1年間使うと3500万円かかる日本発の新薬ニボルマブは、実はアメリカから輸入されている。非常識な薬価には巨大製薬企業の意向が反映し、われわれの保険料や税金が海外に吸い上げられているのだ。まさに国家を危うくする製薬会社の「からくり」を暴く。
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「医学の勝利」は、われわれが望んだはずだが、なぜそれが「国家を亡ぼす」という結果を導くのか。
それは、だれも予想しえなかった勢いで押し寄せる高齢化の波の、さらなる呼び水になり、そうして増えつづける高齢者が「医学の勝利」の果実を、さらに求めるからだ。「果実」のひとつが、次々と登場する目玉が飛び出るほど高価な新薬の数々であり、それを投与するために公費を際限なく使えば、たしかに「国家を亡ぼ」しかねない。
むろん、それは構造的な問題であり、たとえば製薬会社の責任に帰する類いの話ではない。しかし、なぜ薬がこうも高くなったのか、その理由を知ることには意味があるだろう。
この連載で、高価な新薬の典型として示してきたのが、患者の免疫力を利用してがんを抑える日本発の治療薬「ニボルマブ(商品名オプジーボ)」だ。
まず悪性黒色腫(メラノーマ)向けに承認され、続いて非小細胞肺がん向けの保険適用が認められたこの薬は、1年間使うと3500万円かかる。しかも効く人には確実に効く一方、どの患者に効くのか事前にわからず、無駄な投与も続く。また一般の抗がん剤は、投与後に腫瘍の影が大きくなったら効果なしと判定できるが、ニボルマブは効く前に一時的に影が大きくなることもあり、効果がなさそうでもやめにくいという。
この薬を仮に5万人が1年間使えば、1兆7500億円になる。臨床医の里見清一氏が「これでは国がもたない」と訴えるのも、再三述べてきた通りである。
ニボルマブを開発した小野薬品工業の説明を聞いてみよう。谷幸雄広報部長は、
「今後も高額な薬が次々と出てくるので議論が必要だという意味で、オプジーボが象徴的に取り上げられているのだと思いますが、1兆7500億円という数字は、現実的ではない」
と、こう主張する。
「今年度のオプジーボの売上げ予想は1260億円です。この薬が使える手術不能で、ほかの抗がん剤を使って効果がなかった患者さんは、1年間で約3万人と想定しており、うち3割は遺伝子変異が要因なので別の薬が効く。さらに未知の副作用もあり、誰にでも使えるわけではない。1年間で新規に対象になる患者さんは、1万5000人ほどになると見ています。投与期間は、臨床試験の結果では平均約6カ月です」
無駄な投与を続けることにはならないというのだ。
「3回、4回と投与してもがんが大きくなっていれば効かないとわかります。投与後に一時的に影が大きくなる“偽増悪”があるのは事実ですが、その後、本当に効き目が出ているかどうかは判断できます」(同)
これに対し里見氏は、
「ニボルマブと1兆7500億円の数字を、象徴的な意味で出したのは事実」
としながら、「ただし」と継いで説く。
「現在、“3回、4回”で効果を判定できる具体的な方法はありません。肺がんの“偽増悪”を図示した論文でも、2カ月の時点で大きくなった腫瘍が、4カ月の時点で縮小していた。だから、多くの医者は“6回(3カ月)くらい使って判定”と患者に説明しているはずです。また無効例の多くにおいて6回で終了したとしても、平均値は長期投与例に引っ張られます。5人の患者がいて2回、4回、6回、12回(半年)、24回(1年)と投与されたとします。実際の臨床例はこんなものです。平均投与回数は10回で、5万人に投与すれば六千数百億円。1疾患への一つの薬として、とんでもない金額です」
小野薬品は5万人という数を否定するが、
「非小細胞肺がんの患者は約10万人で、さらに増える。手術などで治るのが2割ほどで、残りは薬物療法の対象になりえます。免疫療法に移行する率は不明ですが、5万人という推定はありえる。対象にならないのは主に高齢者でしょうが、一方で“この薬は高齢者でも副作用がなく使える”と、むしろ積極的に広めようとする医者もいる。また“遺伝子変異が要因”で“別の薬が効く”患者は、たしかに3割いますが、その薬が効かなくなると、ニボルマブが使われています」(同)
■市場原理が働かない
同様に高価な薬が続々と登場すれば、明らかに「国がもたない」。実際、薬価は一つが高くなるとそれが前例となり、次からはみな高くなるという。
では、「前例」であるニボルマブの桁外れに高い薬価は、どのようにして決められたのだろうか。医薬品業界の担当記者が言う。
「薬価の決め方には類似薬効比較方式と原価計算方式があります。前者は既存の類似薬をもとに算定するもので、効果の違いによって点数が付加され値段が決まります。とはいえ点数に確たる根拠はない。一方、後者はまったくの新薬の場合の計算方式で、製薬会社側が開発にかかった費用を積み上げ方式で算定し、それに利益を足して予想販売数で割ると、おおよその薬価になります。ただし開発費の中身は、製薬会社の言い分に依拠しています」
