「増田俊男の時事直言」から転載。
ユダ金(米国)支配の一般マスコミとは違って、かなり客観的な見方であり、私の印象もこれに近い。下記記事は非常に論理的な推論だと思う。
米国の制止(命令)を振り切って安倍総理がプーチンと面談したのは重大な決断だ、と私は書いたが、増田氏も同じ考えのようだ。
第二次大戦後続いてきた「米国支配下の日本」から一歩を踏み出したのである。これまで、そういうことをやった総理はすべて失脚してきた。(中には暗殺されたのではないかと疑われる人もいる。)安倍がやったことは、それほど大胆な行動だったのである。それを無意味だったとか、愚行だとか書いてるブロガーの頭を私は疑う。
安倍が米国の支配から踏み出して、日本の「真の独立」のために命を賭けるなら、私はこれまで書いた悪口をすべて取り消して、謝罪してもいい。もっとも、書いた内容に間違ったことは無いと思うから、謝罪は安倍の愛国心や真剣さを過小評価していたかもしれない、という点だけだ。
案外とオバマなどもこの日本政府(安倍)の行動を黙認するのではないだろうか。つまり、米政府とジャパンハンドラーズは別物と考えるべきかもしれない。これまでは「米戦争屋→ジャパンハンドラーズ」の行動が米国の利益にも合致していたから、米政府中枢は「現場の判断」を黙認し、ジャパンハンドラーズ任せにしてきただけだ、という見方もできるのではないか。(つまり、日本はその程度の存在でしかなかったということだ。)
経済政策その他、安倍のやってきたことはすべて間違いだけだったが、案外、日露関係改善をきっかけに、正しい方向に進むという可能性もないではないような気がしないでもないwww
現実政治も、「真田丸」くらい面白くなってきた。今の段階は米国が豊臣家、ロシアが徳川家ね。日本はもちろん真田一族。総理は井戸に投げ込まれないようにご用心。(これは見ていない人にはイミフかwww)
(以下引用)赤字部分は夢人による強調。
平成28年5月9日
5月6日ロシアのソチで3時間以上にわたって安倍・プーチン(非公式)首脳会談が開かれた。(非公式にしたのはアメリカの手前)
安倍首相は戦後日本が一貫して堅持してきた対ロ外交政策の指針であり霞が関総務省ビル壁面に掲げてきた「北方領土が返る日、平和な日」と違ったアプローチを模索し始めた。
平和憲法同様戦後アメリカが日本に押し付けてきた「北方領土問題解決なくして平和条約なし」を安倍首相は「可能で現実的な指針」に変更しようとしている。
アメリカが北方領土返還最優先主義を日本に要求してきたのは、戦後東西冷戦での敵国であり、その後も東欧で、中東でアメリカ最大の敵国であるロシア(旧ソ連)にアメリカの東南アジア軍事覇権上の要であるアメリカの最重要同盟国日本を寄せ付けない為であった。
日ロ間で領土問題が決して解決できなかったのは日本が領土問題を最優先にしてきたからである。
日本がポツダム宣言受諾、無条件降伏を連合軍(米・ソ・英等連合国)に伝えた1945年8月14日直後アメリカは日本軍に対する戦闘を停止したが、ソ連は停戦せず北方四島を占領し、さらに北海道に軍を進めようとしたがアメリカに制止された。
国際法上明らかにソ連は北方四島を「侵略」したことになる。
日本やアメリカにしてみればロシアは北方四島を不当、不正占拠しているのだから日本の言う「北方領四島は日本固有の領土」は正しい。
しかしロシアにしてみるとアメリカが戦勝国として沖縄を併合し、返還後の今も米軍基地は治外法権でアメリカの領土同様なのだから北方領土は同じ戦勝国ロシアの領土だと言う認識である。
だからロシアは二言目には「日ロ間に領土問題はない」と主張するのである。
安倍首相の言う「従来と違ったアプローチ」とはアメリカの主張に従わないという意味である。
2014年3月クリミア併合以来の欧米の経済制裁、原油価格下落、ルーブル下落でロシア財政は困窮、今やロシアは藁をも掴みたい状態。
こうした時安倍首相はエネルギー共同開発、インフラ整備等々8項目にわたる対ロ経済協力を提案した。
プーチン大統領は渡りに船で飛びつき、日ロ経済協力の具体化の為腹心の下院議長や大臣を続々と日本に送ってくることになった。
9月ウラジオストックでの首脳会談に続くプーチン大統領訪日で両国は平和条約に向けて急速に歩を進めるだろう。
日ロ平和条約、日ロ経済関係強化はロシアと同盟関係にある中国の対日強硬政策にブレーキがかかると同時にアメリカの対ロ敵視政策にも影響する。
アメリカが強く望み予定されてオーストラリアの12隻の潜水艦の対日発注がフランスになったことで対中日豪同盟強化は消えた。
アメリカが望む日豪主導の対中軍事包囲網(日豪亜同盟)の結束が危うくなってきた。
今や安倍首相はやり方次第では来るべきアジアの覇権のあり方を変えることが出来るかも知れない。
安倍晋三は「言うに易いが行うに難し」の自主外交に踏み出した。
