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「雲明かり」と「朔」と「晦」

先ほどの、早朝の散歩は、旧暦30日、つまり「月の無い日」で、確かに空には月が無く、星さえも見えなかったのだが、「月が無いと星は見えない」という因果関係があるわけでは多分なく、空全体に雲がかかり、その薄雲の部分は「雲が無いように見える」だけで、その薄雲が星を隠しているのだろう、と推理した。
で、面白いのは、月も星も無い(夜明け前で当然太陽の光はない)のに地上の景色は薄闇の中でも判別でき、木々の下には木陰が存在し、道路はうっすらと白く見えるのである。この「照明」は何か、と考えたとき、「雲明かり」という言葉を発明した。私はそういう言葉があると聞いた記憶はないので、たぶん私の発明だとしておく。
つまり、地上からの高度の高い雲に、今は地球に隠されている太陽の光が到達し、その雲(水蒸気)の微粒子相互の反射光が地上をうっすらと照明しているということだ。これを「雲明かり」と呼ぼう、とここで提案するが、まあ、誰も採用しないだろうな。
月も雲もない夜の地上は、どういう様子だろうか。まったくの暗闇になる気がする。星の光は地上を明るくするほどの光度・光量はないと思うからである。

ちなみに、某アニメの影響で、月の無い日を「朔」と呼ぶと思っている人がいるかと思うが、これはおそらく間違いで、「朔」とはたぶん月の始まりの日で、つまり「1日」の月は出ているわけだ。完全に月の無い日は「晦(かい)」と言ったかと思う。月末である。大晦日(おおみそか)は、年の最後の晦日であるわけだ。
「晦」は「晦(くら)ます」に当てる漢字である。つまり「暗ます(暗くする)」わけである。

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酔生夢人
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職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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