最終的に薬価を決めるのは厚労相の諮問機関、中央社会保険医療協議会(中医協)である。ここでニボルマブの薬価が吊り上がった事情を、医薬品売上予測コンサル「e-Projection」代表で「国際医薬品情報」編集委員の長手寿明氏が説く。
「新薬は保険適用の医薬品として、厚労省が定める薬価基準に“収載”されますが、ニボルマブは最初の薬価収載が、患者数が少ないメラノーマ向けでした。薬に複数の疾患での効能が想定される場合、より患者数が少ない疾患から適用をとることが多い。有効な薬が少ない患者を救う人道的意義に加え、製薬会社の経営戦略が影響しています」
どんな戦略か。
「患者数が少ない病気のほうが薬の価格が高くなりやすい。また、メラノーマは治験スピードが速く、開発費用を抑えられるのです」
もっとも、小野薬品の谷広報部長は、
「さまざまながん種でニボルマブの基礎研究をし、その中でメラノーマが最も効きやすかった。しかも、30年近くも新薬が出ていないメラノーマ向けの開発を優先すれば、薬になる確率が高まると判断した。薬価が高くなりやすいなどとは、まったく考えていません」
と否定する。だが、それが戦略ではなくとも、谷部長が語った事情がニボルマブの価格に影響した可能性はあるという。長手氏はこう説明する。
「薬価収載に際し、中医協はニボルマブに類似薬がないと判断し、ご祝儀的意識が薬価に反映した可能性はある。小野薬品はメラノーマの薬として患者数470人、ピーク時の売上げが31億円という試算を中医協に示しました。たしかに、この程度なら国家財政に与える影響は軽微ですが、真の狙いは肺がん患者、さらにほかのがんへの適用拡大にあったのは間違いない。中医協もそれをわかっているはずですが、開発が失敗する可能性がある適用拡大まで加味して、薬価を決めることはできないのです」
中医協を管轄する厚労省保健局医療課に聞くと、
「高い有用性が確認されたことから、平均的な営業利益率から+60%を適用することとした」
“ご祝儀”の加算を半ば認めるのだ。
“後出し”の肺がんへの承認には、京都大学名誉教授で呼吸器科の医師、泉孝英(たかてる)氏も疑問を投げかける。肺がん向けの追加承認で販売金額は50倍以上に跳ね上がると試算したうえで、
「それでも値段が一緒とは、市場原理が働いていないデタラメな話です」
と憤って、続ける。
「小野は米メダレックス社と共同でニボルマブを開発しましたが、メダレックス社は09年、メガファーマのブリストル・マイヤーズ・スクイブ(BMS)に買収され、11年に小野はBMSに、日本、韓国、台湾を除く全世界での独占開発・商業化の権利を供与した。つまりニボルマブは日本で開発されながら、超高価な輸入薬品です。一般に商品は、いくらなら売れるかを念頭に開発を進めるのが常識ですが、健康保険を念頭に開発する薬には、この常識が通用しない。しかも、原価計算方式は製薬会社にきわめて有利。要するに、メガファーマの言う通りの薬価によって、日本の保険制度が破綻しかねない、という話なのです」
■メガファーマが吸い上げる
ところで、日本の医療費は、高額療養費制度で補われる分も含めると、
「半分ほどが保険料で賄われ、患者負担は1割強。国の負担が25%で、残り15%未満が地方の負担です」
と先の記者。医薬品業界は手厚い社会保障政策の庇護下にあるわけだが、あらためて長手氏が指摘する。
「ニボルマブの売上げの多くはBMSに流れています。メガファーマは、日本の保険料や税金をいかに多く吸い上げるか、という考えで動いているのです」
メガファーマの実態をここで明らかにしたい。労働衛生コンサルタントで『ビッグ・ファーマ 製薬会社の真実』の翻訳者である斉尾武郎氏が語る。
「アメリカなど海外の巨大製薬会社は、もともと巨額の投資をして臨床試験を行ってきましたが、1990年代になるとEBM(根拠にもとづく医療)が重視されるようになった。たしかなエビデンスを得るためには、さらに大規模な臨床試験が必要です。それができるのは資金力のある製薬会社だけだったので、大手製薬会社がメガファーマ(巨大製薬企業)として成長する土壌ができたのです」
メガファーマはEBMを逆手にとったわけだ。
「大金を投じて臨床試験を行うことで薬の効果が裏づけられ、新薬がデビューします。同時に、すでに市販されている薬の有効性についても臨床試験を行い、請負会社が“客観的な”論文を作成する。そして、薬を承認する規制当局、FDA(米食品医薬品局)の官僚には退職後の職場を提供し、政治家には寄付金や献金を流入させる。こうして一般的な製造業の利益率が10%前後という中で、メガファーマは30%前後の利益率を維持してきたのです」
そして、今や日本の製薬業界も、メガファーマの新薬開発競争に組み込まれているというのだ。
「96年、日米欧でGCPという臨床試験に関する国際ルールが合意され、エビデンスに乏しい日本独自の薬は承認されなくなった。その後、日本の製薬会社もコストをかけてヒットを狙うようになり、さらに抗がん剤など高分子薬の開発にトレンドが移ってきた。小野薬品とニボルマブの関係はその好例です」(同)
