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精神変化を待つか、革命か

「バカ国民帝国日本の滅亡」の記事の一節のみ引用。文中の「ダブルスタンダード」とは、日本人の思考習性が「いい人・悪い人」「身内・よそ者」で決定されていることのようだ。通常の「ダブルスタンダード」という用法は、二つの矛盾する基準を場合によって使い分ける、狡猾なやり方を言うが、ここでは単に「二つの基準」という意味で言っているように見える。というのは、「いい人・悪い人」「身内・よそ者」は矛盾することはほとんどなく、日本人的な思考習慣では、「身内=いい人」「よそ者=悪い人」となっているからである。私の「毛唐嫌い」も、(偽)右翼の「中国・韓国・ロシア嫌い」も、そういう意味では似たようなものだ。ただ、私にとっては「アジア=身内」であり、(偽)右翼にとっては「欧米=身内」という違いがあるだけである。言うまでもなく、(偽)右翼と書いたのは、本来の右翼はアジアが団結して欧米の侵略から日本(アジア全体)を守ろう、という思想が主流だったからである。
前置きが長くなったが、孔徳秋水氏は、その筆名(当然、幸徳秋水を尊敬しているのだろう)にも関わらず、「革命」に否定的であるようなのが解せない。日本人が精神的に変革しないかぎり、どんな革命をしても無意義だ、という考えのようだが、はたしてそうか。革命によって精神の変化も生まれる、ということもあるのではないか。人間の精神は外部刺激によって変化していくものだ。とすれば、今の社会が変われば、人間の精神も変わるだろう。もしも、精神変化を待つのなら、釈迦、キリストなどの偉大な教えがあったにも関わらず、人間の世界はこの2000年以上も暴力と悪の支配する野獣的世界であり続けたのはなぜか、を問わねばなるまい。



(以下引用)




また、こうした社会で”革命”などすればどうなるだろうか?




庶民が、どいつもこいつも”小権力者”、”小独裁者”なのだから、成り上がれば”大権力者”、”大独裁者”になるだけである。





権力を打倒しても、別の権力者が取って代わるだけにすぎない…




それで「世の中が変わった」などと言えようか?…「目先が変わった」にすぎないのではないのか?…





日本が民主社会になるための第一の条件は、日本人がことごとく、


この”ダブルスタンダード”を捨てることである。




「常識」を振りかざして、人を裁くことを止めることである





日本人よ、まず人間になれ!


 


地獄鬼畜生のルールを捨てて、人間のルールにしたがえ!!

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