「混沌堂主人雑記」から転載。
面白い卦である。
「参院選どうなる」という曖昧な聞き方だと易の回答もまた曖昧なものになるのではないか。つまり、「誰にとって」どうなるのか、が分からないからだ。
私にとっていい卦なら、私の敵にとっては悪い卦ということになる。「日本国民にとって」と言うなら、日本国民の中の上級国民にとってか下層国民にとってかで良し悪しは分かれる。
まあ、もともと易は「君主(君子)の進路を占うもの」であったらしいから、庶民の運命が易で占えるかどうかも疑問ではあるが、現在は「一般人の運命も占える」という前提で行われているのだから、その辺は気にすることもないだろう。
あまり真剣にならず、「迷ったときのヒント」くらいに思えばいいし、遊びとしても面白いものである。その気になれば、花びらでも占いはできる。(良い結果が欲しければ、「選管ムサシ」式に最初から花びらの数が決まっている花を選ぶという手もあるwww)
さて、混沌堂主人のたてた卦の結果だが、「雷沢帰妹二爻」と出たようだ。
「(帰妹は)征けば凶。利するところなし」が「帰妹」全体の卦で、二爻は「片目で物を見てもあまり遠くまでは見られないのだから、静かに居て平常を失わないのがよい」くらいの意味のようだ。要するに、あれこれ先を予測してもムダだから、あまり慌てて行動するな、ということだろう。
与党の卦と野党の卦も面白い。
与党は「あんた方がやろうとしているのは悪い女と結婚するようなことだから、やめたほうがいいよ」ということであり、「もし、それをやったら、尻の肉が剥ぎ取られて苦しむような目に遭うよ」ということだ。
野党は「六五(りくご)、貞(ただ)しくして吉(きち)なり、階(かい)に升(のぼ)らしめん、」で誰でも理解できるだろう。「あなた方がやろうとしていることは正しい。結果も吉だろう。上昇機運にあるよ」ということである。
まあ、結果がどうなるか楽しみである。マスコミが書き立てていることと正反対の卦であるのが非常に面白い。
(以下引用)
(夢人追記)「世に倦む日々」から転載。
選挙予測の大好きな「世に倦む日々」さんだが、彼はマスコミ記事を元にして予測をしているのだから、「この共同の最終推定は私の当初予想と近い。」のは当然だろう。
ベンジャミン・フルフォード氏流の方法で私も予測を書いておこう。
「今回の選挙では野党の実質的勝利になる。そうならなければ不正選挙である(ベン・フル流には「私が書いたからである」)」www
まあ、それは半分冗談だが、「世に倦む日々」氏は、過去の選挙がマスコミ予測どおりになっていた、つまり不正選挙であることが本当は分かっているのだろう。だから、「マスコミ予測に近い予測」を書き、当たれば、「自分の予測が正しかった。左翼の非現実性や希望的観測にはあきれたものだ」と嘆いて、同じ左翼の中でも「現実主義的左翼」を演じるという戦略を取ってるかと思う。まあ、ブログを有料にするから、私のような人間に悪口を言われるのである。世の中を本気で変えたいのなら、有料ブログなど書くはずはない。いくらでも無断転載可として、自分の意見を広めてほしいと願うはずではないか。
参院選の終盤情勢 - 改憲勢力が3分の2を取り、1人区は「野党共闘」が完敗
面白い卦である。
「参院選どうなる」という曖昧な聞き方だと易の回答もまた曖昧なものになるのではないか。つまり、「誰にとって」どうなるのか、が分からないからだ。
私にとっていい卦なら、私の敵にとっては悪い卦ということになる。「日本国民にとって」と言うなら、日本国民の中の上級国民にとってか下層国民にとってかで良し悪しは分かれる。
まあ、もともと易は「君主(君子)の進路を占うもの」であったらしいから、庶民の運命が易で占えるかどうかも疑問ではあるが、現在は「一般人の運命も占える」という前提で行われているのだから、その辺は気にすることもないだろう。
あまり真剣にならず、「迷ったときのヒント」くらいに思えばいいし、遊びとしても面白いものである。その気になれば、花びらでも占いはできる。(良い結果が欲しければ、「選管ムサシ」式に最初から花びらの数が決まっている花を選ぶという手もあるwww)
