「続壷齋閑話」から転載。
「富の退蔵(あるいは死蔵)」という面から、新しい社会経済学への切り口が見つかりそうな気がするので、備忘的に転載しておく。
特に不正な手段でなければ、富の形成自体は問題は無いのだが、その形成した富を社会に還元せず、退蔵(使わずにしまいこむこと)してしまうというのが富裕層の一般的行動パターンである。もちろん、再投資もするが、退蔵される富もかなりな割合に上る。そうすると、社会に流れる金は、常に減少していくことになる。国家は、必要なだけの通貨は流しているつもりでも、実はまったく不足しているわけだ。それは庶民生活の窮乏につながっていく。それを防ぐには、時間と共に減価していく金を制度化するか、あるいは、強制的に富裕層から高額税金を取り立てる必要が出てくる。そこで、タックスヘブンの存在が問題になってくるわけだ。
「起きて半畳、寝て一畳」が信条の私には、生活に必要な以上に金が欲しいという人間たちの心理が今一つ分からないのだが、取りあえず、「金を使うのは金持ちの義務だ」と言っておこう。税金を払わなくてもいいから、とにかく散財をしてくれ、と言いたい。それによって社会に必要な金が回るのである。
あと一つ、言っておく。富裕層の人々が贅沢な生活をしているとは言っても、それはイマジネーションで飾り立てられた幻想にすぎない、と私は思っている。堅苦しい身なりをして食べる豪華なレストランのディナーより、私は自分の部屋で気楽に食べるインスタント食品の方が美味いと思うし、一流ホテルのベッドよりも自分の狭いベッドの方が寝心地がいいだろう、と思っている。そんな程度の贅沢のために多くの人々を苦しめて金を得ようと齷齪するのは、実にくだらない人生だと思うのだが、これも彼らには貧乏人のひがみに見えるだろうか。
そもそも、価値観とは本来は個人の主観でしかないのである。ゴッホの絵は、彼の生前にはまったく値段もつかなかった。今では、何億円である。もちろん、その最大の理由は画商たちによって値段がどんどん吊り上げられたことだ。物(高級品・贅沢品)の値段とはそういうものだ。さて、ゴッホの絵の価値は、飢え死に寸前の人間の前に置かれた、一個の握り飯より上だろうか。あるいは、豪壮な大邸宅や高級車はどうだろうか。
(以下引用)
新富裕層VS国家:グローバル化時代の国家と個人
続壺齋閑話 (2013年8月19日 19:04) | トラックバック(0)
NHKスペシャルの『急増! 新富裕層の実態』という特集番組(8月18日放送)が、グローバル化を背景に登場した新富裕層と言われる階層の、登場の背景やその実態について紹介していた。この番組を見ると、所謂グローバル化の時代における、国民国家と個人との関係について、強く考えさせられる。
NHKの定義では、新富裕層とは1980年代以降世界的規模で登場した富裕層で、100万ドル以上の資産を持つ人々である。世界全体に1200万人以上いるとされ、そのうち日本人は190万人、アメリカに次いで多い。
彼らが登場した背景は、グローバル化、IT産業、金融の三つであるという。この新しい傾向にうまく乗ることでビジネスを成功させ、一躍資産家にのし上がったわけである。
それ自体は、褒められるべきであって、批判される筋合いではない。といって問題がないわけでもない。最大の問題は、資産を貯めた新富裕層が、主として高い税金を逃れる目的で、自分の国を捨てて、税金の安い国や地域(タックスヘブンというやつだ)に移住する現象が目立っていることだ。
番組ではそうしたタックスヘブンの一例としてシンガポールをあげ、そこに主として中国人の新富裕層が集まっている事態を紹介していた。彼らは自分たちの間で特別のサークルを形成して、まるで疎開のような生活をエンジョイしている。そのサークルへの入会を許された日本人もいるそうだ。
