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気の赴くままにつれづれと。
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当時、ヒトラーは建築現場の日雇い現場で働いていました。とこ
ろがある日一人で昼食をとっているところに労働組合の活動家がやってきて「国家は資本主義階級の仮構であり、祖国はブルジョアジーが労働者階級を搾取するための道具である。法律の権威はプロレタリアを弾圧する手段であり、学校は奴隷要因と奴隷所有者を飼育するためある」と説得するのです。
このヒトラーを説得しようとした一労働組合員の言葉は、私(林
順治)にはつい最近聞いたことのように錯覚を覚えます。つい最近
とはいって私が1960年代の学生のころですが、全学連の運動家
が休講中の教室に入ってきて始めるアジ演説とそっくりだからで
す。
その事はさておき、ヒトラーは社会民主党員の言うことよく理解
することができませんが、興味があったので本やパンフレットを読
んでから、ヒトラーは社会民主党員にたびたび質問をし、議論する
ようになります。すると彼らは暴力とテロ行為に出たのです。社会
民主党員の数人がヒトラーに向かって「建築現場を立ち去るか、こ
こから落とされるか、どちらが好いか」と詰め寄ってきたのです。
ヒトラーは社会民主党員のこのようなやり方を彼なりの分析をしていますが、きわめて示唆的です。というのはこれに類するようなやり方が日本の学生運動や労働組合の一部で1970年代の初めまでは行われていたからです。ヒトラーは『わが闘争』で恐るべき次のようなことを言っています。
「もし社会民主党員に対してもっと真実さに満ちた、しかも同じような残虐な実行力をもったイデオロギーで対立すれば、たとえ非常な苦しい闘争の後でもきっと勝利するにちがいない」と。
なぜなら「大衆は大衆自身がそれぞれもっている精神的弱さ、怠惰、無能、失敗、病気、怨念、嫉妬など転訛するべく我を忘れるような強烈なイデオロギーを求めているからだ」と。
何か後のヒトラーのナチの暴力とテロをまざまざとみるようですが、ヒトラーがこのやり方を社会民主党員から学んだというのでから、半分は本当の話でしょう。しかしこのような運動組織論を17、8才のヒトラーが体得したとは思われません。おそらくミュンヘン一揆までの体験を生かし、今後の選挙活動の予告として『わが闘争』に綴ったものでしょう。
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