昨日の教育勅語に続いて、「正気の歌」とくると、夢人は右翼になったか、と言われそうだが、教育勅語も正気の歌もべつに右翼専用というものではない。
文天祥の「正気の歌」は「せいきのうた」と読むが、私はこれを「しょうきのうた」と読んで、今の、正気(しょうき)を失ってキチガイだらけの世の中に贈るつもりである。
皇路當淸夷 含和吐明庭(皇路清夷なるに当たりては 和を含みて明廷に吐く)
私は学者ではないし、手元に資料も無いから適当に書くが、「皇路清夷なるに当たりては 和を含みて明廷に吐く」の「夷」とは異民族のことで、「清夷」とは、「夷」を清める、すなわち「征夷」と同義だと思う。(漢文では「同音の語を同義に転用する」ことがよく行われる。「夷」の捕虜となっていた文天祥が、この詩の検閲に配慮して「征」の字を「清」に変えたのだろう。また原詩と書き下しでは「庭」が「廷」になっているが、そちらは誤植だろう。まあ、どちらも「てい」の音だから漢文的にはさしつかえない。)
その他の部分については訳詩を見ればいい。見事な訳だと思う。原詩は読みにくいのだから、訳詩だけ読めば十分であり、気に入った部分だけ原詩を読む、というのがいいだろう。
今の日本は、国民全員が異民族の政治的経済的精神的捕虜になったようなものであるから、文天祥が夷の捕虜になっても「正気」を失わず、名を青史にとどめた故事を知るのもいいのではないか、ということである。
(以下引用)
正気の歌
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正気の歌(せいきのうた)
| 原文 | 書き下し文 |
| 天地有正氣 雜然賦流形 | 天地に正気有り 雑然として流形を賦く |
| 下則爲河嶽 上則爲日星 | 下りては則ち河嶽と為り 上りては則ち日星と為る |
| 於人曰浩然 沛乎塞蒼冥 | 人に於ては浩然と曰い 沛乎として蒼冥に塞つ |
| 皇路當淸夷 含和吐明庭 | 皇路清夷なるに当たりては 和を含みて明廷に吐く |
| 時窮節乃見 一一垂丹靑 | 時窮すれば節乃ち見れ 一一丹青に垂る |
| 在齋太史簡 在晉董狐筆 | 斉に在りては太史の簡 晋に在りては董狐の筆 |
| 在秦張良椎 在漢蘇武節 | 秦に在りては張良の椎 漢に在りては蘇武の節 |
| 爲嚴將軍頭 爲嵆侍中血 | 厳将軍の頭と為り 嵆侍中の血と為る |
| 爲張睢陽齒 爲顏常山舌 | 張睢陽の歯と為り 顔常山の舌と為る |
| 或爲遼東帽 淸操厲冰雪 | 或いは遼東の帽と為り 清操氷雪よりも厲し |
| 或爲出師表 鬼神泣壯烈 | 或いは出師の表と為り 鬼神も壮烈に泣く |
| 或爲渡江楫 慷慨呑胡羯 | 或いは江を渡る楫と為り 慷慨胡羯を呑む |
| 或爲撃賊笏 逆豎頭破裂 | 或いは賊を撃つ笏と為り 逆豎の頭破れ裂く |
| 是氣所旁簿 凛列萬古存 | 是の気の旁簿する所 凛列として万古に存す |
| 當其貫日月 生死安足論 | 其の日月を貫くに当っては 生死安んぞ論ずるに足らん |
| 地維頼以立 天柱頼以尊 | 地維は頼って以って立ち 天柱は頼って以って尊し |
| 三綱實係命 道義爲之根 | 三綱 実に命に係り 道義 之が根と為る |
| 嗟予遘陽九 隷也實不力 | 嗟 予 陽九に遘い 隷や実に力めず |
| 楚囚纓其冠 傳車送窮北 | 楚囚 其の冠を纓し 伝車窮北に送らる |
| 鼎鑊甘如飴 求之不可得 | 鼎鑊 甘きこと飴の如きも 之を求めて得可からず |
| 陰房闃鬼火 春院閟天黑 | 陰房 鬼火闃として 春院 天の黒さに閟ざさる |
