まあ、要は、人間(下級国民や、組織の下位層)を奴隷的労働に忍従させるために使われた「道徳」のことのようだ。
問題は、「通俗道徳」という言葉がひとり歩きして、「道徳否定論」になる可能性が高いことだ。今のネット時代には、そういう事例は多いのではないか。
下の記事全体(引用した以外の部分)はかなり言葉が学者的(衒学的)で難解だが、有益な内容だとは思う。
ちなみに、「高尚な道徳」というのがあるとしても、それはすべて個人的道徳でしかないのに対し、「通俗」というのは世間一般に広まっていることを意味し、それこそが本来の道徳の理想なのである。つまり、「通俗道徳」という批判の言葉は、猫は猫だからケシカラン、と言うに等しい言いがかりだ、というのが私の考えだ。
自分の道徳は特殊な(高尚な)もので、「通俗」なものではない、という人間がいるとしたら、聖人気取りの詐欺師か偽宗教家だろう。
下の記事で言われている類の「労働道徳」を言うなら、それは「通俗道徳」ではなく、「奴隷道徳」「(労働者に無意識的に内面化されるよう仕組まれた)労働規範」と言うべきだ。(ニーチェがキリスト教を「奴隷の宗教」と言ったことはよく知られている。)
(以下引用)
貧困は怠惰のせい? 日本の通俗道徳
まずは私たちにとって浅からぬ関係にあるであろう日本の場合から見ていこう。
日本において、労働の道徳化は江戸時代後期から明治時代にかけて醸成されてきた。それは日本が近世から近代へと移行していく、まさに過渡期にあたる。
歴史学者の安丸良夫は著書『日本の近代化と民衆思想』のなかで、この時期に形作られていった労働にまつわる道徳を「通俗道徳」と名付けた。すなわち、勤勉、倹約、謙虚、孝行、さらには忍従や献身といった徳目からなる生活規範である。これらの「徳」を実践することで、富や幸福がもたらされると信じられていた。当時の大部分の日本人は、社会的な圧力や習慣によってそれらを内面化することで、これらの通俗道徳を自明の当為として生きていたという。
通俗道徳は元禄・享保期に最初に形成されはじめた。当然、そこにはそうした思想形成をうながす導因がなければならない。安丸によれば、この時代の日本人における現実的な課題、それは「どうしたら家の没落をふせげるか」だったという。
江戸時代後期、すでに大阪などの都市部を中心に商業活動が活発化し、商人たちが商品の需要と供給を管理するための仕組みが整備されていた。商品経済が到来しつつあったこの時代、地主階級における「家の没落」はすでに珍しいものではなく、家を失った者の多くは大阪か堺に流出して、そこで都市貧民層を形成した。そうした状況のなかで、「没落」に対する恐れと不安の只中から、倹約や勤勉を「善きこと」として重んじる通俗道徳が発生してきたのだという。
やがて、こうした諸思想は農村部でも展開され、民衆を教化する役割を担うようになる。
一八世紀末以降、おりしも経世家の二宮尊徳や大原幽学などが各地を巡りながら窮乏した農村の復興をはかろうとしていた。尊徳によれば、農村の貧困と荒廃の原因は、農民たちの精神の内部にまで浸透した怠惰・飲酒癖・博打などの悪習であるという。尊徳は、これらの悪習をやめ、倹約と勤勉を身につければ生活を立て直すことができると農民に説いた。これは言うまでもなく通俗道徳である。
だが実際には、農村の窮乏の原因には、封建権力と商業高利貸しによる苛酷な収奪などの経済的な要因が深く絡み合っていた。だがそうした問題はいっさい棚に上げ、尊徳は貧困の問題を農民の生活態度と内面の問題に還元させている。つまり、貧困は一方的に彼らの怠惰と努力の欠如のせいにされたのである。
このように、地主や農村の指導者は、通俗道徳を繰り返し説くことで、農民たちに勤勉で禁欲的な生活規律を内面化させた。
だがここには、安丸も指摘するように、無視することのできないイデオロギー的虚飾が隠されている。
というのも、通俗道徳に従えば、人が貧困に陥るのは当人の努力が足りないからであって、そうであるのならば不幸な境遇を嘆くのは道徳的に堕落した「甘え」にすぎず、日頃から勤勉と倹約に努めない本人の自業自得である、ということになる。これはいわゆる「自己責任」のロジックであるだけでなく、近代化していく社会の内側で生まれてくる歪みや不公正から民衆の目をそらすことができるという意味で一種の詐術でもある。人々は社会を変えようと試みるより、ひたすら自己変革や立身出世に邁進するようになる。かくして、さまざまな困難や矛盾の解決を、忍従や自己規律にもとめる精神主義が形成されていったのである。