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「象徴」としてのナポレオン

昨日も書いた中野剛志の「国力について」は、書かれたことに異論を持つこともあるが、私の気づかなかったことを気づかせる「啓発的」な記述も多い。
たとえば、次の一文などは、誰も指摘しなかったことではないだろうか。

例えば、フランス革命は、民主主義と同時に、フランスのナショナリズムを産み落とした。(同書118頁)

実は、これ(民主主義ナショナリズム)がナポレオンの「勝利の秘密」だった、というのが私の推定だ。
フランスが敵対した国々の軍隊は基本的に「傭兵」と同じ性質(兵士の個人的利益のために戦う軍隊)だったのに対し、フランス軍は「国民軍」であり、国家の利益のため、つまり「自分たち全体」のために戦ったのである。当然、前者は自分の命を守ることが最優先(戦闘後に生き残れば褒賞が得られる。つまり、戦闘では逃げ回るのが賢明)であり、後者は戦闘での自軍の勝利が最優先になる。どちらが強いかは自明だろう。
そして、兵士たちは、自分たちがなぜ勝てるのかの理由を知らないから、それは「戦闘を指揮していたナポレオンが優秀だからだろう」ということになる。また兵士自身がそう信じることで軍隊はさらに力を得るのである。「俺たちはナポレオンが指揮しているから負けるはずがない」となるわけだ。
これが、前回書いた「象徴の力」である。ナポレオンは誕生したばかりの「国民国家」の象徴だったのである。だから彼はどんどん出世してしまいには皇帝にまでなったわけだ。そして自分の力を過信したナポレオンは無意味なロシア遠征(「自国防衛の戦争」ではないから兵士たちには特に無意味であった。)を行い、その敗北で象徴としての力を失ったのである。

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国民と国家と国民統合の「象徴」

「ナショナリスト」には「国民主義」と「国家主義」のふたつの意味があると前に書いたが、その両者は重なっている、という、当たり前といえば当たり前の論説を、これも新古書店で買って流し読みしている中野剛志の「国力とは何か」の中で述べている。やや怪しげな(つまり、納得しがたい)論説部分もある。これも当たり前だ。すべて自分と同じ考えなら他人の書いた本を読む意義はない。


引用部分は、「天皇」という存在の意味(あるいは「民主主義の根本的曖昧さ」)についての、あまりほかの人が言わない説明で、私はほぼ同感だが、反天皇主義者が頭の毛を逆立てそうな内容かもしれない。

(以下引用) 

民主国家では、国民主権といって、国民があらゆる政治的意志決定を行うとされる。しかし、国家そのものまでも、民主的に創設できるわけではない。それはなぜか。主権者である国民の範囲を、国民が民主的に決定することができないからなのである。
国民主権が成立するためには、あらかじめ、誰が主権者の国民であるかが決まっていなければならない。しかし、誰が国民であるかを国民が民主的に決めることは、論理的に不可能である。誰が国民であるのかを決めるのは、国家の境界線である。つまり、「はじめに国家ありき」なのである。
国民の範囲は、民主的に決めることができないのであるなら、それは非民主的な手続きによって決められなければならない。非民主的な決定方法の一つは、暴力によるものである。(中略)国民の境界線が民主的に引くことができず、暴力的に決めるのが望ましくないのであれば、権威主義的に、すなわち人々に有無を言わせず決めるしかない。だから国家には「権威」が必要になる。
権威は「象徴」という目に見えるような形で表現される。国家は「象徴」が人々の心理に及ぼす力を利用して、人々に国家の権威をイメージさせ、受け入れさせるのである。こうして国家は象徴の力を利用して、人々を統合するのである。国家が国旗や国歌といった象徴をもち、象徴的な儀式を国事行為として執り行うのは、そのためである。
日本国憲法にも、第一条において、天皇は国民統合の「象徴」であると書いてある。それは、天皇が実体のない単なるお飾りだということではない。国民を統合する力の源泉が「象徴」であり、それが日本の場合は天皇であるということである。
もっとわかりやすい例を挙げよう。戦争において勝利した国は、しばしば敗戦国の建国者の銅像を引き倒したり、国旗を焼き払ったり、国家宗教の神殿を破壊したりする。それは、その国を徹底的に滅ぼすために、その国をまとめる力をもつ「象徴」を破壊する必要があるからなのである。