| 牛驥同一皂 鷄棲鳳凰食 | 牛驥 一皂を同じうし 鶏棲に鳳凰食らう |
| 一朝蒙霧露 分作溝中瘠 | 一朝霧露を蒙らば 分として溝中の瘠と作らん |
| 如此再寒暑 百沴自辟易 | 此如くして寒暑を再びす 百沴自ら辟易す |
| 嗟哉沮洳場 爲我安樂國 | 嗟しい哉沮洳の場の 我が安楽国と為る |
| 豈有他繆巧 陰陽不能賊 | 豈に他の繆巧有らんや 陰陽も賊なう不能ず |
| 顧此耿耿在 仰視浮雲白 | 顧れば此の耿耿として在り 仰いで浮雲の白きを視る |
| 悠悠我心悲 蒼天曷有極 | 悠悠として我が心悲しむ 蒼天曷んぞ極まり有らん |
| 哲人日已遠 典刑在夙昔 | 哲人 日に已に遠く 典刑 夙昔に在り |
| 風簷展書讀 古道照顏色 | 風簷 書を展べて読めば 古道 顔色を照らす |
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| 通釈 |
この宇宙には森羅万象の根本たる気があり、本来その場に応じてさまざまな形をとる。 それは地に下っては大河や高山となり、天に上っては太陽や星となる。 人の中にあっては、孟子の言うところの「浩然」と呼ばれ、見る見る広がって大空いっぱいに満ちる。 政治の大道が清く平らかなとき、それは穏やかで立派な朝廷となり、 時代が行き詰ると節々となって世に現れ、一つひとつ歴史に記される。 例えば、春秋斉にあっては崔杼の弑逆を記した太史の簡。春秋晋にあっては趙盾を指弾した董狐の筆。 秦にあっては始皇帝に投げつけられた張良の椎。漢にあっては19年間握り続けられた蘇武の節。 断たれようとしても屈しなかった厳顔の頭。皇帝を守ってその衣を染めた嵆紹の血。 食いしばり続けて砕け散った張巡の歯。切り取られても罵り続けた顔杲卿の舌。 ある時は遼東に隠れた管寧の帽子となって、その清い貞節は氷雪よりも厳しく、 ある時は諸葛亮の奉じた出師の表となり、鬼神もその壮烈さに涙を流す。 またある時は北伐に向かう祖逖の船の舵となって、その気概は胡を飲み、 更にある時は賊の額を打つ段秀実の笏となり、裏切り者の青二才の頭は破れ裂けた。 この正気の満ち溢れるところ、厳しく永遠に存在し続ける。 それが天高く日と月を貫くとき、生死などどうして問題にできよう。 地を保つ綱は正気のおかげで立ち、天を支える柱も正気の力でそびえている。 君臣・親子・夫婦の関係も正気がその本命に係わっており、道義も正気がその根底となる。 ああ、私は天下災いのときに遭い、陛下の奴僕たるに努力が足りず、 かの鍾儀のように衣冠を正したまま、駅伝の車で北の果てに送られてきた。 釜茹での刑も飴のように甘いことと、願ったものの叶えられず、 日の入らぬ牢に鬼火がひっそりと燃え、春の中庭も空が暗く閉ざされる。 牛と名馬が飼い馬桶を共にし、鶏の巣で食事をしている鳳凰のような私。 ある朝湿気にあてられ、どぶに転がる痩せた屍になるだろう。 そう思いつつ2年も経った。病もおのずと避けてしまったのだ。 ああ!なんと言うことだ。このぬかるみが、私にとっての極楽になるとは。 何かうまい工夫をしたわけでもないのに、陰陽の変化も私を損なうことができないのだ。 何故かと振り返ってみれば、私の中に正気が煌々と光り輝いているからだ。そして仰げば見える、浮かぶ雲の白さよ。 茫漠とした私の心の悲しみ、この青空のどこに果てがあるのだろうか。 賢人のいた時代はすでに遠い昔だが、その模範は太古から伝わる。 風吹く軒に書を広げて読めば、古人の道は私の顔を照らす。 |

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