で、戦争がなぜ容易に起こるのか(庶民がなぜ抵抗しないのか)といえば、庶民のほとんどの人は、「戦争で死ぬのは自分じゃない」と考えているからだ、というのが私の説である。
死刑囚を銃砲の前に立たせても、死刑囚は最後まで「自分が確実に死ぬ」とは思わないそうだ。これは、これを書いたドストエフスキー自身の体験である。
まあ、私自身爺いなので、たぶんこれから起こる戦争では「兵士としては」死なないだろうし、爆撃で死んでもべつにさほど惜しい命でもない。気の毒なのは若い人たち、子供や幼児たちである。「大人」の愚かさのために、貴重な命を生まれてすぐに失うのである。それが、政府に睨まれること覚悟でこうしたブログを書く理由だ。
(以下引用)
私の母親は戦争が大嫌いな平和主義者だった。といっても、何か思想的なものやイデオロギーに影響されたのではなく、個人的な体験によるものだった。
その一つは、実の兄を一人戦争で失ったことだ。沖縄戦だったという。沖縄戦では沖縄の人ばかりではなく、大勢の日本兵も亡くなっている。兄が亡くなったという知らせがあったときに、私の母親は自分の母親が嘆き悲しむのを見ていた。
もう一つは、敗戦後、実家の農地が90ha農地解放によってGHQに没収されたことだ。そこから考えると、私の母親は富農のお嬢様だったことになる。何でも、母親の実家では食事の時に、父親と長男は2人で一段高いところに座って食事をしていたという。
私は長男だから、母親は私をかわいがったし、お坊ちゃま扱いしたがった。しかし、母の結婚相手、つまり私の父親は平均的なサラリーマンの給料しかなく、思うように私をお坊ちゃま扱いできなかった。何かあると、実家に行って金を借りる、あるいは貰うなどのことでしのいでいたようだ。
それでも、GHQに土地を奪われなければ、息子をもっとお坊ちゃま扱いできただろうし、自分も金持ちの奥様風に生活できたという不満が抜けなかったと想像する。その不満は本来アメリカやGHQに向けられるのが自然であるけれども、そこはGHQの占領政策が上手だったのだろう。日本人がアメリカを恨むという方向には進ませなかった。
私の母親の場合は、散々戦争を煽って国民に犠牲を強いておきながら、終わってみれば悲惨な結果しかもたらさなかった天皇や政府、軍部に対する不満めいた感情が少しと、戦争はろくなものではないという強固な実感だった。
それに対して軍隊経験も少しあった父親は、自分や日本の情けなさを感じると同時に、「朝鮮も、樺太も、千島も、満州も、台湾も、全部とられちまった」という大損をした気持ちや、「逃がした魚は大きい」的な未練が強かったようだ。そして、「だから戦争などするべきではない」という母親の主張に対する反論はなかった。
そんな両親に育てられたものだから、私は戦争をしたがる人がいることを今でもあまりピンとこない。しかし、定年退職をして暇を持て余す中で少しずつ見聞が広がってくると、なんと世界には戦争を好むアメリカという国があることを知った。いや、戦争を好むどころではない。戦争をすることによって儲けよう、国を栄えさせようとする国であり、戦争をしないと死んでしまうと思っている国だ。
建国をすることがアメリカインディアンを攻め滅ぼすことと同義だったアメリカは、それ以降も戦争によって儲け、戦争によって威張り、戦争によって世界を支配してきた国であり、善悪でいえば悪の権化の国になる。私としては、死んでからもアメリカの滅亡を祈り続けたいくらいだ。
そこまではいいのだが、敗戦国である日本には戦争をしたがっている人などいないだろうと漠然と思い込んでいた。ところがそれも大きな間違いだったことに、ごく最近になって気が付いた。私も鈍い。
かつて朝日新聞が何かあるとすぐに「軍靴の音が聞こえてくる」と書くことに対して、「これだから左翼はどうしようもない」と苦笑していたものだが、今や日本には軍靴の音が大きく聞こえてくるようになったと思っている。
余談になるけれど、朝日新聞は戦前に戦争を煽ったことで有名なようだ。それが敗戦と共に戦争全否定という論調を示すようになった。しかし、現在は政府ベッタリの新聞でしかなく、新型コロナ騒動で正しい報道をしなかったばかりではなく、今後はおそらく戦争に対しても前のめりな報道をするのではないかと予想している。終始一貫しないのではなく、昔から「今だけ 金だけ 自分だけ」の新聞社であり、戦前は日本政府に媚を売り、戦後はアメリカに媚を売っているに過ぎない。これは他の新聞社、テレビ局にしたところで同じだけれど。
さて、私が日本に戦争を望んでいる人がいることに気がついたのは、岸田総理が「増税をして軍備を拡張する」と言い出してからだ。おそらく、戦争を望んだのは安倍元総理からだろう。安倍元総理で今でも私が不思議と思っていることの一つに「コロナウイルス拡大こそ、第三次世界大戦であると認識している。」という突拍子もない発言がある。
