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気の赴くままにつれづれと。
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ながらく少年野球のコーチをやっているN塚という友人が、つい半月ほど前にポツリと言っていたことだが、子供たちに野球を教える監督やコーチの中には、勘違いをする人間が少なからずいるのだそうだ。
「勘違いって、どういう意味だ?」
「自分の教えが正しいって思い込むんだよ」
「ん? 正しいと思うから教えてるんじゃないのか?」
「それが逆なんだな。子供っていうのは、どんなことを教えても、必ず言った通りにやる。びっくりするほど素直なんだよ」
「で?」
「だからそれで大人の方が勘違いするわけだよ」
「子供が従ってるんなら、指導者としては成功してるんじゃないのか?」
「いや、順序が逆なんだよ。正しいから子供たちが言いなりになるんじゃなくて、子供たちが自分の言いなりになるから、自分が正しいと思い込む。それで変な自信をつけちゃう人たちがたくさんいる」
「それがいけないのか?」
「最悪だよ」
「どう最悪なんだ?」
「うーん、うまく説明できないけど。適当なことを偉そうに教えてる指導者が現場にはヤマほどいるってことだよ」
彼の言っていることの核心の部分がどういうことなのかはともかく、子供を相手に何かを教える立場の人間が、子供たちが自分の「言いなりになる」ということに嗜癖して行く感じは、なんとなくわかる。
私自身は、他人の子供に何かを教えた経験は持っていないのだが、あるタイプの教えることの好きな人たちが、教える内容そのものよりも、「言うことを聞かせる技術」を磨く方向に重心を置いて行く感じは、自分自身の実感としても容易に想像できる。
スポーツの競技団体の中で、パワハラが蔓延する理由のひとつは、おそらくここのところにある。
スポーツが競技として行われる現場では、コーチと選手、監督とコーチ、団体の役員と平職員、先輩と後輩といった様々な立場の間に、上下関係というのか「命令と服従」の関係が生じる。というよりも、競技の習得や継続に伴って生じる人間関係は多かれ少なかれ上下関係を含んでいる。これは避けることができない事実でもあれば、仕方のないことでもある。
なんとなれば、競技に関連する技術や、練習方法や戦術を教える立場の人間は、それを習得する立場の選手よりも上の立場に立っている。また、そうでなければ教えるという動作は貫徹され得ないからだ。
そして、コーチングの内容を洗練することよりも子供たちを指示通りに動かすことに熱中するタイプの指導者は、やがて選手を恐怖によってコントロールするようになる。
直接に手を出すことをしなくても、たとえば怒鳴りつけるとか、罰走を命じるとか、レギュラーから外すとか、恫喝の仕方はいくらでもある。
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