森博嗣という、一般的には推理小説作家に分類されていると思われる作家がいるのだが、彼のエッセイ集「つぶやきのクリーム」の中に、まったく同感という文章があったので、面倒だが転記しておく。なお、私は彼の作品は「面白いが好きではない」と思っている。なぜ好きではないかというと、作者が自分の頭の良さを鼻にかけている感じが嫌いなのである。確かに頭がいいし、凄い才能ではあると思うのだが、凡人読者としては、自分が見下されている気分になるのだろう。まあ、謙虚さを装わないところが正直で結構だ、とも思うが、商売としてはまずいやり方ではないかと愚考する。人間(仮定的読者層)の9割までは凡人なのだから。
引用した文章のなかで、「両親が死んだあと、とても自由になったと感じた」というのは、実は私もまったく同じだったのである。それまでは、無意識的にだが「何をやるにも、常に親の考えを忖度しなければならなかった」ために、頭が常に朦朧とした感じだった。親が死んでから私は自分の頭で物事を考えることができるようになり、頭脳が非常にクリアになった気がした。
念のために言うが、私の親が特別圧制的な親だったわけではない。特に父親は、子供にああしろこうしろとは一言も言わなかった。にも関わらず、私は親が生きている間は自分の頭で考えることができなかったという印象を強く持っている。これは意識に上らないだけで、多くの人がそうなのではないかと思う。親は存在するだけで子供の自由な精神機能を妨げているわけだ。
親は、子供が自活できるようになったら、早く死ぬのが子供のためになる、と私は思っている。しかし、私自身に関しては、我が身が可愛いから死なないままでいる。子供には少々済まないとも思うが、まあ、もうしばらくは我慢してもらいたい。(これは私の親が亡くなった当時のことを思い出して書いているのであり、現在の私の個人生活とはまったく無関係であることも念押ししておく。単に哲学的な、あるいは精神分析学的な、あるいは社会学的な問題を論じているのだ。)
もちろん、以上に書いた思想は、親は子供のために存在せよ、存在価値がなくなったら死ね、と言っているのではない。子供(の精神的成長)を中心に考えたら、おそらくそういうことになるだろう、というだけの考えである。太宰流に、「子供より親が大事と思いたい」という考え方もあって当然だ。
(以下引用)
とりあえず、子供よりは大人は自由だ。それも、年を重ねるほど自由になる。なにをしても、文句を言われることが少なくなるからだ。たとえば、親がいなければ心配をかけることもない。僕は両親が死んだあと、とても自由になったと感じた。それは世話をする時間や労力の問題では全然ない。親が期待するような生き方をしなくても良い、自分の思いどおりにできる、という解放感である。
引用した文章のなかで、「両親が死んだあと、とても自由になったと感じた」というのは、実は私もまったく同じだったのである。それまでは、無意識的にだが「何をやるにも、常に親の考えを忖度しなければならなかった」ために、頭が常に朦朧とした感じだった。親が死んでから私は自分の頭で物事を考えることができるようになり、頭脳が非常にクリアになった気がした。
念のために言うが、私の親が特別圧制的な親だったわけではない。特に父親は、子供にああしろこうしろとは一言も言わなかった。にも関わらず、私は親が生きている間は自分の頭で考えることができなかったという印象を強く持っている。これは意識に上らないだけで、多くの人がそうなのではないかと思う。親は存在するだけで子供の自由な精神機能を妨げているわけだ。
親は、子供が自活できるようになったら、早く死ぬのが子供のためになる、と私は思っている。しかし、私自身に関しては、我が身が可愛いから死なないままでいる。子供には少々済まないとも思うが、まあ、もうしばらくは我慢してもらいたい。(これは私の親が亡くなった当時のことを思い出して書いているのであり、現在の私の個人生活とはまったく無関係であることも念押ししておく。単に哲学的な、あるいは精神分析学的な、あるいは社会学的な問題を論じているのだ。)
もちろん、以上に書いた思想は、親は子供のために存在せよ、存在価値がなくなったら死ね、と言っているのではない。子供(の精神的成長)を中心に考えたら、おそらくそういうことになるだろう、というだけの考えである。太宰流に、「子供より親が大事と思いたい」という考え方もあって当然だ。
(以下引用)
とりあえず、子供よりは大人は自由だ。それも、年を重ねるほど自由になる。なにをしても、文句を言われることが少なくなるからだ。たとえば、親がいなければ心配をかけることもない。僕は両親が死んだあと、とても自由になったと感じた。それは世話をする時間や労力の問題では全然ない。親が期待するような生き方をしなくても良い、自分の思いどおりにできる、という解放感である。
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