     中野剛志「国力とは何か」(副題「経済ナショナリズムの理論と政策」)より

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ジョン・レノンの夢想(理想)はいつか現実になるだろうか

「愛知企業全員集合!」という変な名前のブログから転載。

(以下引用)赤字は夢人による強調。


もう何百回聞いただろう?イマジンを.... 全世界では何千億回聞かれているだろうか?
1971年の曲だが、今も色あせることがない。
人類の平和を願った歌だけど、悲しいかな何十年経ってもなおイマジンの願いは届かない。
でもきっといつかは....と、イマジンは永遠に問いかける。
米国テロ後、放送自粛にもなったイマジンを改めて聞いてみよう。
2001/11/15

※2020/9/3 SSL化しURL変更しました。
英語の苦手な僕でも「イマジン」の歌詞の内容は理解しているつもりです。
そこで、いろんな訳を参考にして、平和を想いながら僕なりに訳してみました....
曲は聞いたことがあるけどよく知らない...という方、ぜひ参考にしてみてください。

 

Imagine / John Lennon & Yoko Ono

和訳 Akihiro Oba

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...
 
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
 
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one
 
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
 
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one
 



想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...
 
想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
 
想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ 


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世界に恥をさらした大阪・関西万博

「世に倦む日々」記事の冒頭部分で、テレビの実況中継を見ていた人間の実感だろう。
まあ、世界に「中抜き文化」「没落国家」の実態をさらした恥ずべき歴史になるかと思う。

(以下引用)

貧相で杜撰な大阪・関西万博 - なぜ本物の大阪・関西の文化を見せないのか?

世に倦む日日
2025年4月19日 13:20

4/12、大阪・関西万博の開会式が行われ、NHKで生中継されていた。放送を見終わった直後に率直な感想をポストしたところ、非常に多くの反響があった。


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70年万博の開会式の絵と比較して何とも貧相でこぢんまりとしている。そうした批判的意見が多くあった。まず、会場の空間が狭く暗く、スケール感と開放感がない。5年に一度の国際博であり、日本が国家の威信を賭けて世界に存在感を発揮する機会であり、世界に感動を与えて国民が自信を得るコンテンツが発信される場なのに、披露された中身は脱力するほどショボかった。ステージが小さく、出し物の企画と演出がおよそ期待値に達していない。地方博のレベルだとか、どこかの公民館でやっているようだという声が上がっていたが、同感である。イベントに出演した人数も、会場に参席した人数も少ない。何か全体が薄暗く、身内だけを会場に呼んで座らせていた雰囲気が漂っていた。皇族以外に著名人がいなかったのか、カメラが来賓や観客の顔を捉える場面がなかった。皇族の言葉や表情も元気がなく、消極的であることが察せられた。


画像

2010年の上海万博では、サルコジや李明博など元首級が20名も参列している。今回の大阪・関西万博ではゼロだ。開会式の規模と態様が、この万博全体がどのようなものかを暗示し象徴している。158の国と地域が参加とNHKが煩く喧伝しているけれど、15年前の上海万博では192か国が参加し、国際機関も56参加していた。4年前に開かれたドバイ万博の参加国も190で、ドバイ万博の参加国数からもはるかに劣る数となっている。この事実はマスコミでは紹介されない。伏せられている。一気に30か国も減るとはどういう理由と事情なのだろう。5年後にはサウジのリヤドで万博が開かれるが、おそらく、そこでは190以上の国・地域の参加が確実だろう。要するに、日本が、経済的に世界から期待されてない国だからこうなるのであり、経済成長に伴う市場的チャンスや科学技術のシーズの面で魅力のない国だという真実の証左なのだ。


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「宰予昼寝事件」という論語ミステリーの解明

私の別ブログから転載。案外と画期的な「謎の解明」かと思うので、ミニミステリー雑談として載せておく。なお、記事内引用記事は否定のための引用である。

(以下自己引用)

宰予はなぜ「昼寝」で人格まで否定されたか



「古典・詩歌鑑賞」というブログから転載。
まあ、女性と寝ていたというのはうがちすぎで、「孔子の講義を聞くのをさぼって」昼寝をしていた、というのが真相ではないか。それを「論語」では「昼寝していた」とだけしか書かないからいろいろ憶測を生むわけだ。
で、さらに深読みすると、「孔子の講義を聞くのをさぼる」という、孔子門下には「天をも畏れぬ所業」が孔子一門の中で事件として発生したことを論語の中に記すこと自体が孔子への不敬であり、孔子一門が軽侮される災厄の種になる可能性をはばかった、というのが真相なのだろう。
教師には権威がなく、生徒は授業をさぼるのにまったく罪悪感の無い現代人には、「宰予昼寝事件」がミステリーになるのである。

