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羞恥心が無い人間

つるの剛士というと、昔「羞恥心」とかいう歌を自称お馬鹿の3人組で歌っていた羞恥心ゼロの愚劣なタレントという記憶しかないし、顔も知らないが、この「賛成意見も聞きたい」が政治的意図を持った発言であるのは明白だろう。それはこの弁護士氏が論証しているとおりである。
私がこの記事を取り上げるのは、こうしたタレントなどを使った「隠れた大衆操作」は頻繁に行われており、それはネットなどで、つるの剛士発言を「正論だ」とするような工作員の活動と連動している、ということだ。
本当に頭の悪いタレントは、基本的にはいない。学歴が無いだけであり、生き馬の目を抜く芸能界で生き延びてきただけでも「狡知」は持っていることの証明になる。そして、あまり芸人としての才能の無いタレント(「芸能偏差値」の低いタレント)は、権力に擦り寄ることで生き延びることを図ったりする。今回の件はその例だろう。

本気で「賛成意見も聞きたい」なら、政府側発言を読めば済む話である。

頭の悪い人間ならまだいいが、恥知らずな人間は社会の汚物である。





*「芸能偏差値」は或る小説家のブログで知った言葉で、その作家(「ハサミ男」の作者)の造語かと思う。学歴はゼロでも芸能偏差値の高い人間が偉大な芸人になるのである。頭の良さにも種類があるわけだ。学校の成績など、頭の良さの一つを示すものでしかない。


(以下引用)


 

弁 護士「つるの剛士の『賛成意見も聞きたい』が正論であろうはずがない。反対派への牽制だ」  このエントリーを含むはてなブックマーク

 
 
1 : スターダストプレス(宮城県)@\(^o^)/ :2015/07/19 (日) 23:21:36.05 ID:0XFFQjQ+0●
つるの剛士氏の安保関連法案「賛成意見も聞きたいなぁ」が正論であろうはずもない

このJ-CASTニュースの記事をみて驚きました。

「つるの剛士、安保関連法案「賛成意見も聞きたいなぁ」 正論なのに反対派から大バッシング
受ける」(J-CAST 7月17日(金)19時32分)

このつぶやきに対して、戦争法案に反対する人たちから一斉に批判コメントが寄せられたことに
対し、この記事は批判しているのです。

こんな具合です。

「反対派以外の人からは「最も公平な意見いってるのに」「普通の意見だと思う」と気の毒がる意見が目立つ。」

一般論として、どちらの方の意見が正論なのか、両方の意見を聞いてみてから判断する、
と言われることがありますが、これ自体、否定するつもりもありませんが、実はあまり意味のある
フレーズではありません。

本来は、どちらの意見も聞くというのは、それによって自ら判断する、という過程において意味が
あるのであって、このつるの氏のような人ごとのようなつぶやきでは、正論どころか茶化している
だけの意味にしかなり得ません。

むしろ、現実問題として、「賛成派の意見」なんて、ネットにゴロゴロ散乱しているでしょう。自分から
アクセスすればいくらでも「賛成派の意見」なんて読めます。

それを実行せず、人ごとのように発言するのは、どう考えても別の隠れた目的があるからにほかなりません。

>>2に 続く





 





2 : スターダストプレス(宮城県)@\(^o^)/ :2015/07/19 (日) 23:22:50.65 ID:0XFFQjQ+0. 
それは敢えてこの時期にこのような投稿をするのですから、反対派への牽制以外なにものでも
ないわけです。批判を寄せた人たちは、当然、そのように考えたわけです。

ご本人は「沢山の貴重なコメントありがとうございます☆自分の頭で考えられるように馬鹿なりに
沢山勉強をします!」ツイートしたそうですが、ご本人が自分を指摘している通りであれば、
どうでもいいレベルのものでしかなく、そうであれば「正論」などと評価すること自体が誤りであるし、
外に向けて発信する以上は、批判の対象にもなることは当然に認識すべきことです。