2015年の売上げ世界一はスイスのノバルティスで、503億ドル(約5兆3600億円)。従業員数は11万8700人で、営業利益は88億ドル(約9400億円)、資産総額は1315億ドル(約14兆100億円)におよぶ。2位は米ファイザーで、売上げは488億ドル(約5兆2000億円)。従業員数は7万8300人で、営業利益は110億ドル(約1兆1700億円)、資産総額は1693億ドル(約18兆300億円)である。
利益率の高さが目に留まり、給料も高い。売上げ第4位の米メルクは、主任研究員の平均年収が12万8700~15万9200ドル(約1370万~1700万円)、CEOとなると1990万ドル(約21億2000万円)にもなる。メガファーマ同士の競争も熾烈で、
「ある学者が生命科学についての発表を行うと嗅ぎつけた競合の研究者が、前日にその発明の特許権を主張する発表を行った、ということもあった」(長手氏)
むろん、それはメガファーマの代理戦争である。
「アメリカでは、新薬の研究、開発費をはるかに超える予算が、ロビー活動を含むマーケティングに費やされていることが問題視されています」(北米在住のライター、關陽子さん)
ニボルマブも、その肥大化に貢献している。
■効果が同じで薬価は3倍
慶應義塾大学大学院経営管理研究科の特任教授、岩本隆氏は、違った視点から薬価の問題に切り込む。
「ニボルマブもそうですが、抗がん剤の半分以上はバイアル(注射薬)で、その使い残しは廃棄されています。12年時点の集計で、年間400億円分の薬が廃棄されていました。アメリカでは保険者は使った分の薬代しか負担しませんが、日本では100ミリグラムのバイアルを90ミリグラムだけ使っても、100ミリ分の薬剤費を保険者が負担する。捨てる分にまで国民の健康保険料や税金が使われているのです」
一度瓶を開けると薬の無菌性や安定性を保ちにくいため、岩本氏は再び密閉状態にできる“蓋”の使用を提言する。ともかく、待機児童を即座に解消できるほどの金額が、ドブに捨てられているのである。
話をニボルマブに戻そう。里見氏はこの薬を、使う必要がないとは一度も言っていない。そうではなく、
「効く薬だから使わなければいけない」
と高く評価したうえで、その“使い方”に注文をつけているのである。
一方、効かないのに高い薬も多いという。たとえば認知症患者に使われるアリセプト。『「痴呆老人」は何を見ているか』(新潮新書)の著者で、終末期医療全般に取り組む東京大学名誉教授の大井玄氏が指摘する。
「ほかに病気がない認知症患者で効果を測ると、記憶力が少し高まったといいますが、効力は1年程度。一般的には効果が薄いのです。ただ、使えば家族は安心しますし、医者も“何もしない”と非難されずに済みます。しかし医者は、アリセプトの効果は限定的で、しばしば胃を荒らすなどの副作用もあることを、家族が受け入れられるように説明することも大切です」
里見氏が継いで言う。
「患者の利益が何らかの数値で出てしまうと、使わずにいられないのが医者の業みたいなものです。高齢者医療の目標は生活の質の向上であるはずですが、“質”は測定できません。重要なものを測って数字にできないなら、いかにして測るかを考えるべきですが、それは難しいので、測れるものを重要と考えるという前提で治療が決定されている。本末転倒です」
ほかに薬がないならまだわかるが、効果は同じなのに、高い方を使う医者の悪習も後を絶たないという。
「アバスチンという、よく使われる大腸がんの薬があります。データでは、化学療法に上乗せすると死亡リスクが19%軽減され、生存期間が1・4カ月延長されます。効果は小さいがあるにはある。そこに先日、作用が同じ仕組みのサイラムザという薬が大腸がん用に承認されました。死亡リスク軽減率は16%で、生存期間の延長は1・7カ月。統計学的には効果はアバスチンとまったく一緒で、作用が同じだから副作用も同じ。ところが薬価は、アバスチンが6カ月で約150万円なのに、サイラムザは約420万円と3倍近い。これはサイラムザが当初、胃がんの薬として承認され、大腸がんへの適用が追加された経緯からです。胃がん向けの薬価が改定されず、そのまま通ってしまった」
中医協には費用対効果という視点がないようだ。ちなみに、サイラムザも米社の製品である。
「中医協は、サイラムザの大腸がんへの適用を承認すべきでなかった。効果も副作用も同じで値段だけ3倍の薬に存在意義はないはず。しかし、“選択肢が広がった”と意味不明のことを言って使う医者はいます。私が勤務する病院では、サイラムザを大腸がんには使わないという方針を、院内の委員会で決めました」(同)
効果が同じなら安いほうを使う――。自腹であればだれもが従う常識が通じにくいという。だが、医師を含めて一人ひとりが常識をもたないかぎり、日本の財政も、子や孫の時代の医療も、危うくなってしまう。
「短期集中連載 医学の勝利が国家を亡ぼす 第6回 薬価を吊り上げる製薬会社のからくり」より
「週刊新潮」2016年6月16日号 掲載