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妖怪や怪物の「人権」について

子供向けのアニメだと私は思っているが、「呪術廻戦」という長寿アニメ(原作漫画も長寿漫画のようだ)があって、延々と続編アニメが作られるところを見ると人気があるのだろう。では、その対象はどういう層なのだろうか。子供なのか大人なのか。相手が妖怪だか怪物だか知らないが、延々と怪物らしき存在と戦っては殺し続けるだけのアニメ(原作漫画は読んだことがない)としか私には思えないのだが、子供はこれを見ているのか。見て楽しんでいるのか。

いや、昔のPTAのように俗悪漫画とか俗悪アニメの弊害を言い立てるつもりはないが、子供にとっての「有害アニメ」や「有害漫画」というのはあると思う。それが、「呪術廻戦」や「チェンソーマン」などのバトルアニメである。あるいは「進撃の巨人」もそのひとつかもしれない。
これらの特徴は「相手は敵だ。敵は殺せ」という、一点にある。戦いの理由とは、「相手の存在が自分たちにとって有害である」ことだと思われるが、それが即座に「相手を殺せ」という結論になるのである。
では、たとえば恋愛アニメや恋愛漫画の場合はどうか。恋敵の存在が自分にとって邪魔だから、「恋敵を殺せ」となるか。まあ、そういう人もいるかもしれないが、稀だろう。
ところが、子供向けの漫画やアニメでは、即座に「あいつは敵だ。敵は殺せ」となるのである。お互いの交渉の余地は最初から無い、とされているわけだ。相手が妖怪や怪物だから仕方が無い、ということだろうか。では、相手が人間ならどうか。いくらかは交渉らしきもの(政治的演技)はあっても、ここでもやはり、「あいつは敵だ。敵は殺せ」となるのである。それが人類の歴史である。
要するに私が言っているのは、「何者かを、無条件で殺すべき存在と見做す」その心性の問題なのである。これが、子供向けの漫画やアニメに蔓延していないか。フィクションだから問題ない、と言えるだろうか。
子供のころから無意識のうちに培われた心性が、成人しても心に根を張っていないか。我々は他の人種や民族を無意識に恐怖し、無理に軽蔑し、機会があれば抹殺したいと無意識に願望していないか。まあ、私自身そういう意識があるからこそ、「呪術廻戦」で妖怪だか何かが殺されるシーンを見て不愉快な気持ちにしかならないのである。(まだ、1,2回しか見ていないが、たぶん、それ以上は見ないだろう。)

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