つるの氏は、「公平に物事を考えたいだけ」と釈明したそうですが、「公平」という飾り文句をつけた
だけの偏った意味にしかなっていないことを自覚すべきことです。

つるの氏が意図的に行っているんだったら、自覚はしているのでしょうけれど、今さら取り繕っても
遅いというものです。

http://blogos.com/article/123427/

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「戦争の不可能な国」日本

「ギャラリー酔いどれ」から転載。
美輪明宏が前回の衆院選の前に、安倍総理の「次の行動(集団的自衛権の行使、安保関連法案の国会通過)」について警告を発していたのは偉い。だが、その危険性は、普通の頭がある人ならたいていの人が気づいていたのではないか。
あの選挙が不正選挙でなく、国民の大半が本当に自公政権を支持し、過半数を取らせたのなら、もはや日本は終わっている、ということだ。私は、あの選挙が不正選挙であったという一点でのみ、日本国民になおも希望を失わずにいるのである。
無知から自公政権に投票した人々はまだ許せるが、自分の利益のために自公政権に投票した人々は、今となっては売国奴の一員と言われても仕方がないだろう。安倍総理の正体など、少しネットに触れている人なら誰でもお見通しだったはずである。
だが、ネットに触れている人間の割合は、まだそれほど多くはないのかもしれない。つまり、ネットが国民全体に普及する前に、最後のチャンスとして、自公政権はこの国会会期中に「戦争法案」を通過させなければならなかったのだろう。

美輪明宏の「日本は戦争ができない国だ」という言葉は面白い。
自衛隊隊員しか兵士はおらず、資源が無いから戦争継続能力が無い。食料すら自給できないのだから、海外からの食料輸入が停止したら飢餓状態になる。そんな国が、いくら飛行機や軍艦や戦車を持ったところで戦争などできるはずはない。しかも、日本全国に54基もの原発があり、そこを狙われたら一撃で大惨事である。
日本を守るのは、実は「日本を戦争で破壊しても他国には何のメリットも無く、デメリットしかない」という一点なのである。それに、「日本は戦争をすることはできないと憲法で謳っている以上、そこを攻撃したら、『自国防衛のための戦争』という大義名分は使えない」ことが大きいはずだ。どんなに言いつくろっても、無防備な子供をピストルで撃ち殺して、それを自己防衛のためだ、とは強弁できるはずがないのである。
つまり、軍備を持たないことこそが最高の防御策なのだ。キチガイが相手ならどうするかって? そんなのはキチガイに刃物を持たさないことしかないだろう。つまり世界的な軍縮運動しか無いのであり、キチガイに備えて子供にピストル武装をさせれば、他の子供や家族を「うっかり」撃ち殺す結果にしかならないのである。

記事タイトルの「戦争の不可能な国」はもちろん誇張である。山本五十六ではないが「半年やそこらならずいぶん暴れてみせましょう」という、下らない戦略の下での戦争ならば、戦争は当然可能だ。だが、そんな白痴的な戦争には敗北と国民の大惨禍という結果が最初から決まっているのである。





(以下引用)



◆http://lite-ra.com/2015/07/post-1280.html
リテラ  2015.07.14
美輪明宏が安倍首相も自民党に投票した人も
 まず自分が戦地に行きなさい
と一喝!



昨日、本サイトで、スタジオジブリの宮崎駿監督が、
外国特派員協会主催の記者会見で、安倍政権を痛烈に批判したことをお伝えした。

同じく高畑勲監督もまた安保法制と改憲への動きに強い懸念を表明している
スタジオジブリだが、そんなジブリが無料で配布している小冊子「熱風」の8月号で、

ある人物が舌鋒鋭く安倍首相をこき下ろしていることは、
まだあまり知られていないだろう。

その人物とは、ジブリ作品にも声優として参加している、あの、美輪明宏だ。

「熱風」で始まったジャーナリスト・青木理氏によるインタビュー連載で、
第一回のゲストとして登場。「戦後70年」をキーワードにするこの対談のなかで、
美輪は安倍首相らにこんな提言をしている。

「(人間は)失敗を繰り返してばかりいる。安倍さんや、石破(茂)さんや、
麻生(太郎)さんにしても、みなさん、言い出しっぺの責任を取っていただいて、
徴兵制になるならば、まずご自分が、年齢に関係なく、
鉄砲を担いで、鉄兜をかぶって、まず第一線に出ていただく。

