私の別ブログの過去記事から転載。学歴でしか頭の良さを測れない人間はかなり馬鹿だと思う。
ついでに言えば、「理屈の言える人間」の理屈は、その場の人間の大半に理解できないから「頭がいい」と錯覚されるのだと思うwww
(以下引用)
ついでに言えば、「理屈の言える人間」の理屈は、その場の人間の大半に理解できないから「頭がいい」と錯覚されるのだと思うwww
(以下引用)
これは冗談抜きで、「頭が良いとはどういうことか」という大きなテーマを示唆している。日常的な言動では頭がいいのに、学校の勉強はまったくできないという人もいるし、その逆もいるのではないか。少なくとも、学校秀才が頭がいいと思った経験は私にはあまり無い。(まあ、あまり接触したこともないが。)その逆に、日常生活の上では頭がいいなあ、と思う人間が多いのだが、彼らはたいてい学校の勉強は苦手だった。
これは、考察する価値がある問題だと思う。
学校の成績の悪い人は、本当は頭が悪くはない。ただ、「理詰めで考える能力が低い」だけで、瞬間の判断や身近なことを記憶する能力は高いのではないか。で、理詰めで考える能力というのは頭の良さのひとつでしかないと思うわけだ。つまり、直感的に正解が出せる問題なら、理屈は不要であるわけで、そちらのほうがむしろ高度な頭の良さだと見ることもできる。ただ、不特定多数の人に「説明する」段になると、理屈抜きでは説明が説得力を持たないから、理屈の言える人間が「頭がいい」と多くの人に思われるのだろう。
これは、考察する価値がある問題だと思う。
学校の成績の悪い人は、本当は頭が悪くはない。ただ、「理詰めで考える能力が低い」だけで、瞬間の判断や身近なことを記憶する能力は高いのではないか。で、理詰めで考える能力というのは頭の良さのひとつでしかないと思うわけだ。つまり、直感的に正解が出せる問題なら、理屈は不要であるわけで、そちらのほうがむしろ高度な頭の良さだと見ることもできる。ただ、不特定多数の人に「説明する」段になると、理屈抜きでは説明が説得力を持たないから、理屈の言える人間が「頭がいい」と多くの人に思われるのだろう。
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