小池の発想は、特攻隊員をお国のために死んだ英雄扱いするのと同じである。あんなのは卑怯卑劣な上官や馬鹿な戦争指導者の犠牲になっただけの犬死にであり、ちゃんと犬死にだと言わないと彼らはかえって無念だろう。私が彼らの立場なら、英雄扱いなどされたほうが、上官たちや国家(政府)への怒りが有耶無耶にされ、無念だろうと思う。死んだ後に飾られても嬉しくも何ともない。犬死にさせられて気の毒だ、と思われた方がマシである。犬死にして馬鹿だ、と笑われても、靖国に祭られて、政治利用される(つまり、自分を殺した奴らの同類やその子孫に利用される)よりはマシだろう。
(以下引用)
東京都の小池百合子知事は30日、東京都庁で報道陣のインタビューに応じた。
亡くなった志村けんさんについてのコメントを求められると、以下のように回答した。
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まず、謹んでお悔やみを申し上げたいと存じます。
志村さんといえば、本当にエンターテイナーとして、みんなに楽しみであったり、それから笑いを届けてくださったと感謝したい。
最後にですね、悲しみとコロナウイルスの危険性についてですね、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、その最後の功績も大変大きいものがあると思っています。
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冒頭、小池知事はお悔やみと賛辞の言葉を伝えた。
続いて、「コロナウイルスの危険性についてですね、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、その最後の功績も大変大きいものがある」と述べた。この“功績”という表現に批判が集まっている。
この表現について、ネット上では「功績という表現は、それは違うと思う。すごく違和感がある」「結果的に多くの人に改めて(ウイルスの)怖さを伝えることになったかもしれないが、決して本人が望んだ死ではなかったはずだから、それを“功績”という表現でまとめるのは安易すぎるのでは」「人の死をなんだと思っているのか、注意喚起に利用していると受け取ってしまう」などという批判が上がった。
小笠原 遥/Haruka Ogasawara