それから、お子さんも、孫も、きょうだいも、それから娘さんのボーイフレンドも、
全部一緒に連れ立って第一線に、まず最初に出ていただく。もちろん一兵卒でね


それほど戦争がしたいのならば、首相自ら親族も含めてお手本を見せてもらいましょう──

記事を通読すれば、これは冗談でも皮肉でもなく、美輪の本気だということがわかる。

ある年代より下の人たちからしてみると、
あの紅花色の髪色と『オーラの泉』などでの“スピリチュアル”イメージが強いだろうが、

今年80歳になった美輪は、長崎で原爆にも被爆している戦争体験者である。

青木氏との対談のなかでは、むしろ冷徹なまでの口調で安倍政権の本質をえぐり、
安保法制について、自身の戦争体験談を交えながら分析する。

「私は笑ってますね。 学習能力がないということでしょう。

第二次大戦と同じ。 歴史に学んでいないんです。

日本は、実は戦争ができない国、不可能な国です。

大正10(1921)年に暗殺された原敬が言っていたように、

日本には何の資源もない。石油も鉄もニッケルも、何も採れない。
食料自給率もいまや40%を切って、ほとんど輸入に頼っている」

「とにかく知力が足りないんです。 あるのはやまいだれの方の『痴力』。

それと情念。 それだけ」


美輪は、太平洋戦争は“横綱に赤ん坊が戦いを挑んだようなもの”として、
日本が「知力が足りない」為政者によって、
いかに無謀な戦争へと突き進んでいったか強調した上で、

安倍首相が「またそれと同じようなことをやろうとしている」と言うのだ。

そして、“現在の日本は世界最強のアメリカの手先になろうとしている”

と指摘する青木氏に対し、こう返す。

「そんなに甘く考えたら大間違いですよ。だって、
アメリカ国債を世界で一番持っているのは日本だったけれど、
それが追い抜かれちゃって、中国が世界一になった。

最近、中国がちょっと景気減速して日本がまた抜き返したけれど、
それでも中国はアメリカ国債を大量に保有しています。

アメリカ経済をガタガタにしようと思ったらできる。
なのになんで アメリカが日本だけの味方をしてくれます? 甘いですよ


さらに、安倍首相が安保法制で法制化させようとする
自衛隊による後方支援については、「要するに兵站でしょう」

その兵站を叩くのは戦争の常識です。そこらへんのシビアさというのは、

戦時中の人間でないとわかりません。戦争ってそれぐらい卑劣なものですから


と断じて、さらにこう畳み掛けるのだ。

「もうひとつ、日本は(戦争を不可能にする)
抑止力を自分たちで作っちゃったんです。原発です。

日本の沿岸をなぞるように50数カ所も原発を作っちゃった。

今は特攻隊の時代じゃない。ミサイルや無人爆撃機の時代です。

原発を狙われたら一巻の終わり

美輪は、安倍首相が防衛力増強の重要性を語りながら、その一方で

国防上の弱点である原発という“爆弾”を維持し続けているという矛盾を鋭く指摘。

そして手厳しい批判を、安倍政権だけでなく、
選挙で与党に票を投じた人々にも投げかけるのだ。

冒頭に引用した“安倍首相とその家族自らが先に戦地へ行け”という発言は、

こう続く。

「それから、それに賛成している選挙民の人たちも、
ご自分が支持して選んだんだから、選挙民もまず一家を挙げて、
どうぞ出征してくださいって。

男の方たちは、ご自分が殺し、殺されにいきたいんでしょ。
どうぞ、いらしてください。それだけですよ」

そこで青木氏が、こうした国民に対して伝えたいことはなにか?

と訊いても、「別にないですね。
そのときにならなければ人間というのはわからないんです
と冷たく言い放つのだ。

美輪がここまで国民の責を問うのにはわけがある。

たしかに安倍自民党は、先の衆院選で
アベノミクスによる経済成長を掲げて議席を守った。

しかし美輪は、安倍政権の真の狙いが安保法制であることを早くから見抜き、
メディアを使って発信してきた。

たとえば衆院選の直前、スポーツニッポンのインタビューではこう語っている。

「国民は経済問題ばかりに目を奪われてはいけません。
実はその裏に日本の将来を揺るがしかねない重要な争点が隠されているのです。

それは、『集団的自衛権』行使の問題です。(略)