番組の取材に対して、彼らは率直に答えていた。自分の稼いだお金を自分で処分するというのは当たり前のことだ。だがその当たり前のことが、自分の国にいては許されない。何故なら多額の税金を取られてしまうからだ。自分たちは、無能な貧乏人を養うために税金をむしり取られているわけで、そんなことには耐えられない。だから国を捨ててタックスヘブンに移り住んだ。そのどこに問題があるのか。そんな言い分が伝わってきた。
だが、よく考えてみるがよい。彼らが金を稼げたのは自分の生まれた国のおかげである場合が殆どだ。移住した後でも、自分の国の経済活動に乗る形でビジネスをしている場合が多いだろう。なのに、その嫁いだ金を、稼がせてもらった国の中で回さないで、タックスヘブンで死蔵するわけだ。死蔵と言うのは、その金は経済の循環サイクルから外れて、タックスヘブンの銀行口座に預けられっぱなしになるからだ。そんな金は、祖国の経済発展はもとより、世界経済全体の発展にも、何の寄与もしない。
というわけで、新富裕層がタックスヘブンに逃れるという事態は、単に彼の出身国の課税が阻害されるのみではなく、世界の健全な経済をも阻害させるのだということを、よく認識しなければならない。個人の行為としては合理的であっても、世界大でこれを見れば、経済にとって有害なことになるわけである。
タックスヘブンといえば聞こえはいいけれど、いってみれば、他人の富に寄生しているようなものだ。自分では何らの富も生み出さず、外国で生まれた富を自分のものにする。その富が実体経済を動かすために使われればまだしも、殆どの富はタックスヘブンの銀行口座に死蔵されたままになる。ということは、世界経済全体にとってマイナスなことになるわけだ。タックスヘブンについては、いまのところ甘く見られているが、それが世界経済に及ぼす影響をグローバルな視点から分析し、グローバルな秩序形成を図っていかねばならないだろう。
番組では、海外移住した新富裕層の閉鎖的なサークルが、フェラーリに乗って集団行動をし、周囲に迷惑をかけて恥じないさまが映し出されていた。自分の国に誇りを持てない人間は、自分自身にも責任を持てなくなる、ということだろうか。
「富の退蔵(あるいは死蔵)」という面から、新しい社会経済学への切り口が見つかりそうな気がするので、備忘的に転載しておく。
特に不正な手段でなければ、富の形成自体は問題は無いのだが、その形成した富を社会に還元せず、退蔵(使わずにしまいこむこと)してしまうというのが富裕層の一般的行動パターンである。もちろん、再投資もするが、退蔵される富もかなりな割合に上る。そうすると、社会に流れる金は、常に減少していくことになる。国家は、必要なだけの通貨は流しているつもりでも、実はまったく不足しているわけだ。それは庶民生活の窮乏につながっていく。それを防ぐには、時間と共に減価していく金を制度化するか、あるいは、強制的に富裕層から高額税金を取り立てる必要が出てくる。そこで、タックスヘブンの存在が問題になってくるわけだ。
「起きて半畳、寝て一畳」が信条の私には、生活に必要な以上に金が欲しいという人間たちの心理が今一つ分からないのだが、取りあえず、「金を使うのは金持ちの義務だ」と言っておこう。税金を払わなくてもいいから、とにかく散財をしてくれ、と言いたい。それによって社会に必要な金が回るのである。
あと一つ、言っておく。富裕層の人々が贅沢な生活をしているとは言っても、それはイマジネーションで飾り立てられた幻想にすぎない、と私は思っている。堅苦しい身なりをして食べる豪華なレストランのディナーより、私は自分の部屋で気楽に食べるインスタント食品の方が美味いと思うし、一流ホテルのベッドよりも自分の狭いベッドの方が寝心地がいいだろう、と思っている。そんな程度の贅沢のために多くの人々を苦しめて金を得ようと齷齪するのは、実にくだらない人生だと思うのだが、これも彼らには貧乏人のひがみに見えるだろうか。
