積極的な宗教心がないなら宗教なしの弔いは可能な選択肢
私事で恐縮だが、先週の金曜日(11月25日)札幌にいた筆者の父が、90歳の誕生日を目前に亡くなった。
近年、お墓やお葬式の方法、さらにはお寺との付き合いになどに悩む人が多く、相談を受けることもあるので、読者の参考になればと思い、以下、札幌の我が家の弔いの様子を書く。
あらかじめ申し上げておくが、筆者の意図は、読者に無宗教を積極的に勧めようとするものではない。信仰が人生の助けになる人もいるし、宗教は文化や芸術にも多大な貢献をして来た。また、先祖のお墓に手を合わせることが、心に良い影響をもたらすという意見もあり、これも否定しない。
ただ、いずれの宗教にも入信しない場合や、何らかの宗教への信仰心はあるものの、現実の宗教ビジネスがあまりに商業的であって、端的に言ってお金が掛かりすぎることに納得できない場合に、筆者の家族のようなやり方があることをお伝えしておきたいだけだ。世間には、積極的な宗教心からではなく、惰性で、あるいは手続きのためだけに、お寺や墓地に拘束されて、面倒な思いと、少なからぬ支出に悩んでいる方が少なくないようにお見受けする。
さて、大正15年生まれの父は、約2年前に転倒して頭部を強打し、生死をさまよう大怪我をしたが、リハビリテーションが上手くいき、1年半ほど前から札幌市内の介護付き施設に入所していた。老人特有のもの忘れや動作の遅さなどがあったが、認識は十分保たれていて、電話で話もできたし、碁を打ったり、俳句を作ったりもできた。妻(81歳)がほぼ毎日施設を訪ねて、また施設での人間関係にも恵まれて、順調に暮らしていた。
数日前から背中の痛みを訴えて、病院に行くなど、やや不調であったが、亡くなる当日は、訪ねてきた妻とリンゴを食べ「美味しい、美味しい」と言って食欲もあり、施設の玄関まで見送りに出るなど前日よりも元気だった。母は「これから調子が上向くのだろう」と思って、午後遅くに札幌市内に所用で出掛けたという。
理想のピンピンコロリ父の死亡から帰宅まで
ところが、その日の夕刻、施設の担当者が夕食を知らせに来てみると、ベッドに座っている父の様子がおかしい。直ちに医者を呼んだが、18時14分付けで死亡が確認された。苦しんだ様子もなく、血を吐くなどの跡も一切なく、静かに事切れていたのだという。急変の知らせを受けた母は施設に駆けつけたが、最期には間に合わなかったし、息子(筆者)、娘(筆者の妹)も東京で働いており、同様だった。
しかし、世間では理想の死に方と言う向きもある、いわゆる「ピンピンコロリ」の死に方の場合、こうなるのは仕方がない。本人・家族ともに最後の別れを言うことができないが、家族の時間を余計に使うこともなく、心配を掛ける時間もないし、終末の医療費も掛からないのは大変いい。
なお、本人は、施設に対し、一時的な延命措置を望まないことについて、意思確認の書類を提出していた。意識がないのに、各種の管がつながって生きているような状態を、本人も家族も嫌ったのだ。
知らせを受けて、筆者と妹は取り急ぎ羽田空港に向かい、最終便で札幌の実家に着いた。到着は零時を過ぎていたが、母が葬儀社に連絡を取り、父の遺体をすぐに自宅に戻しており、父は和室の一室に仰向けに寝ていた。顔に布は掛けられておらず、声を掛けると目を覚ましそうな様子だ。
遺体はドライアイスによって冷却されており、葬儀社によると丸2日間、自宅に置くことができる。「その間、ゆっくりお別れしてください」と言う。ドライアイスは半日単位で葬儀社によって取り替えられた。
遺体の様子はまるで普通で、恐ろしさや、おどろおどろしさは一切なかった。線香の臭いなどがないのが、良いのだろう。筆者は、二晩、遺体の近くに寝ていて、思い出したことなどを語り掛けた。生前の父との違いは、いびきも返事もないことくらいだ。
今回のやり方だと、家族は故人との別れをゆっくり惜しむことができる。葬儀社が手際よく用意した枕元の小机に花を飾り、故人が好きだった珈琲や紅茶などを入れる度に声を掛ける。2日目の夜は、「そういえば、彼は、家族とすき焼きをするのが好きだった」と思い出したので、残った家族3人ですき焼きをしながら、故人の思い出話をした。
家族だけで別れを惜しむのがいい、という母の意向で、父の死亡は、父の弟夫妻と札幌在住の甥、及び父が作った会社(現在は母が社長)の筆頭部下にしか知らせなかったので、彼ら以外の弔問客もない。
丸2日間、自宅の和室でゆっくりと家族だけでの別れ
通夜・告別式などに伴う、受付、挨拶、香典のやりとり、お経やお坊さんの説教などもないし、何よりも家族はゆっくり眠ることができる。通夜、告別式は、冬場では会場のどこかが寒いし(かつて祖母の葬儀の際に、叔父が「坊主って、寒さに強いな」と言っていたのが印象的だ)、遺族が心身共にひどく疲れることが多い。ただでさえ悲しい時なのだから、これらがないのは大きなメリットだ。