きっと首相は、国会で自分の都合よく安保関連法案を通すためには、
この時期に選挙をしておくのが最も良いタイミングと判断したのでしょう。

(略)ここで再び衆議院で安定多数の議席を確保しておけば、

『国民からの信任を得た』と、任期の向こう4年間、

首相はやりたい放題好き勝手に、きな臭い「積極的平和主義」とやらを
進められると踏んだに違いありません。(略)

いつの時代も犠牲を強いられるのは、弱い立場の人間なのです

こういう世の中で果たしていいのでしょうか。そういう流れを止めるのも、

有権者みなさんの大切な1票に他なりません。

よくお考えになり、投票所に足をお運び下さい。

日本の未来を良くするも悪くするもあなたの責任なのですから

(「スポニチアネックス」14年12月12日)

少なくともあのとき、国民は安倍政権の本質を見抜いていなければならなかったのだ。

いち早く安倍政権が目指す「戦争のできる国」に抗ってきた美輪明宏だからこそ、
忸怩たる思いで「殺し、殺されに行け」と強い言葉を投げかけるのだろう。

美輪が言うように、「そのとき」になるまで、われわれは過ちに気がつけないのか。

現在の安倍政権は、誰がどう見ても、完全に“暴走状態”に突入している。

そんななか、われわれにできることはなにか。

ひとつは、国民の声で安倍政権の支持率をさらに下げ、解散に追い込み、

次なる選挙で 自民党にだけは投票しないようにすること
だが──


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負け犬の遠吠えも大事な社会的警鐘

fromdusktildawnさんのツィッターから転載。
ネットは「負け犬の遠吠え」で満ちているが(私のブログもそれかww)、勝ち犬の威嚇がそれより上、ということもないわけで、権力の座に連なる者たちが偉そうなことを言っても、それはやはり権力に守られている、という前提での話で、感心するには及ばないわけだ。まあ、勝ち負けだけが人生の価値だという人々には私は近づきたくもない。
下のツィートを「カッコいい」と思う感覚は、非常に健全なような気がする。ツィートした人の「俺頭悪くて貧乏で喧嘩も弱いんだよ!」は、私も非常にカッコいい言葉だと思う。それに対して、「俺の前で言えるのか」にはヤクザの威嚇を感じるのである。金力や権力や社会的地位を背景にしての威嚇。こちらがカッコ悪く感じる。
「負け犬の遠吠え」はカッコ悪い、というのも一つの価値観だが、負け犬の遠吠えの中に社会改良の契機がある、という視点で見ることもできるのではないか。つまり、「負け犬の遠吠え」が存在価値を持つ、と看做す社会こそが非常に健全な社会なのではないだろうか。


(以下引用)



             さんがリツイート

昔、実名でネットしてる経営者か何かの人が匿名の批判者に「俺の目の前で言えるのか」式のことを言ったら、「言えるわけないだろ。俺は頭悪くて貧乏で喧嘩も弱いんだよ! でもネットだから好き勝手言ってるんだコノヤロー!」みたいに返されてて、当方は本当に何の皮肉でもなくカッコいいと思ったな。


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BIは未来の「当たり前」になるかもしれない

「ハフィントンポスト」から転載。
BIを夢想的な、実現不可能な制度だと考えている人は多いと思うし、私自身、それを実現する際の障害については深く考えたことはない。だが、「生存を国家が保障する」ことは、それほど奇妙な話ではないだろうし、むしろそれが「人権」の最低限のものだ、とすれば、生存を保障するだけの金を国民全員に国家が給付するというのは、未来の世界ではむしろ当然の話であり、BIが実施されていなかった昔(つまり、現在)の世界を異常な時代だった、と看做すことになるのではないだろうか。
つまり、我々は「生存競争」や「競争」を人間の必然的運命だと考えがちだが、それこそが競争を発展の条件としてきた資本主義社会による洗脳に過ぎないのではないか。そういう視点を持つのも、現代世界の閉塞状況を打破することにつながるかもしれない。



(以下引用)




"ベーシック・インカム"必要最低限の給付をオランダで実験「幸福度が増す」

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Josef Stuefer via Flickr
Josef Stuefer via Flickr


