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ユーモアと懐疑主義

「大摩邇」所載の「in deep」記事(だと思う。要するに岡氏の記事だ)の一部を転載。berief とfaithをどちらも「信念」と訳すなど、頭をひねる(首をひねる? まあ、180度ひねらないほうがいい。)ところもあるが、「ユーモアの効用」についてはまったく同意見である。私は、映画でもテレビドラマでも漫画でも小説でも、ユーモアの無い作品が苦手で、ユーモアが無い、というのは「思想の固定化」(こわばり)がそこにあるからではないか、と今考えた。
つまり、ユーモアとは懐疑主義と表裏一体で、エーコが「薔薇の名前」で言っている(と思うが)ように、ユーモア(笑い)が宗教の敵である、というのはまさにそこに理由があるのだろう。(もっとも、熱烈なキリスト信者であるドストエフスキーは優れたユーモア感覚の持ち主でもあったが。)同じ理由で、軍人(少なくとも、上層部)にはユーモアは厳禁だろう。上官の命令が「御免、冗談だった」では済まないww 戦場での兵士のユーモアがアメリカ映画ではよく描かれるが、あれは、「恐怖からの逃走」の手段のひとつだと思う。まあ、一種の強がりである。

文中に「アモール・ファティ(運命の愛)」がユーモアだ、と書いた引用部分があるが、これはどういう意味か、知りたいものだ。そもそも「運命の愛」とは、「運命的な愛」という、大衆ラブロマンス的な意味ではなく、「運命愛」、つまり、「運命への愛(運命を愛すること)」ではないか、と思うが、確かニーチェも「運命愛」ということを言っていた気がする。それがどういう意味か知らないが、「我々の運命が最初から決まっているとしても、それを愛することが賢者の道だ」とでもいうことなら、そこに「ユーモア」が重なるのは納得できる気がする。たとえば、死はすべての人間の運命だが、だからといって毎日泣いて暮らすのは馬鹿だろう。脳天気に笑って過ごし、死ぬ時も笑って(笑顔で)死にたいものである。

*一応言っておくが、「キリスト信者」は「キリスト教信者」とイコールではない。カソリックなどは、あれは「パウロ教」(教会主義)が発展したものであって、キリストの教えそのものではない。教会への絶対的服従というシステムはユダヤ教(の、キリストが否定した部分)に近い。新教でも、キリスト教と言うよりルター教やカルヴィン教だろう。だから分裂したわけだ。そういう意味では、日本の仏教もすべてブッダ(シッダルタ)の教えの一部の恣意的な解釈や改変だろうと思われ、それらが「仏教」と名乗るのは詐欺に近いのではないか。まあ、仏典(経典)そのものが、ブッダの死後に作られたものだろうから、詐欺のし放題である。もっとも、その中には優れた思想もあるだろうから、詐欺=悪だとは言わない。嘘をついて人を救ったとしても、それは悪ではないだろう。まさに「嘘も方便」である。神道となると、教義そのものが存在しない。つまり、民間習俗であって、宗教ではない。もっとも、その中にある自然崇拝(尊重)は、人間(人類)の私利・我欲から来る地球環境保護思想より精神的に上かもしれない。ーー長々と書いたが、今気が付いたが、これは私の「懐疑主義」の見本でもある。つまり、物事を(偉そうに)上から目線(メタ視点)で見ることだ。どんな馬鹿でも、上から目線で周囲を見ることはあるが、それを大きく拡大し、政治や政治家、学者や歴史や思想を上から目線で見るのである。

(以下引用)

疑うことの重要性

今年の初め頃、「疑うことは知恵の源である 7つの理由」という海外の記事をご紹介したことがあったように思います。…って、あれ? 見つからない。…ああ、メルマガでした。その記事では、以下の 7つの項目について、もちろん著者がそう考えているというだけですが、それぞれ詳しく書かれている長い記事です。


 


1.) 疑いは答えを質問に変える。


2.) 疑いは文化的条件付けを再調整する方法を教えてくれる。


3.) 疑いは、盲信という固い地面に心を開く種を植える。


4.) 疑いは自己を拡張する。


5.) 疑いがあると、時代の先を行くことができる。


6.) 疑いは傲慢をユーモアに変える。


7.) 疑いは中道の威力を教えてくれる。


 


このうち、メルマガでは、「6.) 疑いは傲慢をユーモアに変える」などをご紹介していました。先ほどまでの話とはズレる内容ですが、これはこれで大事なことだと思いましたので、再掲しておきたいと思います。


疑いは傲慢をユーモアに変える


優れたユーモアのセンスほど強力なものはない。それはどんな力よりもパワフルだ。


上機嫌の渦の中で、宇宙全体があなたの中にあり、あなたを通して振動し、すべての月に吠え、言葉よりも古い言語を歌い、そして最も重要なことに、あなたは宇宙の中では点にすぎないが、宇宙全体でもあるということを思い出させてくれる。


あなたが良いユーモアの渦中にあるとき、あなたはより高い周波数と同調している。


その時、あなたは高次の無秩序な秩序を汲み上げる泉源となる。その時、あなたは絶望の現場における希望の光となる。その時、あなたは文化的条件付けというまばゆい光の中の暗闇の灯台となる。


あなたは、つむじ風の中で、すべての結び目をすり抜ける無邪気な宇宙飛行士となる。


培われたユーモアは、世界をひっくり返す裏返しの鏡だ。


傲慢よりもユーモアを、憧れよりも笑いを。運命よりもアモール・ファティ(※ ラテン語で「運命の愛」)を。それはエゴを鎖に繋ぎとめる。


カミュはこう言った。


「人間の偉大さは、自分の状態よりも強くなるという決断にある」


新しい知識を構築するには、まず虚偽を破壊し、自分自身を真剣に受け止めすぎるのをやめることができなければならない。信念(belief)から信念(faith)へと勇気を持って飛躍するべきだ。


確信はなくても、好奇心を持つべきだ。納得するのではなく、創造的になるべきだ。順応主義者ではなく、風変わりであるべきだ。


思い上がりに満ちるのではなく、ユーモアを持つべきだ。


wakingtimes.com


ちょっとわかりにくい部分もありますが、ユーモアというか、笑いのすべては「現実や常識を疑う」ところから生じるものです。


常識とおりのことを言われて笑う人はいません。


「鉛筆は文字を書く道具です」


と言われて、( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ と笑う人はいません。


「鉛筆は、両耳からぶら下げて、手を使わずにお寿司を食べる道具です」


と言われれば(それじゃ誰も笑わねえよ)…ああ、まあ、これは例えとして不適切でしたが、要するに、現実や常識の概念への「破壊行為」が笑いです。


ずっと以前に書かせていただいた「笑い」についての以下の記事では、エイプリルフールの起源が、古代イスラム神秘主義者の「ウソつきの日」にあることを書きました。


世界の秩序を特異的に転倒させることが笑いの原点だったと。


それにより社会は生き返る。


(記事)創造神Jamに16歳で救われた私が40年後に気づいたこと
In Deep 2019年11月23日


 


何だか何を書いているのだか自分でもわからなくなってきていますが、先ほどの山本七平さんの、


> その不動の常識によりかかっていた方が楽だから、そこで思考を停止し…


いうことでは、やはりダメなんだと思います。

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それだけで人生は生きるに値します。

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