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街灯の比喩

孔徳秋水氏のブログ記事の一節だが「街灯の比喩」が面白いので転載する。
もっとも、秋水氏自身も、街灯の下だけで探し物をしている時が多いように思えるww
株式投資とか新コロ問題とか。

(以下引用)「街頭」の誤字はそのままにしてある。


「見よう」としなければ、「見えてこない」ものはたくさんある。


 


 


しかし、彼らは「エビデンスがない」のひとことで、


 


自分の目の節穴ぶりと思考の貧弱を誤魔化すのである。


 


 


こういう態度は、欧米の、とくにキリスト教に多い。


 


初めから結論が、ご都合主義で決まっているのである。


 


 


小坂井敏晶氏が、例として「いつも上げる話」をここで引用しておこう。


 


【ある夜、散歩をしていて、街頭の下で探し物をする人に出会う話】


 


カギを落としたので家に入れずに困っている人がいた。


 


いっしょに探すが、みつからない。


 


「この近くで落としたのは確かなのですか?」と聞いてみる。


 


「カギを落としたのは他の場所なのですが、そこは暗くて何も見えません。


 


だから、街頭の近くの明るい場所で探しているのです」


 


 


小坂井氏は、軽く解説している。


 


「街灯の光」は「常識」の喩だ。


 


我々は探すべきところを探さずに馴れた思考枠に捉われている。


 


この明りの罠に気づき、思考回路の外に出よう。


 


 


さらには、論理自体の矛盾があるのに、


 


欧米キリスト教信者や経済学者は考えを改めない。


 


 


いやいや、日本人にも似たような連中は少なくない。


 


とくに、マスコミに登場する手合いは、疑ってかかるべきある。


 


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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