生活保護など、経済的に困窮する人への金銭的な支援が本当に効果的かどうかは、賛否が分かれる。


制度に反対する人は、そういった社会保障制度は受給者の勤労意欲をそぐと批判しており、その結果、生活保護が受けにくくなるような政策がとられてきた。たとえば貧困ラインを下回る金額しか支給されなかったり、受給のための手続きが複雑化したりしているケースが少なくない。アメリカでは薬物検査をすることもあるという。


そんな中、近年注目を集めている貧困対策が「ベーシック・インカム」だ。


ベーシック・インカムとは「すべての人に必要最低限の所得を給付する」という社会政策の構想だ。政府は必要最低限の生活費を、給付対象者が仕事をしているか求職中かに関係なく、無条件に提供する。受給資格を審査したり、仕事に関する条件を設けたりすることはない。裕福な人もお金を受け取ることになるが、そのお金は税金として回収される。


このベーシック・インカムを2016年1月から試験的に導入すると、オランダ第4の都市ユトレヒトが発表した。ユトレヒト市でこのプロジェクトの責任者を務めるニエンケ・ホースト氏は、ニュースサイト「クオーツ」の取材に対して、「受給者が仕事を探さなくなるという意見もありますが、どうなるかは実験によって明らかになるでしょう」「私たちは、多くの人たちの幸福度が多少増し、そして最終的に仕事を見つけるようになると考えています」と話している。



ベーシック・インカムを取り入れる理由は色々ある。インディペンデント紙は、現行の社会保障制度の複雑さや官僚主義的な部分を減らして貧困をなくすだけでなく「管理されることの少ない社会で、今より柔軟に労働時間を選択できるようにし、介護やボランティア活動や勉学により多くの時間を費やせるようになる」と伝えている。


ただし、対象者は社会福祉受給者のみに限られるという。対象者の300人はいくつかのグループに分けて比較される。一つのグループには基本所得の約900ユーロ(約12万2500円。所帯がある人には約1200ユーロ=約18万円)を無条件で支給し、その他のグループは、さまざまな規則や条件のもとに支給する。


ベーシックインカムの実験は、これまでにも行われている。その一つが、カナダのマニトバ州ドーフィンで1974年から1979年にかけて行われた「Mincome」と呼ばれる実験だ。


実験では、さまざまな金額の給付金を毎月支給して誰もが最低限の生活ができるようにした。残念ながらMincomeは、その効果が適切に評価される前に政権交代によって頓挫してしまい、実際に政策として取り入れられることはなかった。しかし2011年にマニトバ大学の経済学者エヴェリン・フォゲット氏がMincomeのもたらした効果を調べている。


それによれば、5年で貧困は目に見えて減ったという。フルタイムで働いても貧困から抜け出せないいわゆる「ワーキングプア層」にも経済的な安定がもたらされ、病気にかかっても安定した生活ができるようになった。給付金を受給した後、働く時間が短くなったケースもあったが、それらは、母親が長い育児休暇を取るようになったり、十代の青年が就職ではなく進学を選んだケースだった。


オランダだけではなく、スイスシリコンバレーでも、ベーシック・インカムに対する支持は広がっている。ユトレヒト市の実験は社会福祉受給者だけが対象となっているため、ワーキングプア層に対する影響を調べることはできないが、それでも世界中の政治家や経済学者、それに公正な社会を求める人たちから、大いに注目される取組みになることは間違いない。


この記事はハフポストカナダ版に掲載されたものを翻訳しました。


[日本語版:佐藤卓、合原弘子/ガリレオ]


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言論と暴力

「カマヤン」のツィッターから転載。
この中で、14年の総選挙は「選管ムサシ」による与党大勝だったと思うが、他はどうだろうか。国民の政治意識は、今の方が高くなっているように思うのだが。
実際、安保法制に反対する国民の方が圧倒的大多数である、ということは、国民の政治意識そのものはそう低くはない、と思う。
問題は、選挙が不正選挙である可能性が高いということと、国民無視の政治に対し、それを防ぐ手段がまったく無い、ということだ。国会で言論が無化されている、と言ってもいい。議論が空洞化している。
野党議員の追及に、意味不明の答弁を繰り返すことで、「議論は尽くした」から採決する、というのが与党戦法であり、それは国会そのものが政権によって踏みにじられている、ということだ。つまり、独裁政権である。その成立(14年衆院選結果)も、おそらく不正選挙によるものだろう。
独裁政権を倒す手段は暴力しかない、とは言いたくないが、相手が最初から言論を無視する場合に、交渉の余地などあるのだろうか。




