雨続きで、しかも気温が高く湿度も高くて不快だった「我らが不満の夏」が過ぎ、昨日あたりから一気に冷涼な気候となり、実に爽やかである。私の書斎兼寝室の三方の窓から見える風景も、秋の青空と、それを飾る木々の浅緑だ。
ということで、秋の詩をうろ覚えの記憶で書いてみる。中学生のころに読んで覚えた詩で、それ以来あまり記憶に上らなかったので、間違いがあるかもしれない。ヴェルレーヌの詩で、詩の題名は忘れた。「落葉」だったか。上田敏の名訳で知られる詩だ。
秋の日の
ヴィオロンの
溜息の
身に沁みて
ひたぶるに
うら悲し
鐘の音に
胸ふたぎ
色変へて
涙ぐむ
過ぎし日の
思ひ出や
げに我も
うらぶれて
ここかしこ
定めなく
飛び散らふ
落ち葉かな
明治文語文だが、特に古語辞書を引くまでもなく、詩の内容は中学生でも理解できたものだ。古文は日本語なのだから当たり前である。そして60年ほども後まで記憶できたのは、言うまでもなく音韻のリズムによる。
さて、私は認知症だろうか、それとも健忘症だろうか。この両者は画然と違う、というのが私の説である。
ということで、秋の詩をうろ覚えの記憶で書いてみる。中学生のころに読んで覚えた詩で、それ以来あまり記憶に上らなかったので、間違いがあるかもしれない。ヴェルレーヌの詩で、詩の題名は忘れた。「落葉」だったか。上田敏の名訳で知られる詩だ。
秋の日の
ヴィオロンの
溜息の
身に沁みて
ひたぶるに
うら悲し
鐘の音に
胸ふたぎ
色変へて
涙ぐむ
過ぎし日の
思ひ出や
げに我も
うらぶれて
ここかしこ
定めなく
飛び散らふ
落ち葉かな
明治文語文だが、特に古語辞書を引くまでもなく、詩の内容は中学生でも理解できたものだ。古文は日本語なのだから当たり前である。そして60年ほども後まで記憶できたのは、言うまでもなく音韻のリズムによる。
さて、私は認知症だろうか、それとも健忘症だろうか。この両者は画然と違う、というのが私の説である。
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