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天皇制と「エタ・ヒニン」の関係?

「逝きし世の面影」の宗純氏の文章の一部だが、粗雑な論理である。
私は尊皇主義だが、「神権的天皇制(古代天皇制)」の支持者ではないし歴史にも詳しくないので、単に論理だけを論じるが、天皇制の本質は「一君万民」だったのではないか。つまり、人民の間に「エタ・ヒニン」を作る(できる)のとは話がまったく違う。
そして「人の上に人を作る」のは資本主義でも共産主義でも社会という組織の活動の上で不可避のことで、天皇制とは無関係な話だ。
その「人の上に人を作る」が、「天皇神格化」のことなら、既に終わった軍部支配時代の話だ。むしろ、半分は意図的に作られたとしても、「神の存在しない」近代社会において「天皇の神格化」がなぜ可能だったか(それが日本の文化の土台に存在し、民衆の好意的反応があったからこそ、そしてそれが「日本の誇り」の象徴であったからこそだろう。)を考えることこそが、日本という国の未来を考える上で有益なのではないか。
なお、「民主主義」が事実上不可能な政治システムであることを聡明な宗純氏は分かっていると思う。だから「代議制民主主義」という「背後から操作可能」な偽民主主義が世界のほとんどの国で行われ、そのほとんどが「民衆搾取政治」になっているのである。

言うまでもないと思うが、私は「民主主義批判」を「天皇親政」に直結させるほどの馬鹿ではない。それでは226の過激派青年将校と同じである。しかし、天皇こそが日本の象徴だ、という意見は私の信念であり、それは日本国憲法の言明するところだ。そして天皇は、あるいは「日本を守る最後の盾」になる可能性もあると思う。なぜか。それは天皇はその存在意義の上で日本と一心同体だからだ。

(以下引用)


この「逝きし世の面影」ブログのカテゴリー「部落解放同盟」が詳しいが、生まれながらに尊い人を作れば自動的に生まれながらに卑しい人も生まれる。人の上に人をつくる仕組みは絶対に駄目で、天皇制とエタヒニンは一つのコインの裏表の関係で、基本となる仕組みが同一なのである \(^o^)/




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