ユダ金(米国)支配の一般マスコミとは違って、かなり客観的な見方であり、私の印象もこれに近い。下記記事は非常に論理的な推論だと思う。
米国の制止(命令)を振り切って安倍総理がプーチンと面談したのは重大な決断だ、と私は書いたが、増田氏も同じ考えのようだ。
第二次大戦後続いてきた「米国支配下の日本」から一歩を踏み出したのである。これまで、そういうことをやった総理はすべて失脚してきた。(中には暗殺されたのではないかと疑われる人もいる。)安倍がやったことは、それほど大胆な行動だったのである。それを無意味だったとか、愚行だとか書いてるブロガーの頭を私は疑う。
安倍が米国の支配から踏み出して、日本の「真の独立」のために命を賭けるなら、私はこれまで書いた悪口をすべて取り消して、謝罪してもいい。もっとも、書いた内容に間違ったことは無いと思うから、謝罪は安倍の愛国心や真剣さを過小評価していたかもしれない、という点だけだ。
案外とオバマなどもこの日本政府(安倍)の行動を黙認するのではないだろうか。つまり、米政府とジャパンハンドラーズは別物と考えるべきかもしれない。これまでは「米戦争屋→ジャパンハンドラーズ」の行動が米国の利益にも合致していたから、米政府中枢は「現場の判断」を黙認し、ジャパンハンドラーズ任せにしてきただけだ、という見方もできるのではないか。(つまり、日本はその程度の存在でしかなかったということだ。)
経済政策その他、安倍のやってきたことはすべて間違いだけだったが、案外、日露関係改善をきっかけに、正しい方向に進むという可能性もないではないような気がしないでもないwww
現実政治も、「真田丸」くらい面白くなってきた。今の段階は米国が豊臣家、ロシアが徳川家ね。日本はもちろん真田一族。総理は井戸に投げ込まれないようにご用心。(これは見ていない人にはイミフかwww)
(以下引用)赤字部分は夢人による強調。
平成28年5月9日
安倍晋三は男になれるか!?
[その1]
5月6日ロシアのソチで3時間以上にわたって安倍・プーチン(非公式)首脳会談が開かれた。(非公式にしたのはアメリカの手前)
安倍首相は戦後日本が一貫して堅持してきた対ロ外交政策の指針であり霞が関総務省ビル壁面に掲げてきた「北方領土が返る日、平和な日」と違ったアプローチを模索し始めた。
平和憲法同様戦後アメリカが日本に押し付けてきた「北方領土問題解決なくして平和条約なし」を安倍首相は「可能で現実的な指針」に変更しようとしている。
アメリカが北方領土返還最優先主義を日本に要求してきたのは、戦後東西冷戦での敵国であり、その後も東欧で、中東でアメリカ最大の敵国であるロシア(旧ソ連)にアメリカの東南アジア軍事覇権上の要であるアメリカの最重要同盟国日本を寄せ付けない為であった。
日ロ間で領土問題が決して解決できなかったのは日本が領土問題を最優先にしてきたからである。
日本がポツダム宣言受諾、無条件降伏を連合軍(米・ソ・英等連合国)に伝えた1945年8月14日直後アメリカは日本軍に対する戦闘を停止したが、ソ連は停戦せず北方四島を占領し、さらに北海道に軍を進めようとしたがアメリカに制止された。
国際法上明らかにソ連は北方四島を「侵略」したことになる。
日本やアメリカにしてみればロシアは北方四島を不当、不正占拠しているのだから日本の言う「北方領四島は日本固有の領土」は正しい。
しかしロシアにしてみるとアメリカが戦勝国として沖縄を併合し、返還後の今も米軍基地は治外法権でアメリカの領土同様なのだから北方領土は同じ戦勝国ロシアの領土だと言う認識である。
だからロシアは二言目には「日ロ間に領土問題はない」と主張するのである。
安倍首相の言う「従来と違ったアプローチ」とはアメリカの主張に従わないという意味である。
2014年3月クリミア併合以来の欧米の経済制裁、原油価格下落、ルーブル下落でロシア財政は困窮、今やロシアは藁をも掴みたい状態。
こうした時安倍首相はエネルギー共同開発、インフラ整備等々8項目にわたる対ロ経済協力を提案した。
プーチン大統領は渡りに船で飛びつき、日ロ経済協力の具体化の為腹心の下院議長や大臣を続々と日本に送ってくることになった。
9月ウラジオストックでの首脳会談に続くプーチン大統領訪日で両国は平和条約に向けて急速に歩を進めるだろう。
日ロ平和条約、日ロ経済関係強化はロシアと同盟関係にある中国の対日強硬政策にブレーキがかかると同時にアメリカの対ロ敵視政策にも影響する。
アメリカが強く望み予定されてオーストラリアの12隻の潜水艦の対日発注がフランスになったことで対中日豪同盟強化は消えた。
アメリカが望む日豪主導の対中軍事包囲網(日豪亜同盟)の結束が危うくなってきた。
今や安倍首相はやり方次第では来るべきアジアの覇権のあり方を変えることが出来るかも知れない。
安倍晋三は「言うに易いが行うに難し」の自主外交に踏み出した。
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