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訓練でどうにかなることならないこと

まあ、確かに、訓練ではどうにもならないことは多い。
たとえば自分自身の精神が訓練で改善できるようなものなら、誰も精神病にはならないだろう。そもそも、精神病というのは自分でも気づかないうちに病気の領域に入っているものだろうから、改善されるはずがない。薬で安定性を得ても、それは薬を飲んでいる間だけのことで、病気自体が治ったわけではないだろう。酒も同様で、私は酒の量を自分でコントロールしているつもりだが、それは錯覚で、アル中なのかもしれない。もっとも、体力や胃の容量(胃の老化)の問題で、ビール1本くらいしか飲めなくなり、酒席に出ることもためらってしまうような人間がはたしてアル中かどうか、疑問である。
要するに、努力できる人間は努力する才能の持ち主であるわけで、努力しない人間を責めても、それは馬に生まれなかった兎を責めるようなものかもしれない。
努力しないでも生きられる境遇(猫とか犬とか王族貴族とか大金持ちとか)に生まれるのが一番であるし、それが無理なら、自分にできる努力の範囲の成果で満足して生きられればそれでいいのではないか。一番よくないのは、なぜ自分にはあれやこれができないのだ、と自分で自分を責め続け、精神病になることだろう。実に知的な人間でありながら、自責の念が強すぎて不幸な人生を送っている人は多いように思う。
なお、私は精神病という言葉にはまったく差別的な意味は籠めていない。意図的に差別する場合は、安部や橋下や小泉を言う場合のように低能とかキチガイとかサイコパスと言う。





「コミュ力」「雑談力」ってな調子で、言葉の末尾に「力」をつけることで、それらが訓練で伸ばせる資質であるかのように見せかける造語法があるけど、それウソです。「身長力」と呼んだからって背丈は伸びないし「イケメン力」を意識したところで、顔の造作がコントロール可能になるわけでもない。





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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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