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片恋の人蹤けてゆく祭かな

何気なく図書館で借りた、岸田今日子、吉行和子、富士真奈美という女優三人(親友らしい)の対談やエッセイやらを集めた本の中に、富士真奈美のこういう俳句がある。


片恋のひと蹤(つ)けてゆく祭かな


というのがあって、いい句だな、と思った。

イメージとしては高校生くらいの少女が片想いの男の子を祭の雑踏の中で見つけて、その後をつけていった、という感じだろうが、年寄りの男の私でもこの情感やドキドキ感は分かるし、若い子ならもっと分かるだろう。
こういう、誰にでもありそうな状況や気持ちを描いた句は、簡単に見えるが、この句の完成度は高いのではないか。作者自身、回想の句だと言っているからよくあるシチュエーションだろうが、高校生くらいではこの句は作れないと思う。似た内容の句はゴマンとあるだろうが、この句の言葉の使い方は、高校生にはたぶん無理だろう。ところが、理解するのは高校生でもできるのが、凄いのである。
まず、若い人は「片恋」という言葉を知らないだろう。そして、「つける」に「蹤」という漢字を使っているのがいい。まさに「足へん」だからこそ「つける」イメージに迫真性と臨場感が出るのである。
そして、最後の「祭かな」で、すべての出来事が象徴性を持つ。祭のドキドキ感と初恋や片想いのドキドキ感と重なって、「誰にでもある、あるいはあってほしい青春の思い出」の切ない感覚を呼び起こすのである。
季語とはまさに、句に象徴性や広がりを持たせるのが本質的機能なのだが、この句はその最適例だろう。祭という言葉で、祭に関わるすべてのイメージが湧き起こるのである。花火や、屋台の匂い、雑踏の音、etc,etc。 だが、祭は一晩ではかなく終わる。片恋も青春も同じである。
なお、この話には、そのつけていった相手は実は別人だった、というオチがある。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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