昔から、渋滞時に(法律違反であるところの)路側を強引に走って渋滞を抜けようとする車には外車や高級車が多い、という事実は指摘されている。
つまり、「社会的地位が高い人ほどモラルは低い」わけだが、なぜそうなるかは簡単な話で、資本主義社会では基本的にモラルが低い人間ほど社会的地位が上昇しやすいからだろう。
つまり、どんな手段を使っても出世してやる、という人間は、モラルに反する行動をしてまで出世したくない、という人間より出世しやすいのは当然の話で、また後者は、出世欲が無い代わりに真面目に働く(つまり、勤労モラルがある)わけだから、下に置いておいたほうが、上の人間にとっては使いやすいわけだ。逆に、組織としては、モラルに反する行動のできない人間は「使えない」という場面も出てくるから、そうした人間を重要なポストにつけることは組織にとっての「不利益行動」になる。
悪人にはできない行動は無い(道徳にかなった行動も、必要ならできる)のに対して、善人にはできない行動だらけなのである。もっとも、悪人でいることは強い精神力が必要でもあるから、誰でも悪人になれるわけではない。兵隊が一人死んだくらいで泣くような将軍の下では、作戦遂行などできないだろう。会社経営だって同じようなものだ。組織である限りは、「人間が道具化する」ことが要請されるし、道具がモラルを持っていては困るのである。
まあ、人の命を救うのが使命の病院だって、患者が死ぬたびに医者や看護婦が泣くわけではない。つまり、「人間であることを捨てる」ことが、有能な道具の使命なのである。
もっとも、有能な人間はすべてモラルが無い、とか、無能な人間はすべてモラルが高い、と言っているわけではまったくない。私は無能だから、無能者の自己弁護でいい気分になっている、というところは確実にあるはずだ。つまり、それが脳の基本性質の「自己防衛本能」なのである。
モラルとは、人工的なものであり、弱者を強者から守るという面が強い。まあ、弱虫の私でも、原始時代に生まれていたら、他の原始人と食物を奪い合って殺し合いをするのにやぶさかではない。ただ、文明世界にいるかぎり、個々人がモラルを守らないと文明社会の崩壊につながるだろう。物質文明は栄えるかもしれないが、精神文明は滅びる。
(以下引用)
社会的地位が高い人ほどモラルは低い?
最後に「上流階級バイアス」を紹介しましょう。簡単にいえば「金持ちはマナーが悪い」という傾向です。
意外にも思いますが、これもまた認知バイアスの一つです。これを証明したのがカリフォルニア大学のピフ博士らです。原著論文には、これを支持する実験証拠を七つ発表しています。ここでは三つ選んで紹介しましょう。
まずピフ博士らは運転マナーについて調査しました。車のレベルが社会的ステータスを反映していることはよく知られています。博士らは、車のランクを高級車から大衆車まで五つに分類し、階級別に交通規則をどれほど守っているかをモニターしました。
すると、横断歩道で手を上げている歩行者を待たずに通過してしまう確率は普通車35%のところ、高級車は47%であることがわかりました。また、交差点で相手の車を待たずに割り込む率は普通車12%のところ、高級車は30%と2.5倍にもなったのです。
次にピフ博士らはボランティア参加者を集めた実験を行いました。たとえば、参加者に面接官になってもらいます。就職希望者とうまく交渉しながら採用者の給料を決定するのです。この際、重要な事実があります。志願者は長期的で安定した職を求めていますが、実は、今回の採用ポジションは近々廃止予定なのです。さて、面接官は志願者にこの不都合な真実を告げるでしょうか。
実験の結果、下流階層の人は素直に事実を告げて志願者と交渉する傾向が強かったのですが、社会的ステータスの高い人は事実を隠したがることがわかりました。「あとから状況が変わったことにすればよい」という作戦でしょうか、ともかく騙してでもいいから、自分に有利に交渉を進めるわけです。
ピフ博士らが最後に行った実験が、もっとも象徴的です。「自分は社会的地位が高い」と思って行動をしてもらう実験です。すると、下流階級の人でも貪欲さが増し、非道徳的な態度になります。つまり、モラルの低さは生まれつきではなく、その地位が作ったものだと言えそうです。
さらに面白いことは、「金欲があることは悪いことでない」と付け加えると、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」はどこへやらで、下流階級者の尊大ぶりは、実際の上流階級よりもひどいものになりました。
単に有頂天で「天狗になっている」のか、あるいは、普段受けている仕打ちへの腹癒せなのかはわかりませんが、醜悪な心理を、見事に浮き彫りにした実験結果だと言えます。