さて、混沌堂主人のたてた卦の結果だが、「雷沢帰妹二爻」と出たようだ。
「(帰妹は)征けば凶。利するところなし」が「帰妹」全体の卦で、二爻は「片目で物を見てもあまり遠くまでは見られないのだから、静かに居て平常を失わないのがよい」くらいの意味のようだ。要するに、あれこれ先を予測してもムダだから、あまり慌てて行動するな、ということだろう。
与党の卦と野党の卦も面白い。
与党は「あんた方がやろうとしているのは悪い女と結婚するようなことだから、やめたほうがいいよ」ということであり、「もし、それをやったら、尻の肉が剥ぎ取られて苦しむような目に遭うよ」ということだ。
野党は「六五(りくご)、貞(ただ)しくして吉(きち)なり、階(かい)に升(のぼ)らしめん、」で誰でも理解できるだろう。「あなた方がやろうとしていることは正しい。結果も吉だろう。上昇機運にあるよ」ということである。
まあ、結果がどうなるか楽しみである。マスコミが書き立てていることと正反対の卦であるのが非常に面白い。
(以下引用)
参議院選挙どうなる・・・
仮に聴きました。
2016 参院選挙 どうなる
雷沢帰妹 の 2爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-59.html
http://www.keisho.server-shared.com/64/k54.html
変卦は
震為雷
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-56.html
http://www.keisho.server-shared.com/64/k51.html
選挙結果よりも、その後に地震が起こりかねない。
あるいは「大恐慌」
でも7日もすれば、戻ってくる・・・・
自公ら与党{従米勢力・原発勢力}
天風女后 の 3爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-49.html
http://www.keisho.server-shared.com/64/k44.html
上記文抜粋
・・・・・・・
九三(きゅうさん)、臀(いさらい)に膚(にく)无(な)し、其(そ)の行(い)くこと次且(ししょ)たらば、(あやう)けれども大(だい)なる咎(とが)は无(な)し、
この卦は初六のみが陰なので、他の五陽爻は共にこの初六の一陰を求める。
そこで、落ち着いてその場に居られない。
まるで、臀部に膚肉がなく、座っているのが痛くて、すぐに立ち上がってしまうように。
だから、臀いに膚无し、という。
しかし九三は、初六と応でもなければ比でもないので、行き求める筋合いではなく、行こうとしても、容易には行けない。
無理して行こうとすれば危険である。
このまま諦めれば、多少の気迷いはあったとしても、大きく咎められることはない。
だから、其の行くこと次且たらば、けれども大なる咎は无し、という。
なお、臀无膚、其行次且は、沢天夬の九四と同じであり、この部分の詳解は沢天夬の爻辞の書いているので、ここでは省略する。
ちなみに、この天風姤は、沢天夬を上下転倒させた卦であって、天風姤の九三は、逆方向から見ると沢天夬の九四なのである。
このような関係があると、爻辞に同じ言葉を共有する場合があるのである。
・・・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
変卦は、
天水訟
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-11.html
http://www.keisho.server-shared.com/64/k6.html
上記文抜粋
・・・・・・・
六三(りくさん)、旧徳(きゅうとく)に食(は)む、貞(かた)くすれば(あやう)し、終(お)わりには吉(きち)なり、王事(おうじ)に従(したが)うこと或(あ)れど、成(な)すこと无(なか)れ、
六三は坎の険難の卦の極に居るので、その身に険難がある者とする。
その険難とは、坎を食禄とすれば、食禄費用が不足して困窮している様子だから、その不足を九五に訟え嘆こうとしているのである。