(以下引用)


たられば @tarareba722

まあこれ見たら私でも「世論チョロい」と思う。 PKO法案(92年)採決→93年の総選挙で与党223議席 周辺事態法(99年)採決→00年の総選挙で与党233議席 テロ特措法(01年)採決→03年の総選挙で与党237議席 特定秘密保護法(13年)採決→14年の総選挙で与党291議席

Retweeted by カマヤン1192

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法被にすればみんなハッピーなのに

「株式日記と経済展望」から転載。
実にダサい制服である。爺臭いし婆臭い。まあ、写真の「モデル」たちの大半がそういう年齢だから、という面もあるだろうが、若い人が着ても、これは爺臭いし婆臭い。スポーツの爽快さ、というものと対極の制服だろう。
ポロシャツにチョッキ(今はベストと言うのか?)やネクタイをプリントする、ということがそもそも貧乏臭い。子供だましである。これが「期待の若手デザイナー」の作品だとすれば、服飾デザインの世界というのも(建築デザイン同様)いい加減なものだ、というのがよく分かる。おそらく、偉い人(先輩デザイナーや政界の大物)のコネで「期待のデザイナー」に引き上げられたのではないか。
「株式日記と経済展望」管理人氏が言うように、「法被」にすれば、安上がりな上に、後々の記念品にもなる。何しろ、どんな服装をしていても、その上から法被を着れば、それで「制服」になるのだから、簡便なことこの上ない。用が済めば、どこででもすぐに脱げて、日常生活に戻れる。汚れたら雑巾にしても惜しくはない。しかも「日本の文化」に基づいたものであり、外国への日本アピールにもなる。
正直言って、この幼児めいた「ネクタイプリントポロシャツ」を着るのは、幼児でも、恥ずかしいと思うだろうが、おそらく、このまま強行されるだろう。私なら、こういう制服を着てのボランティアなど絶対に嫌であり、見るのも嫌である。日本の恥を世界にさらすようなものだ。
なお、(下記記事では省略されているが、)「外国人の評判」を聞いてみると概して好評だとされているが、そりゃあ、日本の公の機関が大真面目にしていることを貶す発言を在日(滞日)外国人がするはずはない。特に、質問を受けた外国人はほとんどが親日家だろうから、心で思っていること(「ダサいなあ」「うわ、恥ずかしいなあ」など)をストレートに言うはずはないのである。
なお、私はここでは「東京オリンピック」が本当に実施されるもの、という前提で語っている。


(以下引用)

新国立競技場やボランティアの制服があまりにもダサくて世界に恥をさらすものになる

2015年07月14日 | 経済

新国立競技場やボランティアの制服があまりにもダサくて世界
に恥をさらすものになる。クールジャパンは何処に行った?

2015年7月14日 火曜日

2020東京五輪は世界に恥をさらすためのものか?

ダサすぎ? 東京五輪「おもてなし制服」、ネットで酷評 7月14日 朝日新聞


東京五輪に向けて、外国人観光客を案内するために生まれたボランティアチーム「おもてなし東京」。期待の若手デザイナーを起用した制服がネット上で「ダサい」と酷評されてしまった。なんで、そうなっちゃったのか。

 「東京の誇りを担い、魅力を世界に発信してほしい」。6月19日に都庁であったボランティアたちの出発式で、舛添要一知事は約40人を笑顔で送り出した。知事が昨年韓国ソウルを訪れた際、赤い制服のボランティアが外国人の道案内をしているのを見たのが、きっかけだった。

 東京の制服は白地のポロシャツ。青いベストとストライプのネクタイを着用しているように見えるが、実際はプリント。帽子の水玉のリボンは、日の丸のイメージ。ポロシャツは1600枚、帽子とカバンは50個用意したという。