そもそも、価値観とは本来は個人の主観でしかないのである。ゴッホの絵は、彼の生前にはまったく値段もつかなかった。今では、何億円である。もちろん、その最大の理由は画商たちによって値段がどんどん吊り上げられたことだ。物(高級品・贅沢品)の値段とはそういうものだ。さて、ゴッホの絵の価値は、飢え死に寸前の人間の前に置かれた、一個の握り飯より上だろうか。あるいは、豪壮な大邸宅や高級車はどうだろうか。
(以下引用)
新富裕層VS国家:グローバル化時代の国家と個人
続壺齋閑話 (2013年8月19日 19:04) | トラックバック(0)
NHKスペシャルの『急増! 新富裕層の実態』という特集番組(8月18日放送)が、グローバル化を背景に登場した新富裕層と言われる階層の、登場の背景やその実態について紹介していた。この番組を見ると、所謂グローバル化の時代における、国民国家と個人との関係について、強く考えさせられる。
NHKの定義では、新富裕層とは1980年代以降世界的規模で登場した富裕層で、100万ドル以上の資産を持つ人々である。世界全体に1200万人以上いるとされ、そのうち日本人は190万人、アメリカに次いで多い。
彼らが登場した背景は、グローバル化、IT産業、金融の三つであるという。この新しい傾向にうまく乗ることでビジネスを成功させ、一躍資産家にのし上がったわけである。
それ自体は、褒められるべきであって、批判される筋合いではない。といって問題がないわけでもない。最大の問題は、資産を貯めた新富裕層が、主として高い税金を逃れる目的で、自分の国を捨てて、税金の安い国や地域(タックスヘブンというやつだ)に移住する現象が目立っていることだ。
番組ではそうしたタックスヘブンの一例としてシンガポールをあげ、そこに主として中国人の新富裕層が集まっている事態を紹介していた。彼らは自分たちの間で特別のサークルを形成して、まるで疎開のような生活をエンジョイしている。そのサークルへの入会を許された日本人もいるそうだ。
番組の取材に対して、彼らは率直に答えていた。自分の稼いだお金を自分で処分するというのは当たり前のことだ。だがその当たり前のことが、自分の国にいては許されない。何故なら多額の税金を取られてしまうからだ。自分たちは、無能な貧乏人を養うために税金をむしり取られているわけで、そんなことには耐えられない。だから国を捨ててタックスヘブンに移り住んだ。そのどこに問題があるのか。そんな言い分が伝わってきた。
だが、よく考えてみるがよい。彼らが金を稼げたのは自分の生まれた国のおかげである場合が殆どだ。移住した後でも、自分の国の経済活動に乗る形でビジネスをしている場合が多いだろう。なのに、その嫁いだ金を、稼がせてもらった国の中で回さないで、タックスヘブンで死蔵するわけだ。死蔵と言うのは、その金は経済の循環サイクルから外れて、タックスヘブンの銀行口座に預けられっぱなしになるからだ。そんな金は、祖国の経済発展はもとより、世界経済全体の発展にも、何の寄与もしない。
というわけで、新富裕層がタックスヘブンに逃れるという事態は、単に彼の出身国の課税が阻害されるのみではなく、世界の健全な経済をも阻害させるのだということを、よく認識しなければならない。個人の行為としては合理的であっても、世界大でこれを見れば、経済にとって有害なことになるわけである。
タックスヘブンといえば聞こえはいいけれど、いってみれば、他人の富に寄生しているようなものだ。自分では何らの富も生み出さず、外国で生まれた富を自分のものにする。その富が実体経済を動かすために使われればまだしも、殆どの富はタックスヘブンの銀行口座に死蔵されたままになる。ということは、世界経済全体にとってマイナスなことになるわけだ。タックスヘブンについては、いまのところ甘く見られているが、それが世界経済に及ぼす影響をグローバルな視点から分析し、グローバルな秩序形成を図っていかねばならないだろう。
番組では、海外移住した新富裕層の閉鎖的なサークルが、フェラーリに乗って集団行動をし、周囲に迷惑をかけて恥じないさまが映し出されていた。自分の国に誇りを持てない人間は、自分自身にも責任を持てなくなる、ということだろうか。
PR