しかし、六三は陰柔にして才力がないので、進み犯すことを憚り、己が無能なることを省みて、訟えを思い止まる者である。
だから、旧徳に食む、という。
旧徳とは旧禄のことにして、祖先より承け伝えた世禄である。
なぜ、禄と言わずに徳と言うのかには、深く重い戒めを込めている。
平和な世の禄というものは、当人のではなく、その祖先の功徳によって賜っている俸給世禄である。
それを打ち忘れて六三の爻は、自身には徳も功もなく、妄りに加増を望んでいるのであって、だから制し戒めているのである。
もし、その志を改めずに、強いて加増を望み訟えれば、これは危うき道である。
だから、貞くすればし、という。
この貞は貞固の意である。
したがって、加禄を求め望むことを改め変じて、よく慎み、旧職を守るときには、無事なのである。
だから、終わりに吉なり、という。
そして、君命を受けて、事に任じられることがあるときは、直向にその役に従事するべきである。
仮に、よくその事を勤め得たとしても、決して自分のチカラだとは考えないことである。
まして、賞を乞い望むなどはもってのほかである。
臣は自身のために事をするのではなく、君命を畏み、忠勤に励むことこそが大事なのである。
だから、王事に従うこと或れども、成すこと无かれ、という。
・・・・・・
・・・・・
抜粋終わり
自公・維新は、勝てないが、負けもしない・・・。
多分ムサシは発進するけど、大勝はしない・・・かも。
野党 {反原発・対米独立・中露同盟派}
地風升 5爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-51.html
http://www.keisho.server-shared.com/64/k46.html
上記文抜粋
・・・・・・・
六五、貞吉、升階、
六五(りくご)、貞(ただ)しくして吉(きち)なり、階(かい)に升(のぼ)らしめん、
六五は升の時に当たって、柔中の徳を以って君位に居る。
これは位階の極にして、更に升り進むべきところはない。
とすると、後は諸侯を升って来させるだけである。
諸侯を升って来させるとは、諸侯が来服して升り朝覲することを指す。
この時に当たって六五の君は、よく己を虚しくして、その徳を貞正にして諸侯と接すれば、外藩遠鎮の諸侯も悉く来て陛階に升り来服するものである。
だから、貞しくして吉なり、階に升らしめん、という。
そもそもこの卦は、全体は二陽四陰にして、その二陽は下卦に在る。
したがって、上に威権は薄く、下に勢力盛んな時である。
これを以って、二三の両陽剛が君家を軽んじ君所に朝覲しないことを恐れる。
この時に臨んでは、六五の君は、勉めてその徳を貞正にして、天下に待するのがよい。
そうしていれば、外藩の諸侯、遠鎮の強臣も、自然にその徳に感じ化して、君所に升り、朝覲するものである。
吉とは、九二と九三の両陽剛が升り来て朝覲することを指す。
升階とは、九二と九三の方伯等が朝覲して玉階に升ることを指す。
・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
変卦は、
水風井 5爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-53.html
http://www.keisho.server-shared.com/64/k48.html
上記文抜粋
・・・・・・
九五(きゅうご)、井(せい)冽(いさぎよ)し、寒泉(かんせん)食(くら)わる、
冽とは、水が至って清らかな様子を意味する。
寒とは水の徳性である。
寒泉とは、水の至って美にして清らかな状態を称えたのである。
さて、六四にて石畳で固め、今、九五にては、井泉は澄み清く漲って、いよいよ人事の用に供する時である。
だから、井冽し、寒泉食らわる、という。
・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
どうも、
「ムサシがつかわれても、どうも与党の3分2議席独占は、無い。が与党も負けてない」
か?
