私の別ブログ(メモ的ブログ)を再読していたら、なかなか面白い記事があったので、ここにも転載しておく。記事中に引用した記事の筆者の山本弘氏はだいぶ前に確か脳梗塞で倒れたと記憶しているが、この記事はその前のものか、その後のものかは不明。現在ご健在かどうかも知らない。まあ、かなり批判的な引用になるので、(死者に鞭打つことはしたくないから)ご存命であることを願う。
(以下自己引用)
(以下自己引用)
SF作家山本弘のエッセイを「カクヨム」というネット雑誌から転載。原稿料は出ているのかねwww
これを転載したのは賛意を示すためではなく、批判のためである。
ちなみに、私は山本弘の作品をひとつも読んだことが無い。そもそも、初期御三家以外の日本SFはひとつも読んだことが無いのだ。新井素子はエッセイの類だけは読んだ。冲方丁は時代小説「天地明察」だけは読んだが、SF作品は読んでいない。SFが嫌いというより、ひたすら面倒くさいのである。海外SFは大好きだが、サイバーパンク以降はまったく読んでいない。まあ、好きな人にはこたえられない面白さかもしれないが、私には古き良き時代のSFだけで十分だ。
下のエッセイのどこが批判対象か、ということだが、そもそも、タイトルと中味が正反対だ。筆者山本氏は「自分の正しさ」「科学の絶対的正しさ」を確信している。つまり、「私が正しい」と信じることはヤバい、と言うのなら、山本氏はそのヤバい人物の筆頭であるわけだ。
そして、山本氏は「中国が大嫌い」というように、好悪で物事を判断し、それを言明している。私は、こういう人間を信じない。狂信者によくいるタイプである。
彼のような人間に必要なのは、「何よりもまず自分自身を疑え」ということだろう。「自分ほど信じられないものがあるか」は、「GS美神」の横島忠夫の名言である。ソクラテスも、デルフォイ神殿の「汝自身を知れ」という銘文を生涯の課題としていた。
ちなみに、科学史はそのまま「古い間違いが新しい間違いに置き換わる」ことの連続である。「天動説」など、ほんの数百年前の話だ。人類史ではほんの少し前の出来事にすぎない。政治の歴史においては、すべてが陰謀の世界である。
これを転載したのは賛意を示すためではなく、批判のためである。
ちなみに、私は山本弘の作品をひとつも読んだことが無い。そもそも、初期御三家以外の日本SFはひとつも読んだことが無いのだ。新井素子はエッセイの類だけは読んだ。冲方丁は時代小説「天地明察」だけは読んだが、SF作品は読んでいない。SFが嫌いというより、ひたすら面倒くさいのである。海外SFは大好きだが、サイバーパンク以降はまったく読んでいない。まあ、好きな人にはこたえられない面白さかもしれないが、私には古き良き時代のSFだけで十分だ。
下のエッセイのどこが批判対象か、ということだが、そもそも、タイトルと中味が正反対だ。筆者山本氏は「自分の正しさ」「科学の絶対的正しさ」を確信している。つまり、「私が正しい」と信じることはヤバい、と言うのなら、山本氏はそのヤバい人物の筆頭であるわけだ。
そして、山本氏は「中国が大嫌い」というように、好悪で物事を判断し、それを言明している。私は、こういう人間を信じない。狂信者によくいるタイプである。
彼のような人間に必要なのは、「何よりもまず自分自身を疑え」ということだろう。「自分ほど信じられないものがあるか」は、「GS美神」の横島忠夫の名言である。ソクラテスも、デルフォイ神殿の「汝自身を知れ」という銘文を生涯の課題としていた。
ちなみに、科学史はそのまま「古い間違いが新しい間違いに置き換わる」ことの連続である。「天動説」など、ほんの数百年前の話だ。人類史ではほんの少し前の出来事にすぎない。政治の歴史においては、すべてが陰謀の世界である。
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