まあ、最近の子供は目が肥えているから、公園の裸婦像など(公園に限らない。下の記事中の「平和の群像」などもそれ。)は「汚いオバサンの裸」としか見ないかもしれないwww なお、男の裸も醜い、というのが私の意見だが、若い間は女も男もまだ見られると思う。ただし、醜いとか美しいというのは「文化的洗脳」の結果にすぎず、また主観性(個人的趣味)が大きい。すべての裸が美しいなら、ファッション産業など無意味だろう。(裸の醜さを隠すために)服を着ているから文明人顔できるのである。
なお、公共空間の抽象的彫刻も、たいていはグロテスクで、風景に調和しないと私は思っている。
(以下引用)
戦後日本の彫刻を考えるうえで、長崎は最も重要な場所である。
昨年、このような一文からはじまる小論を書いた
。小説家であり評論家でもあった堀田善衛が「あれが表象するものは、断じて平和ではない。むしろ戦争そのものであり、ファシズムである」と評した北村西望作《平和祈念像》と、北村の直弟子・富永直樹作《母子像》の師弟による二つの大型彫刻、浦上天主堂の被爆聖像、世界各国から寄贈された平和の彫刻群、そしていわゆる《母子像》裁判……。彫刻であふれた爆心地・長崎から、「人間にとって彫刻とはなにか」という「彫刻の問題」を抽出する試みだった。
2014年から長崎の原爆碑と爆心地一帯の彫刻を調査している。数回の長崎滞在において、いまだに忘れることのできない言葉がある。爆心地の遺構をめぐるツアーガイドとともに「爆心地公園」を歩いたときのことだ。公園の一画に、薔薇の花がちりばめられた服を着た女性が、病んだおさなごを抱えた巨大な彫像がある。この下でふと思い立ち「この彫刻はなんですか?」とガイドの方に尋ねた。本当はこの《母子像》という彫刻について、作者・富永直樹氏の経歴や、建立をめぐる激しい反対運動、そして撤去を求めた裁判といった、込み入った事情を多少は知っていた。しかしそのことは隠して、観光客のように質問をしてみたのだ。ガイドの方はこのように答えた。
「この彫刻は見なくていいです」。さらにこのように続けた。
「こんなへんなものを建てちゃって」
まるで雷に打たれたようだった。なぜなら、ある種の彫刻を前にして「この彫刻は見なくていい」「こんなへんなものを建てちゃって」と誰より思ってきたのはお前自身ではないかと突きつけられたように聞こえたからだ。ある種の彫刻とは、さまざまな場所に設置されたアニメキャラクターの銅像や、裸体彫刻のことである。特に公共空間の女性裸体像に対して、彼女たちをどのようにまなざせば良いのかと考えあぐね、答えは見つからず、長いあいだ意識の外に追いやり、「見なくてもいい彫刻」とすることで深く考えないようにしてきた。
長崎でその後ろめたさを自覚したとき、公共空間の女性裸体像に向き合おうと私は決意した。やがて調査を進め、その出自が明らかになるにつれて、「見なくてもいい彫刻」はひるがえってこう言っているのだと思い至るようになった。「彫刻を見よ」と。
あの裸の女たちはどこからやってきたのか。彼女たちの物語を語りたい。
軍人像から平和の女性裸体像へ
1951年、皇居濠端の三河田原藩上屋敷跡、三宅坂小公園に《平和の群像》が建立された。《平和の群像》の正式名称は「広告人顕頌碑」という。広告人顕頌碑は電通(当時の正式名称は日本電報通信社)が建設し、東京都に寄贈された広告功労者顕彰のための記念碑で、台座の上には東京藝術大学彫刻学科教授・菊池一雄が「愛情」「理性」「意欲」をテーマとして原型を制作した三体の裸婦彫刻《平和の群像》が据えられた
。『電通 一〇〇年史』および『電通創立五十周年記念誌』によれば、この《平和の群像》こそ、この国の公共空間に初めて誕生した女性裸体像である。