仮に
今後の日本を問う。
中ぜん法でもって
習カン の不変爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-34.html
http://www.keisho.server-shared.com/64/k29.html
上記文抜粋
・・・・・・
卦辞
坎、有孚惟心亨、行有尚、
坎は孚(まこと)有(あ)れば惟(ひと)り心(こころ)のみ亨(とお)る、行(い)けば尚(たっと)ばれること有(あ)り、
この卦は、重なる険難である上に、二五の君臣共に険難の中に陥っている様子。
これは実に険難の至極のときである。
このような険難のときに当たっては、その願いが亨通する道理はない。
ただ、君子は卦徳の中実の孚有るときにして、惟り心のみ亨通することは可能である。
言わば、願いは却下されても誠意だけは通じる、ということである。
だから、孚有れば惟り心のみ亨る、という。
こんなときだからこそ、九二剛中の臣としては、九五の君の元へ、その険難を救いに行き、よく国家を補佐するときにはその功績を認められ、九五の君から格別の引き立てを受けられる。
だから、行けば尚ばれること有り、という。
なお、この卦は二陽剛が上下に別れて対峙している形だが、これは一国二君の様子でもある。
上卦に九五定位の君の一陽剛が在り、坎の険難の主となっていると同時に、下卦にもまた一陽剛あって、一方に割拠の威を振るい、その権力を逞しくし、その勢いが上下を二分している。
このよう卦は、すべからく険難の卦にして、乱世の様子とする。
水雷屯、水山蹇、そしてこの坎為水である。
特にこの坎為水は、下卦に在る一陽剛は九二に居る。
二は臣の定位にして、五の君の爻の応位である。
とすれば、よくその臣としての道を守り、節を尽くして九五の君のところに出向き、国家の坎険を救済するべきである。
そのようにして九五の君を補佐するときは、忽ち一に帰して国家安泰になるのである。
だから九二の臣に対して、九五の君のところへ行けば尚ばれること有り、と、帰服して補佐するように勧め戒めているのである。
・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり
上記分抜粋
・・・・・・・
運勢予報
台風
卦 辞
習坎。有孚。維心亨。行有尚。
(しゅうかんはまことあり。これこころとおる。ゆきてたっとばるるあり。)
運 勢
「習」は重なる。「坎」は陥り難むこと。したがって、「習坎」は非常に困難なこと。「維」は一筋にの意味。「非常な困難の中にあって も、誠の心を貫きとおせば通じる。進んでいけば尊敬される」。この卦は困難を意味する水が二つ重なっております。した がって、坎為水の時は、アップアップと溺れかけて、四苦八苦の時です。しかし、これ以上落ちることのないどん底の時ですから、今こそ自分の真価が問われる 時と腹を据えて、日々の仕事を辛抱強くこなしていくことです。このような時こそ、立派な人は徳を積み、勉学に励んで内面を充実させ、志を捨てることなく将 来に備えるものです。会社では赤字経営、倒産などがある時です。また、水難、盗難、色難などには注意をする時です。
◎易の中では三大難卦の一つです。
・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
2016 参院選挙 どうなる
雷沢帰妹 の 2爻
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変卦は
震為雷
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-56.html
http://www.keisho.server-shared.com/64/k51.html
選挙結果よりも、その後に地震が起こりかねない。
あるいは「大恐慌」
でも7日もすれば、戻ってくる・・・・
自公ら与党{従米勢力・原発勢力}
天風女后 の 3爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-49.html
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上記文抜粋
・・・・・・・
九三(きゅうさん)、臀(いさらい)に膚(にく)无(な)し、其(そ)の行(い)くこと次且(ししょ)たらば、(あやう)けれども大(だい)なる咎(とが)は无(な)し、
この卦は初六のみが陰なので、他の五陽爻は共にこの初六の一陰を求める。
そこで、落ち着いてその場に居られない。
まるで、臀部に膚肉がなく、座っているのが痛くて、すぐに立ち上がってしまうように。
だから、臀いに膚无し、という。
しかし九三は、初六と応でもなければ比でもないので、行き求める筋合いではなく、行こうとしても、容易には行けない。
無理して行こうとすれば危険である。
このまま諦めれば、多少の気迷いはあったとしても、大きく咎められることはない。
だから、其の行くこと次且たらば、けれども大なる咎は无し、という。
なお、臀无膚、其行次且は、沢天夬の九四と同じであり、この部分の詳解は沢天夬の爻辞の書いているので、ここでは省略する。