一体どういう意味だったのだろうか。その後ネット情報を見ているうちに、新型コロナの主管はアメリカの公衆衛生局ではなく、国防総省であるとの情報も流れたが、だとしても戦争とどのような関係にあるか不明だ。ただし、安倍元総理が第三次世界大戦という言葉を持ち出したことは、それだけ戦争に前のめりだったと推測できる。
岸田総理は頭が悪くてセリフの棒読みしかできない人だから、戦争に向かっていることを露骨に示し始めた。増税して防衛費を倍増させるという、その非常識さにおいて信じられない政策を打ち出した。その前には「敵基地攻撃能力」ないし「反撃能力」という言葉で、実質戦争を仕掛けることが可能な枠組みも作った。平和憲法は完全に無視された。
日本は着々と戦争をする準備をしているようにしか見えないが、一体どういうことなのだろうか。おそらくそれは、アメリカの姿勢が変化したためだろう。
大東亜戦争終了後、GHQは日本を戦争のできない国にすることに一所懸命だった。というのも、日本と戦争をしてやっつけてはみたものの、それはアメリカにとって嬉しいことではなかったからだ。日本よりも犠牲は少ないとはいえ、それでも人的にも物的にも被害は大きかった。「もう二度とアメリカに逆らえない国にしてやる」というのが、GHQの使命だった。
それは、GHQが制定した日本国憲法にも如実に表れている。あれを素直に読めば、日本は戦争をしないどころか一切の軍備を持つことができない。そこまで日本をがんじがらめにして一安心していたところ、世界情勢はすぐに変わるのだから面白いものだ。朝鮮戦争やベトナム戦争が生じたことから、つまり、ソ連や中国がアメリカと敵対するようになったために、アメリカの方で日本を利用したくなってきた。
どのように利用するかといえば、日清戦争や日露戦争のようにということになる。今はロシアに対して、ウクライナがその役割を担っている。ウクライナが負けてしまった現在、今度は日本をアメリカの代理として中国やロシアと戦わせることをアメリカは狙っている。
もちろん日本に代理戦争をさせておいて、アメリカ自身はのうのうと本国で高みの見物、左団扇ということになる。そんなことがアメリカは大好きだからね。しかし、問題は実際に日本にいかに戦争をさせるかだ。
アメリカ自身が制定した日本国憲法において、日本を戦争のできない国にしてしまったから、今度はやはりアメリカの圧力によって憲法を改正させ、中国やロシアとジャンジャンバリバリ戦争をさせようとアメリカは考えている。
そのために、アメリカは日本にたくさんのスパイを送り込み、あるいは日本の政治家や評論家などを次々と篭絡して、中国敵視、ロシア敵視のプロパガンダを盛んに行っている。テレビやSNS上でも、中国やロシアを非難したり、危険視したりしている人たちは、右翼か左翼かを問わず皆さんアメリカのスパイをしていると考えていい。
アメリカのスパイかどうかとは別に、日本には純粋に戦争を好む一群の人たちも存在しているように感じる。それは、政治家にも評論家にも一般人にも、何食わぬ顔をして隠れていそうだ。考えてみれば、ロシア・ウクライナ紛争が始まったときに、即座に多額の寄付金がウクライナ大使館に寄せられたという。寄付をしたのはいずれも、戦争大好きの日本人たちだ。なぜなら、寄付をした金は武器・弾薬に化けるに決まっているからだ。派手な殺し合いを期待していたことになる。
大東亜戦争の敗戦から80年近く経つけれども、あるいは、戦国時代が終わってから400年以上経つけれども、ひょっとすると日本人は根っからの戦争好きなのかもしれない。ヤバイなあ。ちょっと考えてほしいと思う。今の日本が中国と、あるいはロシアと戦争をして、日本にとって、あるいは日本人にとって何かいいことがあると思いますか? そりゃ中にはおいしい思いをする人も出てくるだろうけれど、ほとんどの日本人は死ぬや生きるやの悲惨な目に遭うことがはっきりしている。そんなことも分からないのだろうかなあ、愚かな日本人は。
おそらく岸田総理もそうだろうと思う。あんな弱虫のくせして、自分が死ぬ心配がないものだから、そして自分の権限をフルに発揮したいものだから、戦争をしたくてたまらない。アメリカも褒めてくれるしね。戦争になったら総理大臣は気分いいのだろうなあ。国民や兵士に向かって「ひるむな、おじけづくな、全員突撃〜!!!」とヒステリックに命令を発するのが岸田総理の夢だろう。世の中にはいるんだよね、そんな俗物が。
人間は戦争をするために発奮努力するべきではなく、平和を実現するために発奮努力するべきなのだけれども、そのことを理解している人は、この日本にどのくらいいるのだろうか。不安な限りだ。
表題の「戦争が、お好きでしょ」は、石川さゆりの「ウイスキーが、お好きでしょ」のもじりになる。1990年のCMソングだったという。1990年は平成2年。海部俊樹が総理大臣をしていた。パパブッシュとゴルバチョフの時代でもあった。世界も日本も、まだ現在のようには崩れ切っておらず、常識の通用する部分があった。それに、日本も今よりずっと元気が残っていた。