(以下引用)

2012年8月30日 (木曜日)

さいよひるいぬ(論語)


宰予昼寝、子曰、朽木不可雕也、糞土之牆不可杇也、於予與何誅、子曰、始吾於人也、聴其言而信其行、今吾於人也、聴其言而観其行、於予與改是(公冶長第五・10)


宰予昼寝(い)ぬ、子曰く、朽木(くちき)は雕(ほ)るべからず、糞土(ふんど)の牆(しょう)は杇(ぬ)るべからず、予に於いてか何ぞ誅(せ)めん、子曰く、始め吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行(こう)を信ず、今吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行を観(み)る、予に於いてか是を改む


ーーーーーーーーーー




(意訳)


宰予が昼寝した。孔子(先生)がおっしゃった。「くさった木には彫刻できない、糞土では垣根に上塗りできない。宰予には何を言っても仕方がない」 さらにおっしゃった。「これまで私は、人の言葉を聞いて行いを信用した。これからは人の言葉を聞いて、その行いを観察することにしよう。宰予の件で改めたのだ」


※宰予(さいよ)=宰我、孔門十哲のひとり、言語に優れる。


論語公冶長篇の有名な章です。宰予が昼寝していたので、孔子にこっぴどく叱られました。いつも偉そうなことを言うが、行動が伴わないということでしょう。弁舌に優れ、言葉をたくみにもてあそぶ人にとってはありがちなことです。


それはそれとして、ここでは「ひるいぬ(昼寝)」に注目してみます。昼寝といっても、宰予はいったい何をしていて、孔子の怒りを買ったのでしょうか。


(1)ただ、間(孔子の話を聞かず)て(居眠って)いただけ。


(2)室で(え)を描いていた(昼の旧字「晝」と、画の旧字「畫」が似ている。記録ミス?)


(3)室に身分不相応な高価なを掲げていた(同上)


(4)女性と間からていた。


など、さまざまな説があることは承知していましたが、最近読んだ「おとこ・おんなの民俗誌」(池田弥三郎著、講談社文庫)に、興味深い文章を見つけました。というのは、『ねる』という漢字には(寢)とがありますが、どうやら若干意味が違うらしいのです。


寝→寝室をしつらえてねること


寐→目をつぶってねいること


言うまでもなく、この章ではが使われています。ということは、孔子の話を聞いているときに、ただ居眠りをしていたのではなく、少なくとも宰予は寝室にいたことになります。孔子の怒り方も尋常ではないですから、ここは(4)女性と昼間から寝ていた、というのが真相のようです。


幕末の思想家佐久間象山が江戸に出てきて儒学の先生についたとき、論語のこの章の解釈を、居眠りをして叱られたと説明され、「そんなバカなことを言う学者では話にならん。これは昼間からに入っていたから叱られたのだ」と言って、すぐにその先生のもとを去ったそうです。(ねや)といえば、明らかに女性のいる部屋のことです。


【369】

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宗教を失った西洋文明は悪の歯止めもなくなるか

まあ、私は現在のキリスト教はすべて「偽キリスト教」だと考えているので、カトリックの中枢が絶滅するのはむしろ喜んでいるが、西洋(中東含む)文明は「絶対神の存在」が道徳の土台なので、今後の世界は今以上に無道徳世界になるだろう。
ちなみに、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教での悪は神への不信のことなので、人間への悪は許容されている、というのが私の見方である。(他宗教を信じる人間や異民族などは「人間」と見る必要がないわけだ。同朋でも「異端者」は殺してよいことになる。)それが西洋人の歴史的な世界的悪事(闘争に次ぐ闘争と虐殺と略奪)の土台だった、という説である。
そして、宗教という歯止めもなくなった西洋人は生ける悪魔となる可能性もある。(既にそうか?)そこが仏教や儒教という「絶対神を前提としない道徳(社会の歯止め)」を持つ東洋との違いだろう。まあ、彼らが「神を前提としない道徳」の価値に目覚めれば、話は別である。そうなると、新自由主義という「経済的暴力」や、その暴君であるDSへの疑問も生まれる可能性もある、というのは夢想だろうか。
後で、このブログにジョン・レノンの「イマジン」の日本語訳でも書くかもしれない。

(以下引用)

フランシスコ教皇死去で次期教皇は… 900年前の「聖マラキの予言」に注目集まる

ライブドアニュースより
https://news.livedoor.com/article/detail/28606143/
<転載開始>





 