ちなみに、この天風姤は、沢天夬を上下転倒させた卦であって、天風姤の九三は、逆方向から見ると沢天夬の九四なのである。
このような関係があると、爻辞に同じ言葉を共有する場合があるのである。
・・・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
変卦は、
天水訟
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-11.html
http://www.keisho.server-shared.com/64/k6.html
上記文抜粋
・・・・・・・
六三(りくさん)、旧徳(きゅうとく)に食(は)む、貞(かた)くすれば(あやう)し、終(お)わりには吉(きち)なり、王事(おうじ)に従(したが)うこと或(あ)れど、成(な)すこと无(なか)れ、
六三は坎の険難の卦の極に居るので、その身に険難がある者とする。
その険難とは、坎を食禄とすれば、食禄費用が不足して困窮している様子だから、その不足を九五に訟え嘆こうとしているのである。
しかし、六三は陰柔にして才力がないので、進み犯すことを憚り、己が無能なることを省みて、訟えを思い止まる者である。
だから、旧徳に食む、という。
旧徳とは旧禄のことにして、祖先より承け伝えた世禄である。
なぜ、禄と言わずに徳と言うのかには、深く重い戒めを込めている。
平和な世の禄というものは、当人のではなく、その祖先の功徳によって賜っている俸給世禄である。
それを打ち忘れて六三の爻は、自身には徳も功もなく、妄りに加増を望んでいるのであって、だから制し戒めているのである。
もし、その志を改めずに、強いて加増を望み訟えれば、これは危うき道である。
だから、貞くすればし、という。
この貞は貞固の意である。
したがって、加禄を求め望むことを改め変じて、よく慎み、旧職を守るときには、無事なのである。
だから、終わりに吉なり、という。
そして、君命を受けて、事に任じられることがあるときは、直向にその役に従事するべきである。
仮に、よくその事を勤め得たとしても、決して自分のチカラだとは考えないことである。
まして、賞を乞い望むなどはもってのほかである。
臣は自身のために事をするのではなく、君命を畏み、忠勤に励むことこそが大事なのである。
だから、王事に従うこと或れども、成すこと无かれ、という。
・・・・・・
・・・・・
抜粋終わり
自公・維新は、勝てないが、負けもしない・・・。
多分ムサシは発進するけど、大勝はしない・・・かも。
野党 {反原発・対米独立・中露同盟派}
地風升 5爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-51.html
http://www.keisho.server-shared.com/64/k46.html
上記文抜粋
・・・・・・・
六五、貞吉、升階、
六五(りくご)、貞(ただ)しくして吉(きち)なり、階(かい)に升(のぼ)らしめん、
六五は升の時に当たって、柔中の徳を以って君位に居る。
これは位階の極にして、更に升り進むべきところはない。
とすると、後は諸侯を升って来させるだけである。
諸侯を升って来させるとは、諸侯が来服して升り朝覲することを指す。
この時に当たって六五の君は、よく己を虚しくして、その徳を貞正にして諸侯と接すれば、外藩遠鎮の諸侯も悉く来て陛階に升り来服するものである。
だから、貞しくして吉なり、階に升らしめん、という。
そもそもこの卦は、全体は二陽四陰にして、その二陽は下卦に在る。
したがって、上に威権は薄く、下に勢力盛んな時である。
これを以って、二三の両陽剛が君家を軽んじ君所に朝覲しないことを恐れる。
この時に臨んでは、六五の君は、勉めてその徳を貞正にして、天下に待するのがよい。
そうしていれば、外藩の諸侯、遠鎮の強臣も、自然にその徳に感じ化して、君所に升り、朝覲するものである。
吉とは、九二と九三の両陽剛が升り来て朝覲することを指す。
升階とは、九二と九三の方伯等が朝覲して玉階に升ることを指す。
・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
変卦は、
水風井 5爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-53.html
http://www.keisho.server-shared.com/64/k48.html
上記文抜粋
・・・・・・
九五(きゅうご)、井(せい)冽(いさぎよ)し、寒泉(かんせん)食(くら)わる、
冽とは、水が至って清らかな様子を意味する。
寒とは水の徳性である。
寒泉とは、水の至って美にして清らかな状態を称えたのである。
さて、六四にて石畳で固め、今、九五にては、井泉は澄み清く漲って、いよいよ人事の用に供する時である。
だから、井冽し、寒泉食らわる、という。
・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
どうも、
「ムサシがつかわれても、どうも与党の3分2議席独占は、無い。が与党も負けてない」
か?
