別ブログに書いた、富永仲基「翁の文」現代語訳の最後の章だが、冒頭は前章の続きなのでカットして転載する。
仲基による仏教儒教神道批判は痛烈だが、彼の言う「真の道」の内容が不明だ、という仲基批判もある。だが、要するに、「常識」で判断し行動する、というだけのことである。判断できないことは周囲や前例に従えばいいが、批判精神を持ちながら従えばいいわけである。(言うまでもなく、その「常識」が社会的洗脳であることもたくさんあるのだ。)
なお、「幻術」は仏教の癖、「文辞」は儒教の癖である。「隠すこと」と「幻術」は似ているが違う。
さてまた神道の癖は神秘・秘伝・伝授で、ただ物を隠すのがその癖である。およそ隠すということは偽り盗むことの基で、幻術や文辞は、見ても面白く、聞いても聞きがいのあることで、許されるところがあるけれども、(神道の)この癖だけは非常に劣っていると言うべきである。それも、昔の世は、人の心が素直で、これを教え導くのに(神秘・秘伝・伝授の)便宜もあっただろうが、今の世は末世で、偽り盗む者が多い中に、神道を教える者が逆にその悪を擁護することは非常に道理に逆らうことと言うべきである。あのあさましい猿楽(能)や茶の湯のような事に至るまで、みなこれを見習い、伝授印可をこしらえ、それどころか値を定めて(宗匠たちの)口すぎのためにするようになっている。まことに悲しむべきことである。ところが、これをこしらえた理由を聞くと、根機(訳者注:何かを理解するために十分な能力や適した時期、くらいの意味。)が熟さない者には容易に伝えにくいためである、と答える。これも理屈が立っているように聞こえるが、そのようにたやすく伝えにくく、また値を定めて伝授するような道はみな真の道ではないと心得るべきである。
「翁の文」終
訳者注:趣旨とはあまり関係ないが、能や茶の湯が「あさましい」(驚く意だが、その対象はたいてい下劣なものであり、現代の「あきれる」「いやしい」に通じている。)ものとされているのが面白い。芸能などが長年続いていくと、その家元や弟子たちによってそのジャンルや流派が「荘厳化」されていくわけである。この詐欺的行為が「仏教」「儒教」「神道」の「意味不明さの根底にあるもの」だと見、「三教(諸派)の宣伝活動の結果」と見たのが「翁の文」の主旨と言えるかもしれない。三教についての膨大な研究の末に「王様は裸だ」という声を上げたのが「翁の文」であり、富永仲基という思想家は、誰もが薄々感じていたことを初めて口に出した、あの子供なのである。
仲基による仏教儒教神道批判は痛烈だが、彼の言う「真の道」の内容が不明だ、という仲基批判もある。だが、要するに、「常識」で判断し行動する、というだけのことである。判断できないことは周囲や前例に従えばいいが、批判精神を持ちながら従えばいいわけである。(言うまでもなく、その「常識」が社会的洗脳であることもたくさんあるのだ。)
なお、「幻術」は仏教の癖、「文辞」は儒教の癖である。「隠すこと」と「幻術」は似ているが違う。
翁の文(第十六節)
さてまた神道の癖は神秘・秘伝・伝授で、ただ物を隠すのがその癖である。およそ隠すということは偽り盗むことの基で、幻術や文辞は、見ても面白く、聞いても聞きがいのあることで、許されるところがあるけれども、(神道の)この癖だけは非常に劣っていると言うべきである。それも、昔の世は、人の心が素直で、これを教え導くのに(神秘・秘伝・伝授の)便宜もあっただろうが、今の世は末世で、偽り盗む者が多い中に、神道を教える者が逆にその悪を擁護することは非常に道理に逆らうことと言うべきである。あのあさましい猿楽(能)や茶の湯のような事に至るまで、みなこれを見習い、伝授印可をこしらえ、それどころか値を定めて(宗匠たちの)口すぎのためにするようになっている。まことに悲しむべきことである。ところが、これをこしらえた理由を聞くと、根機(訳者注:何かを理解するために十分な能力や適した時期、くらいの意味。)が熟さない者には容易に伝えにくいためである、と答える。これも理屈が立っているように聞こえるが、そのようにたやすく伝えにくく、また値を定めて伝授するような道はみな真の道ではないと心得るべきである。
「翁の文」終
訳者注:趣旨とはあまり関係ないが、能や茶の湯が「あさましい」(驚く意だが、その対象はたいてい下劣なものであり、現代の「あきれる」「いやしい」に通じている。)ものとされているのが面白い。芸能などが長年続いていくと、その家元や弟子たちによってそのジャンルや流派が「荘厳化」されていくわけである。この詐欺的行為が「仏教」「儒教」「神道」の「意味不明さの根底にあるもの」だと見、「三教(諸派)の宣伝活動の結果」と見たのが「翁の文」の主旨と言えるかもしれない。三教についての膨大な研究の末に「王様は裸だ」という声を上げたのが「翁の文」であり、富永仲基という思想家は、誰もが薄々感じていたことを初めて口に出した、あの子供なのである。
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