火葬は早々に日曜日と決まり、前日の夕方に、納棺師さん(若い女性で、希望してなったという。映画「おくりびと」でも観たのだろうか)が体を清めて、着替えを行ってくれた。遺体の肌を見せないように布を掛けたまま行うのだが、見事な手際で作業が進み、シャツにベストとジャケット、下はズボンという、妻が満足するお出かけスタイルの着替えが、短時間できちんとでき上がった。
火葬までに家族がすべきことは、棺に一緒に入れる小物(なるべく燃え残らない物)を選ぶだけだ。今回は、息子、娘からの手紙、俳句やメモを書いていた鉛筆の入った筆入れ、娘宛ての住所が印刷された葉書数枚、それに本人愛用の帽子を入れた。
火葬の当日は、葬儀社の車が来て遺体を運び出した。マンション暮らしのため、部屋に十分なスペースがないことと、棺の運び出しが困難なことから、遺体は葬儀社で棺に納めた。家族は葬儀社の車に同乗し、まず葬儀社へ、次に火葬場に向かう。
火葬場では、焼香や読経その他が一切なく、立ち会った家族3人と、弟夫婦、甥の6人は、故人との別れを惜しむだけでいい。
遺体は約90分で焼き上がった。6人で骨を拾い、骨壺に収めた。家族は、葬儀社の車で遺骨と共に自宅に戻った。
母によると、総費用は、棺代なども含めて、約37万円だったという。やり方にもよるだろうが、お葬式を行うよりは安い。お葬式の場合、香典で費用が賄えるかもしれないが、他人が払うとはいえ、一連のサービスに多額の支払いを行うことだから、その納得性が問題だ。収支だけで考えるべき問題でもないだろう。
お坊さんなしの弔い(「坊主フリー」と呼ぶか「坊主レス」と呼ぶか迷っている)、をやってみて、「何よりも、家族でゆっくり、心のこもった別れができたのが良かった」というのが故人と長年連れ添った筆者の母の言であり、息子、娘も、100%同意するところだ。
母の英断と行動力お墓は3年前に撤去した
かつて、父方の山崎家は、小樽市内のあるお寺の檀家だった。特に、一時期の父は熱心であり、そこそこに寄付なども行っていたので、寺の境内の良い場所に山崎家の墓があった。
しかし、住職が代替わりするのと共にお寺の有り難みが薄れた。加えて、寄付を求める、墓があるのに納骨スペースを買わせる(父は130万円出して付き合ったが、一度も使われることがなかった)、お盆には頼みもしないのに住職がやって来ては心のこもらない(と我々には聞こえた)お経を上げてお金を持って行く、といった調子で、お寺の商業性が露骨に見えるようになって、しだいに不快感が募った。
とはいえ、お寺に墓があり、先祖の骨を持たれている以上、お寺と縁を切ることができず、いわば、骨と墓を質に取られているような状態だった。
その状態は長く続いたが、3年と少々前のある日、母がお墓を撤去して散骨を行うNPO法人があるとの記事を見つけて、興味を持った。お墓及びお寺が、子孫の負担になるとの考えの下、彼女は、息子・娘に相談して、お墓を撤去し散骨を行い、件のお寺と縁を切る意向を固め、これに父も同意した。
その後の母の行動は早かった。記事で見つけた「一般社団法人・終活支援センター」と連絡を取り、さらに寺と交渉して、お墓からお骨を取り出し、お墓を撤去する作業を進めた。お骨の取り出しと洗浄、及びお墓を更地に戻す費用が数十万円掛かり、「きっと家族に悪いことが起こりますよ」という、お寺の脅しとも呪いともつかぬ嫌味を我慢したが、3年前に墓の撤去を終えて、お骨を父の一家にゆかりの深い小樽の海に散骨してもらった。
散骨の費用は一体あたり3万数千円だったとのことで(現在の同センターのホームページには3万9000円とある)、11体分の費用が掛かったが、これで完全にお寺との縁が切れた。息子としては、母がしてくれた数々の事の中でも、特に感謝したい快挙であった。
母は、実家の仏壇も撤去し、縁の近い先祖数人の写真を箪笥の上の目立つ場所に飾って、毎日、写真に向かって語り掛けている。彼女は、「狭い仏壇の中に閉じ込めておくよりも、はるかにご先祖様に対して親しみが湧くし、彼らのことを思い出す」と言っている。気が向いたら、飲み物や食べ物をお供えすることも勝手にできる。
彼女も彼女の子どもたちも無宗教だが、先祖に対する親しみや感謝の念は大いに持っている。また、冒頭にも述べたように、筆者は他人の信仰心を否定しようとは思っていない。生きている者の気持ちが整い、気が済めばいいのだ。
ただ、宗教及び「宗教ビジネス」を介在させなくとも、心のこもった弔いはできるし、先祖を思い出して感謝する生活をすることができる、ということをお伝えしたいだけだ。
父の遺骨は、しばらく自宅に置かれる予定だ。どこかに散骨するのがいいか、自分も一緒に埋葬してもらえるようにどこかの施設に埋葬するか、遺骨の処置を、母はゆっくり考えるという。
息子としては、もちろん散骨で構わないし、あるいは、母親も彼女の子どもも都会の賑わいと人間が好きなので、彼女の娘と息子が暮らす東京都下の共同埋葬施設に納めてもらうのがいいかもしれない、とも思っている。
明日あたりは、父の写真が実家のどこかに飾られるはずだ。父の写真にあれこれ語り掛けながらの、母の新しい生活が始まる。