 世界に14億人を抱えるローマ・カトリック教会の長、フランシスコ教皇が88歳で亡くなった。そんな中、〝900年前〟の予言書が次期教皇の名前を予言していることで、再び注目が集まっている。英紙デーリー・メールが21日、報じた。

 バチカン(教皇庁)の「秘密文書館」で発見され、12世紀の書物とされる「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」は、別名「聖マラキの予言」「教皇の予言」とも呼ばれ、1143年のケレスティヌス2世から始まり、2027年の「ローマ教皇ペテロ」まで112人の教皇に関する予言が記されている。さらにはキリストの再臨までも予言しているという。マラキとは、12世紀北アイルランドの都市アーマーの大司教聖マラキとされている。

 ちなみに預言とは神の言葉を預かることで、予言とは未来を予測することだ。


 この書物が現在、騒がれているのが、フランシスコ教皇の有力後継者候補が9人おり、そのうち3人がペテロという名前であるという事実だ。


ローマ教皇ペテロ」に関する記述によれば、〝最後の教皇〟は大混乱の時代に教会を統率し、ローマの崩壊と教皇制の終焉に至るという。


「神聖ローマ教会の最後の迫害の中で、ローマ人ペトロが君臨し、多くの苦難の中で群れを養う。その後、七つの丘を持つ都市は滅ぼされ、恐ろしい審判者が民を裁く。終わり」と記されている。


 この予言は、フランシスコ教皇が最近入院している間に「ローマ教皇ペテロ」が教皇の地位を引き継ぐというものだ、と解釈する者もいる。一方で、フランシスコ教皇自身が最後の教皇となることを示唆しているのだと考える者もいる。


 表向きでは「教皇の予言」は、マラキがローマ訪問中に幻視を受けて1139年に書いたとされている。


 しかし、一部の学者は、この文書は1590年に作成された偽書であると主張している。1590年まで各教皇が具体的かつ非常に正確に記述されているが、それ以降は、表現がかなり曖昧になり、解釈の余地が大きく広がるからだ。


 伝統的な9日間の服喪期間の後、カトリック教会は後継者を選ぶ手続きを開始し、〝教皇選挙〟コンクラーベのために世界中の枢機卿全員をローマに招集する。通常、コンクラーベは、教皇の死後15日から20日の間に開始されなければならない。投票資格があるのは80歳未満の枢機卿で、新教皇を選出するには3分の2以上の得票が必要だ。


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お米がなければ小麦を食べればいいじゃない

未だに、去年から今年のコメ価格の異常高騰の「犯人」は不明だが、その推理の手がかりは江戸時代のコメの先物取引にあるかと思う。つまり、流通予測される数量のコメの大半を誰かが買い占めたということだ。それくらいのカネを持つ超富豪はDSはもちろん、日本の中にもいるだろう。あるいは、政府そのものが犯人だという可能性もある。
だが、この「犯行」は、大損に終わる可能性がある。それは、少し前のトマトやレタスの異常高値を見ればよい。それらが異常な高値になった結果、その高値で買った人はおそらく少数で、大多数はトマトやレタスを食べなくなったはずである。そして今、レタスが1個100円という安値でも、さほど買う人はなく、レタスは棚の上でしおれ、廃棄されている。トマトも同様だ。
つまり、食料品(特に生鮮品)を投機対象にするリスクは大きいということである。消費者はもちろん、投機者も誰も得しない。これから市場に出てくるコメは、最初から古米か古古米である可能性が高いと思う。

(以下引用)

前回の続きになります。


 


 


 


 


徳川吉宗は、幕藩体制の中核に位置する「」の価格安定のため、大坂に存在した「ある重要な市場」を公認することになりましたが、この市場とは何か


 


 


 


ということでした


 


 


 


 


 


答えは、大坂堂島米市場です。


 


 


 


 


1730(享保15)年、江戸幕府は堂島米市場における「空米取引(からまいとりひき)」を公認します。


 


 


 


空米取引」とは、米相場(相場とは、市場で取引される品物の値段のこと)を利用した先物取引(さきものとりひき)のことです。


 


 


 


先物取引とは、「現時点では存在しない商品(近い未来に存在する商品)」を売ったり、買ったりする商取引のことです。


 


 


 


米における先物取引では、現物の米を取引するのではなく、米相場の変動の結果生ずる取引代金の差額のみが決済されます。


 


 


 


