大江健三郎の「小説の経験」という本の中に書かれているエピソードだが、外交官を引退した大江の友人が、「文学再入門」をしたい、と言い、次のようなことを述べる。
「外交官としての現実の経験と知識がいくらかはかさなっている以上(夢人注:「経験と知識をいくらかは重ねている以上」、と言うのが自然だと思うが、私の勘違いだろうか。)そこに照しあわせながら、あらためて文学の基本的なそれも大切なところを押さえた眺めを、新しい心と感覚でたどってみたい」「そうすることで自分の引退後の人生に必要なものをかちとりうるような気がする」
同じく、大江の知人女性も次のように言う。
「このところ日々の忙しさにまぎれて本も読めない年月が過ぎたけれど、女学生のころに読んだこの国や世界の名作をもう一度読んでから、この生を終わりたい」「障害を持っている子供の世話にかまけてなにも深いことは考えず、追いたてられるようにして生きてくるうちに、それでも不思議なことですけど、いまならトルストイのことがよくわかるのじゃないか、それだけの心と身体の経験はかさねているのじゃないか、という気がしますから」
この二人は、「生涯の最後を、かつて読んだ本を新しい眺めのもとで読んで終わりたい」という点で共通している。この二人にとって、本の中の世界は現実人生以上の、「高度な人生」であり、若いころに十分に味わえなかったそれを思い切り味わってから死んでいきたい、と思っているわけだ。「新しい心と感覚で」かつて読んだ本を再読する。私もやってみたいことであり、しかも容易にできるはずだが、それには「落ち着いた心」が必要であり、今の私にはまだ覚悟が十分ではない。
「外交官としての現実の経験と知識がいくらかはかさなっている以上(夢人注:「経験と知識をいくらかは重ねている以上」、と言うのが自然だと思うが、私の勘違いだろうか。)そこに照しあわせながら、あらためて文学の基本的なそれも大切なところを押さえた眺めを、新しい心と感覚でたどってみたい」「そうすることで自分の引退後の人生に必要なものをかちとりうるような気がする」
同じく、大江の知人女性も次のように言う。
「このところ日々の忙しさにまぎれて本も読めない年月が過ぎたけれど、女学生のころに読んだこの国や世界の名作をもう一度読んでから、この生を終わりたい」「障害を持っている子供の世話にかまけてなにも深いことは考えず、追いたてられるようにして生きてくるうちに、それでも不思議なことですけど、いまならトルストイのことがよくわかるのじゃないか、それだけの心と身体の経験はかさねているのじゃないか、という気がしますから」
この二人は、「生涯の最後を、かつて読んだ本を新しい眺めのもとで読んで終わりたい」という点で共通している。この二人にとって、本の中の世界は現実人生以上の、「高度な人生」であり、若いころに十分に味わえなかったそれを思い切り味わってから死んでいきたい、と思っているわけだ。「新しい心と感覚で」かつて読んだ本を再読する。私もやってみたいことであり、しかも容易にできるはずだが、それには「落ち着いた心」が必要であり、今の私にはまだ覚悟が十分ではない。
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