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