現物の米の売り買いを伴わない帳簿の上だけの取引であるので、空米取引帳合米取引(ちょうあいまいとりひき)とも言う】と呼ばれたのです。


 


 


 


難関大学受験の際には、知っておいてよい用語になります。


 


 


 


 


空米取引は、純然たる投機目的(将来の価格の変動を予想して、現在の価格との差額を利得する目的で行われる売買)としても利用されたのですが、堂島米市場での現物取引である正米取引(しょうまいとりひき)に対する一種の保険としても盛んに利用されていました。


 


 


 


 


 


例えば、


 


 


 


 


 


米を売る側が、「米10㎏を5,000円で売る」という約束のもとに、購入者と売買契約を結んだとします。


 


 


 


 


しかし米の大豊作によって、米の実際の取引価格が「米10㎏で1,000円」となってしまったとしても、「米10㎏を5,000円」で売るという契約が結ばれていますので、米を売る側は収入を確保することができます。


 


 


 


 


また米を購入する側にとって、「米10㎏を5,000円で買う」という契約をしておいた場合、もしも大凶作で「米10㎏が20,000円」と高騰してしまった際でも、「米10㎏を5,000円」で購入することができるわけですから、米を高値で購入するというリスクを回避することが可能となります。


 


 


 


 


このように、米価変動に伴う現物取引での損失を回避することができたので、空米取引は信用の高い取引として、実に利用価値の高いものとなりました。


 


 


 


 


 


当時の社会は米経済でしたので、米の取引における安心・安全を提供してくれる堂島米市場の利用価値は上昇し、米の取引が盛んに行われるようになりました。


 


 


 


 


こうして米の需要が高まり、米価が高値をつけるようになっていくのです。


 


 


 


 


幕府が空米取引を公認した最大の理由は、まさにこの点にありました。


 


 


 


 


つまり、幕府が空米取引を公認したことにより、米取引の需要が増大し、米価が高値になるという方法を考案したのです。


 


 


 


 


 


米価上昇に関する方策として、幕府は様々な方法を考案しています。


 


 


 


 


高埜利彦『日本の歴史元禄・享保の時代』集英社 1992年」


 


 


 


 


を参考にすると、次のように記述されています。


 


 


 


 


1730(享保15)年、幕府は年貢米60万石を籾(もみ)のまま貯蔵して、60万石を米市場から購入し、さらに諸大名や大坂の商人にも同様の方法を勧めて米の需要を高めさせた。」


 


 


 


つまり、市中に出回る米の量を減少させることによって、米の価値(需要)を高め、米価の上昇を図ったのです。


 


 


 


 


さらには、「酒造を積極的に奨励する」という政策も実施しています。


 


 


 


酒(日本酒)造には、大量の米が必要とされます。


 


 


 


 


米の需要を高めることによって、米価の引き上げを意図したわけです。


 


 


 


 


 


米価が下落してしまえば、せっかく増徴した年貢米も低い価格で換金されてしまうことになり、増収は見込めなくなってしまいます


 


 


 


 


これは幕府だけではなく、武士階級にある者にとって同様に頭の痛い大問題だったわけです


 


 


 


 


そこで幕府は、米の流通機構の整備・介入を積極的に行うことで、米価の高値維持を図ったのです。


 


 


 


 


諸色(米以外の商品)に対する需要の増大が、諸色の価値を高め、価格の高騰につながりました。


 


 


 


この経済状況を憂慮した幕府によって、米の価値を高める政策がとられました。


 


 


 


 


 


幕藩体制と呼ばれた江戸時代のシステムは、石高制に基づいた支配体制でした。


 


 


 


石高とは、「土地評価を米の生産高で示す」というものです。


 


 


 


農民は石高によって租税を負担し、幕府や諸藩の領地や俸禄の規模なども全て、この石高で示されたのです。


 


 


 


つまり、石高制は江戸時代維持における根幹であり、米経済を継続していくためには、米価の低下は何としても避けなければならない事態でした。


 


 


 


 


米価低下によって、石高制が否定されてしまう事態が発生した場合、江戸幕府の存続は極めて難しくなってしまうからでした。


 


 


 


 


だからこそ❢ 米将軍と称された徳川吉宗は、常に米価に気を配っていたのです。


 


 


 


 


江戸幕府の支配体制の根幹を崩壊させまいとする焦燥感であり、危機感が背景にあったのでしょう。


 


 


 


 


米価の安定は、武家政権としての江戸幕府の支配の安定に直結していたのでした。


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酔生夢人
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職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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