 ところが、この制服がお披露目されると、ネットからは否定的な声が相次いだ。「残念すぎる」とまとめサイトに出たり、ツイッターで「都がデザインに口出ししたのでは」と深読みされたり。「和服のほうが良かった」との意見や「逆に目立つからいい」との声も。写真週刊誌は見開きで「ダサすぎないか」。さんざんな反響に、都の担当者は「ボランティアの士気が下がってしまう」と心配する。

 デザインしたのは10人が参加したコンペを勝ち抜いた藤江珠希さん。英国のブランド、アレキサンダー・マックイーンで修業し、現在は自分の名を冠したブランドを手がけている。「人混みでもパッと目に付くことが大事。五輪のイメージに合う白、赤、青を基調に、ネクタイとベストはおもてなしと礼儀正しさを出したかった」と言う。

 制服を見たデザイナーのドン小西さんは「日本を象徴する“カワイイ”を採り入れ、未来を感じさせる」と好意的。ただ、斬新なものには違和感も伴う。「発表の場に藤江さんを同席させ、デザインの意図を話してもらえば、騒ぎにはならなかったのでは」と話す。



新国立競技場2520億円をゴリ押ししたのは誰か 7月11日 ダイアモンドオンライン


私は思う。いったい誰がこんな滅茶苦茶なプランをゴリ押ししたのかと。

 テレビ東京の『午後のロードショー』は今年二〇年目を迎えるが、今月の特集は「サメ」だ。残念なことだが、日本には「サメの脳みそ」と揶揄された元総理がいる。森喜朗氏だ。東京オリンピック・パラリンピックの実現には、ITを「イット」と読んで笑われたサメ頭の暗躍があるとも言われているのだ。

 〈当初、五輪招致への再挑戦に消極的だった石原氏を口説き落としたのが森氏だった。スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏は、「そこには森氏のしたたかな計算があった」と指摘する〉

 「森氏は日本ラグビー協会の会長を長く務め、二〇一九年に日本で開催されるラグビーW杯招致に尽力していました。彼の狙いはまさにラグビーW杯の会場として新国立競技場を建設することでした。ラグビーW杯は準決勝と決勝の会場は集客人数八万人以上が望ましいとされているのですが、ラグビーW杯のために新国立を主張しても世論は動かせない。そこで、東京五輪のメインスタジアムにすることを口実にしたのです」

 そして、こんなバックグラウンドも。

 「石原氏が再立候補の狼煙を上げた日本体育協会とJOCの一〇〇周年事業のレセプションは、森氏自ら実行委員長を務めていました」

 新国立競技場建設を既定路線としたのは、JSCが新体制になってからのことだ。

 「新理事長に就いたのはラグビー協会の理事・河野一郎氏でした。彼は筑波大の教授で、五輪やラグビー代表のチームドクターでもあったドーピングの専門家。英語が堪能で弁も立つことから、森氏の強い意向で二〇一六年の五輪招致委員会の事務総長に選ばれた」(スポーツ紙記者)

 が、彼が力を入れたのはラグビーW杯招致のほうで、二〇一六年の五輪招致には失敗する。

 「ラグビーW杯招致にばかり熱心で、IOC委員にアタックできるチャンスをみすみす逃していたと招致委員会内部からも批判の声があがっていました。それなのに招致失敗の責任をとるどころか、スポーツ行政の鍵を握るJSCのトップに就任したので、周囲も驚いていました」

 森喜朗氏の狙いがラグビーW杯の開催にあり、そのためにまずオリンピック・パラリンピックの東京開催を実現させ、JSCの理事長に息のかかったラグビー協会の理事をスライド就任させる。そして、W杯の準決勝・決勝戦を行なうため、八万人を収容できるよう国立競技場新しく建て替えさせた――、とすれば、森氏はたいしたマキャベリストではないか。(後略)



(私のコメント)
私の本職は不動産賃貸業であり、ビルやアパートを自分で設計して建てました。そこでは総工費がいくらかかるかが一番の問題であり、いかに安い費用で設計や資材を考えて行きます。基本設計が拙ければ、後で気がついても後の祭りとなり、修正が効かない。

新国立競技場にしても、デザイン最優先であり機能性や経済性や実用性ではザハのデザインでは対応が出来ない。つまりデザインの為のデザインであり、建築物や飛行機や自動車や電気製品に至るまで機能性を徹底的に追求したうえで機能美が出てくる。