仮に
今後の日本を問う。
中ぜん法でもって
習カン の不変爻
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上記文抜粋
・・・・・・
卦辞
坎、有孚惟心亨、行有尚、
坎は孚(まこと)有(あ)れば惟(ひと)り心(こころ)のみ亨(とお)る、行(い)けば尚(たっと)ばれること有(あ)り、
この卦は、重なる険難である上に、二五の君臣共に険難の中に陥っている様子。
これは実に険難の至極のときである。
このような険難のときに当たっては、その願いが亨通する道理はない。
ただ、君子は卦徳の中実の孚有るときにして、惟り心のみ亨通することは可能である。
言わば、願いは却下されても誠意だけは通じる、ということである。
だから、孚有れば惟り心のみ亨る、という。
こんなときだからこそ、九二剛中の臣としては、九五の君の元へ、その険難を救いに行き、よく国家を補佐するときにはその功績を認められ、九五の君から格別の引き立てを受けられる。
だから、行けば尚ばれること有り、という。
なお、この卦は二陽剛が上下に別れて対峙している形だが、これは一国二君の様子でもある。
上卦に九五定位の君の一陽剛が在り、坎の険難の主となっていると同時に、下卦にもまた一陽剛あって、一方に割拠の威を振るい、その権力を逞しくし、その勢いが上下を二分している。
このよう卦は、すべからく険難の卦にして、乱世の様子とする。
水雷屯、水山蹇、そしてこの坎為水である。
特にこの坎為水は、下卦に在る一陽剛は九二に居る。
二は臣の定位にして、五の君の爻の応位である。
とすれば、よくその臣としての道を守り、節を尽くして九五の君のところに出向き、国家の坎険を救済するべきである。
そのようにして九五の君を補佐するときは、忽ち一に帰して国家安泰になるのである。
だから九二の臣に対して、九五の君のところへ行けば尚ばれること有り、と、帰服して補佐するように勧め戒めているのである。
・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり
上記分抜粋
・・・・・・・
運勢予報
台風
卦 辞
習坎。有孚。維心亨。行有尚。
(しゅうかんはまことあり。これこころとおる。ゆきてたっとばるるあり。)
運 勢
「習」は重なる。「坎」は陥り難むこと。したがって、「習坎」は非常に困難なこと。「維」は一筋にの意味。「非常な困難の中にあって も、誠の心を貫きとおせば通じる。進んでいけば尊敬される」。この卦は困難を意味する水が二つ重なっております。した がって、坎為水の時は、アップアップと溺れかけて、四苦八苦の時です。しかし、これ以上落ちることのないどん底の時ですから、今こそ自分の真価が問われる 時と腹を据えて、日々の仕事を辛抱強くこなしていくことです。このような時こそ、立派な人は徳を積み、勉学に励んで内面を充実させ、志を捨てることなく将 来に備えるものです。会社では赤字経営、倒産などがある時です。また、水難、盗難、色難などには注意をする時です。
◎易の中では三大難卦の一つです。
・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
(夢人追記)「世に倦む日々」から転載。
選挙予測の大好きな「世に倦む日々」さんだが、彼はマスコミ記事を元にして予測をしているのだから、「この共同の最終推定は私の当初予想と近い。」のは当然だろう。
ベンジャミン・フルフォード氏流の方法で私も予測を書いておこう。
「今回の選挙では野党の実質的勝利になる。そうならなければ不正選挙である(ベン・フル流には「私が書いたからである」)」www
まあ、それは半分冗談だが、「世に倦む日々」氏は、過去の選挙がマスコミ予測どおりになっていた、つまり不正選挙であることが本当は分かっているのだろう。だから、「マスコミ予測に近い予測」を書き、当たれば、「自分の予測が正しかった。左翼の非現実性や希望的観測にはあきれたものだ」と嘆いて、同じ左翼の中でも「現実主義的左翼」を演じるという戦略を取ってるかと思う。まあ、ブログを有料にするから、私のような人間に悪口を言われるのである。世の中を本気で変えたいのなら、有料ブログなど書くはずはない。いくらでも無断転載可として、自分の意見を広めてほしいと願うはずではないか。
参院選の終盤情勢 - 改憲勢力が3分の2を取り、1人区は「野党共闘」が完敗
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