日没が”一日の終わり”であるユダヤの仕来りでは…当然のごとく…
日没が、”次の日の始まり”となる…
同様に、24日の日没から25日の日没までが”クリスマス”である。
「きよしこの夜」のイメージで、ついついこの日がイエスの誕生日のように思ってしまうが、馬小屋で生まれたわけだから、本当は夏だったとされる…
もともとあった”冬至”の祭りに、「キリストが死んでから三日後に”復活”した」という言い伝えを重ねあわせ、冬至の三日後に”キリストのミサ”を行うようになったのが、どうやら真相らしい…
また”クリスマス”といえば、”サンタクロース”だが、これを”サータン”、”クロノス”と読み替えるといずれも土星を意味するローマ神話の神様の名となる。
西洋占星術でも、冬至からの一か月は”山羊座”であり、守護星は土星であるから、ぴったり一致しているのは、おもしろい。
イエスが、ユダヤ人であったというのは、宗教改革のマルティン=ルターが、それに言及し、不快感を述べていることから、少なくともそのころから広く一般的な認識だったらしい…
ルターは、「悪魔的なユダヤ教」を嫌悪して、改宗を強要して拒否され、以来、ユダヤ教をずっと敵視していた。今日と同じような”反ユダヤ主義”が、もうこのころからあったわけである。
また一方、中東では青い目のイエスの肖像画があるという話もあってか、実は白人だったという説もあり、当ブログでも紹介したことがある。
何が本当のことかはよくわからないが、”真理”、”真実”というのは、もう少し明確なものだろうと思う。
たとえば、”神”とは何か…
何をもって”神”と呼ぶべきなのか…
”完全”…”全知全能”…”真善美”…”万物の創造主”…
そうした”属性”をもち…人々が崇拝したり、賛美したくなるもの…
少なくとも、そうしたものを人々は”神”として奉り、崇めている例が多い…
だが、そういう”神”の多くは”アイドル”…、つまり”偶像”とも呼ばれるものであり…
実はもっとも”不信心”な行為で、”御法度”なのである。
いつぞや、キリスト教をセールスしにきたおばちゃんに…
「あなたはなぜ神を信じるのか?」と尋ねたら…
「神様がこの世界をおつくりになったから」などと答えていた。
私に言わせれば、これは”偶像崇拝”の典型であり、邪教にほかならぬものだと思っている。
だいたい、「神が創造主」というのは旧約聖書の話で、キリストの教えのポイントではない。
ヨハネの福音書に「神は言葉である」という記述があるように、キリストが”神”とされるのは、彼が世界を創造したからではなく、真実の教えを述べ、人類に教えたからであろう。
人々が、その教えに従い実践すれば、まさにキリストの述べた”神の国”が実現する。
そのとき確かにキリストは、キリスト的世界を創造した”創造神”だったことが証明されるだろう。
人は、どういうときに”神様”を認め、その姿をそこにみるのだろうか…
次のエピソードが、その問いに答えてくれる…
常に恵まれない者、絶望の中にある者のことを忘れず、その者たちとともにある…
それがイエスの人生だったし、教えであった…
イエスが、創造主かどうかなんてどうでもいい…
彼の生き様、彼の求めた真実こそが”神”そのものなのであり…
我らが、それにしたがうかどうか…のみなのである…
したがうもしたがわないも”自由”…
ただ、我らがその教えを実践し、”神の国”を実現できたなら…
先にも述べたように、キリストが”創造主”だったことが改めて証明されるのである。