ファッションにしても、機能性を徹底的に追求して経済性を加味して考えるべきであり、デザインの為のデザインでは不自然さが出てきて美しくは無くなる。ジーンズにしてもTシャツにしても機能性から作られたものであり、もともとは作業着だった。

東京都がオリンピックの為にボランティア用の制服を作ったそうですが、酷いデザインであり趣味が悪い。誰もあの制服では着ようとは思わないだろう。升添東京都知事の発案ですが、いったい誰が決めたのだろうか。コンペを開いて決めたという事ですが、数人の有識者が会議で決めたのでしょうが、有識者会議や諮問員会方式では限界がある。

これだけネット化社会になったのだからもっとオープンにしてネット投票で決めるようにした方が良いのではないかと思う。法律などは専門家でなければわからない部分があるが、建築デザインやファッションなどは専門家でなくとも、どれがいいかは判断できる。

先日はガンバ大阪新スタジアムを紹介しましたが、予算に制限のある方が結局はいいデザインの建築が出来る。4万人規模の観客席が屋根で覆われる競技場が140億円で建てられましたが、徹底的に機能性が追及尽くされたデザインであることが分かる。むしろザハのデザインした国立競技場よりも美しい。

東京都のボランティアの制服にしても目立つことは大切だがチンドン屋であっていいのだろうか? シャツにしても帽子にしても趣味が悪すぎる。誰があの制服を着てボランティアになるだろうか? コンペと言う名の有識者会議や諮問委員会で決めたのだろうが、ある程度は候補を絞ってネット投票などで決めればいいと思う。

新国立競技場にしても「株式日記」では伊東豊雄の作品が良いと書きましたが、開閉式屋根もシンプルでないとメンテナンスが難しい。スタジアムも陸上競技とサッカーとコンサート会場にそれぞれ変更できるようになっている。

東京のボランティアの制服にしても暑い真夏だから、祭りの時に着る法被でもいいのではないだろうか。帽子なども野球帽を元にオリンピックのロゴを付けるだけでいいだろう。法被なら300円程度で作れる。2ちゃんねる等を見てもこのような意見が多い。とにかくコンパクトなオリンピックと言うコンセプトは消えてしまって、予算ばかりが大規模化している。


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「大人」の処世術が日本を地獄化してきた

昨日読んでいた小説本に次のような詠嘆があったので紹介しておく。読みやすくするために行分けし、さらに色分けしておく。
要するに、私は自分のブログの中で、世間の「大人」たちが誰でも分かっていて黙っていることを、自分の「中学生レベル」の頭で問題視しているのだろう。
だが、「大人」たちが我が身大事さで政治のこうした実態を黙認してきたことが、現在の日本の惨状を生んだのではないか。
少なくとも、私は自分の子供や、その将来の子供たちに、今の日本をそのままの形で残したくはない。これを少しでも良い形にして残すことが、今の「大人」たちの義務だと思う。
野党が、必ずしも「大金の分け前」にありつくことだけが望みだとは私は思わない。それなら最初から野党になどならないだろう。ただ、議員になった後、「初心を忘れる」ことはあるかもしれない。
その野党に本当の力、つまり「数」を与えないからこそ、野党は「貧乏人の頼りにならない集団」のままであり続けているのではないか。つまり、貧乏人は自ら貧乏であり続けるべく、与党に投票してきたのである。


(以下引用)



ハンコをひとつついただけで、何十億という大金がころがり込んでくるようなうまい話がこの世の中に実際にあるということは、大人なら誰でも知っている。
政治とは実際のところそういううまい話を陰でこそこそ取り扱うことを言うのだし、
官庁とはそういう儲け話がしまってある場所のことなのだし、
警察とはそういうことを見て見ぬふりをする組織のことなのだし
税務署とはそういう儲けには税金をかけない役所のことなのだし
新聞社とはそういうことを一般に発表しない機関のことなのだし
そして選挙とはただ儲けする人を国民が投票で決めることなのだし、
野党とはそういう立場になりたくてもなれない連中のことなのだし……
だからこそ野党は貧乏人の味方で、しかも貧乏人の頼りにならない集団を意味するのではないか。


(半村良「下町探偵局」より)

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