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「人は集団だと非論理的になる」か?

wiredというサイトから転載。ただし、論題が面白いので取り上げただけなので、記事内容は未読であり、私自身の考察が長くなるようなら、記事そのものはカットする予定。
「人はなぜ集団では非論理的になるのか」というのは実に面白い問題ではないか。そのことにうんざりしている人は無数にいるだろうが、それを普遍的問題として考えた人は少ないのではないか。
今、少しだけ読みかけている「ハーバート・スペンサー・コレクション」という文庫本の最初のあたりに、こういう言葉がある。(H・スペンサーは「社会進化論」つまり「優勝劣敗が社会の当然の姿」という意見の持ち主であり、「社会福祉政策は世界の幸福の基盤」という信念の私の仮想敵なのだが、彼の著書自体を読んだことが無いので、確認のために読んでいるわけだ。)


「ある行動の仕方がーーその政策がいかに疑わしく、その善悪の結果がいくら重大なものであってもーーひとたびわれわれの祖先の従うところとなると、大部分の民衆は〈それは正しいことか?〉と自問することさえなく、同じ行動を続ける。慣習というものは、極めて議論の余地がある論点について一瞬も考慮せずに結論に至り、ごく疑わしい命題を公理に変え、ほとんど自明の真理さえも考慮に値しないものとして排除するという、羨望すべき力を持っている」(「政府の適正領域・第一の手紙」森村進編訳)

これは「慣習」についての言葉だが、集団の議論における「鶴の一声」、つまり、権力者やその代理人の一言で集団の意見が決定する、という事実によく似ていて、このことは民主主義を標榜している国でも独裁国家でも変わらない事実である。ただし、権力者が「柔弱」な性格の場合は話が別である。その場合、議論は錯綜し、誰にとっても不平不満の残る結果になりがちなのではないかwww 

要するに、「集団だと非論理的になる」というのは、単に「論議を尽くさない」か、「正しい論理が、不合理な論理を持つ強者によって抑えつけられる」だけの話である、と思うわけだ。
わりと簡単な結論になったようなので、引用記事はそのまま引用してみるが、未読である。

(以下引用)

人はなぜ集団では非倫理的になるのか?

なぜ人間は、集団で行動すると恐ろしい行為に走りやすいのだろうか。集団の一員として競争に参加すると、の「内省」にかかわる領域の活動が鈍るという研究結果が発表された。


TEXT BY KADHIM SHUBBER
IMAGE BY SHUTTERSTOCK
TRANSLATION BY TOMOKO TAKAHASHI, HIROKO GOHARA/GALILEO

WIRED NEWS (UK)



人間が集団になるとどんなに残酷な存在になりうるかについては、誰もが、直接的に体験したことがあるか、あるいは今後体験するかもしれない。1対1の交流は常識によって制御された「人間的」なものであっても、「われわれ」と「彼ら」という概念が入ってくれば、事態は急速に恐ろしいものになりうる。

集団になるとから倫理が奪われる?

なぜ人間は集団で行動すると、恐ろしい行為に走りやすいのだろうか。この疑問については数多くの説があるが、それらの説は大きく3つのカテゴリーに分けられる。第1は、「われわれ」の利益のために「彼ら」を犠牲にして行動するのは「合理的」だから、という説明。第2は、集団のなかに入ると、人間は匿名的な存在になり、個人の責任がごまかしやすいから、という説明。第3は、集団になると、個としての自己意識や、自分なりの道徳観念が薄れるから、という説明だ。


マサチューセッツ工科大学(MIT)、カリフォルニア大学バークレー校、カーネギーメロン大学のチームはこのほど、この第3の説についてもう少し詳しく見ることにした。その結果、われわれは集団になると、「倫理と関係する脳の領域」の活動が鈍るらしいことが明らかになった。


この研究では、大学生23名が、画面上に一連の文章が表示されるゲームに参加した。すでに個々の被験者自身について調査が行われており、これらの文章はそれらを表示する内容となっていた。それらには例えば、「Facebookに600人以上の友人がいる」などのソーシャルメディアに関するものと、「皆で共有している冷蔵庫から食べ物を盗んだことがある」などの道徳的な問題に関するものが含まれていた。


被験者は、ソーシャルメディア関連のメッセージが表示されたらボタンを押すよう指示された。そしてこのゲームは、別の被験者と個人同士で、または、被験者グループとグループ対戦で賞金を争って対戦するかたちで行なわれると説明されていた。そして、ゲーム中の脳の活動がMRI(核磁気共鳴画像法)を使って観察された。

しかし実際には、ゲームは被験者の注意をそらすためのもので、研究チームの本当の目的は、脳の「内省」にかかわる領域、内側前頭前皮質の活動を観察することだった。



実験結果によれば、チームの一員としてゲームに参加した場合の被験者は、個人として参加した場合に比べて、道徳にかかわるメッセージが表示されたときの内側前頭前皮質の活動が顕著に低かった。


さらにゲーム終了後、研究論文に載せるための対戦相手の顔写真を被験者に選ばせたところ、内側前頭前皮質の活動が低かった被験者は、チームメイトに比べて写りのよくない対戦相手の顔写真を選ぶ傾向を示した。

群集心理はどう影響するのか

「重要なのは、こうした相関性が道徳的なメッセージに特異的だった点だ」と、研究チームは『NeuroImage』誌に発表した論文の中で述べている。「コミュニケーションに関するメッセージでは、<写真の選択>と<脳活動>の反応に相関性はみられなかった」。


興味深いことに、すべての被験者が脳活動において同じような反応を示したわけではない。チームで競争することに非常に強く影響された被験者もいれば、それほど影響を受けなかった被験者もいる。集団のなかに置かれると、より自分を見失いやすいタイプの人と、そうでない人がいると考えられるが、その理由は今回の研究では検証されていない。


研究の筆頭著者ミーナ・シカラは、プレスリリースの中で次のように述べている。「このプロセスだけで集団間紛争を説明することはできない。それでも今回の結果は、少なくとも一部のケースにおいては、自己の道徳基準を積極的に省みることが、『群集心理』の影響を弱めるのに役立つ可能性を示している」

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