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浜辺美波「私は全てを失いました」

まあ「水没」は、水洗トイレに落としたんだろうな、と推測する。「私はすべてを失いました」とあるから、何事かと思って記事を読んだが、スマホが使えなくなったという話で、しかし、スマホ依存社会では実際に、スマホの故障や破損は「すべてを失う」に等しいことになる。そのスマホに「ソニータイマー(ふ、古いww)」みたいなのが仕込んであったら、数年ごとに買い替えさせられるわけである。社会との繋がりはすべてスマホ頼りなのだから、スマホ依存社会は怖い。念のためだが、私はこの女優のファンでも何でもない。名前を知っているだけだ。この種の記事タイトルに釣られて記事を読む私自身の馬鹿さの紹介である。

(以下引用)

浜辺美波 アクシデントで「私は全てを失いました」と報告


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スポニチアネックス

浜辺美波



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問題事は自分で解決www

社会の迷惑行為をひとりで解決したのだから、無罪どころか表彰していいんじゃないか? www
「筒状」の木の棒というのがよく分からない。打撃力を軽減させる意図なら、相手に気を使いながら殴ったのだろうか。

(以下引用)

毎日エンジンふかして走るバイク、「うるさくて我慢できず」18歳の頭を棒で殴る


 千葉県警成田署は23日、自称、成田市、会社員の男(42)を傷害容疑で現行犯逮捕した。


千葉県警察本部
千葉県警察本部

 発表によると、男は23日午後8時20分頃、家の近くの病院駐車場で、八街市在住の会社員男性(18)の頭や肘を筒状の木の棒で殴ってけがを負わせた疑い。男性は軽傷という。男は「毎日バイクのエンジンをふかして走り回るので、うるさくて我慢できなくなった」と供述しているという。

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権力と暴力

「紙屋研究所」から転載。権力と暴力は容易に相互転化する。力を持つ存在はたいていモラルを忘れるか無視する。

(以下引用)

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』


 中学3年の終わり頃、高校の下見に遠くの街に電車で出かけた。遠くの高校に行くかもしれなかったのはぼくともう一人の生徒だったので2人で出かけた。親友というわけではないが、生徒会の役員を一緒にやる程度には友達だった。


 その街はぼくの中学のあった田舎とは格段の差のある「都会」で、景色に圧倒されながらその街を歩いていた。


 その時、前の方から自転車に乗った若者、おそらくぼくと同じ年頃の一団が奇声を発しながらやってきた。10人くらいの集団だっただろうか。彼らは自転車に乗ったまま、ぼくらとすれ違いざまにぼくの腹をわざわざ蹴って通り過ぎていった。


「何すんだこのやろう!」


と大声をあげたのはぼくであった。


 その罵声を聞きつけ、彼らは自転車を止めた。


 そして、降りてこっち向かって走ってきたのである。


 ぼくは青くなって逃げ出した。


 ところが、もう一人は駈け出さなかった。自分が発言したのではないと考えたのだろう。


 しかしその一団にそんな「道理」は通用しない。たちまち友人は取り囲まれ、殴られ、蹴られ始めた。


 ぼくは見捨てて逃げるわけにもいかず、戻るしかなかった。今考えれば110番通報したり大人に助けを呼んでから戻ればよかったのだと思うのだが、そんなことを考える余裕はなかった。


 戻るや否や、ぼくもボコボコにされた。


 「金を出せ」と言われた。


 「ありません。勘弁してください」と弱々しくぼくは哀願した。結局財布を巻き上げるまではしなかったが、ふんという感じで彼らは立ち去った。鼻血が出たので、派手な絵面となった。ただ、「全治●ヶ月」というようなことはなかった。


 どうやって帰ったのかもあまり覚えていないが、その友達とはあまり話さなくなってしまった。二度と思い出したくない、つらい記憶となったのだ。


 ぼくは優等生意識の裏返しもあったのだろうが、「不良ども」を心の底から軽蔑していた。「そんな奴ら」から暴力を受け、屈服させられ、哀れがましく許しを請うたことで、プライドがズタズタになった。はじめにイキがっただけに、その落差を思うと、その時は震えるほどに悔しかった。早く忘れよう、なんでもなかったんだ、という思いが交錯した。


 直接的な暴力はなおさらだろうが、人を理不尽な力によって屈服させること、それによってどう尊厳がが踏みにじられるのかということを、そんな経験からも少しばかりわかるような気がする。もちろんレイプ被害はその何倍・何十倍も苦しいものなのだろうが。


 繰り返すが、直接的な暴力に限らない。


 圧倒的な力の非対称性を背景に、押さえつけられるということの屈辱感を想像するとき、体が熱くなる。


 


 リモート読書会で読んだ大江健三郎『芽むしり仔撃ち』で最も印象的な箇所はラストの第十章「審判と追放」である。


 

 戦争中、感化院の少年たちが疎開ということで送られた村で、感染症が流行り、少年たちは感染した動物の死体の処理の仕事をさせられた挙句、村人たちが計画的に避難する中で村に強制的に隔離される。やがて村人たちが戻ってきて、村長は、少年たちをなじり始め、一緒にいた脱走兵の行方などを糾問する。


「この汚ならしい感化院のがきども」と村長が突然怒りくるって叫んだ。「お前らは何一つ正直に白状しない。俺たちを甘く見るつもりか。俺たちは、お前らの痩せた首を一締めでつぶしてしまうことができるんだぞ、叩き殺すこともできるんだぞ」


大江健三郎『芽むしり仔撃ち』新潮文庫、p.170 Kindle 版)


 しかししばらくして戻ってくると村長は恩着せがましく、お前らを許してやると述べた。感化院の教官が戻ってくるので、少年たちを置いてけぼりにして閉じ込めたことを他人に言うなと少年たちを脅すのである。


 主人公の「僕」は、許してやると言われた一瞬は心を開きかけたが、急に態度を硬化させた。


 僕の心の中で開きかかっていた蓋が急速に固く閉じた。そしてそれは僕の躰のまわりへ伝染し、僕の仲間たちみんなが村長への硬く対抗する態度、しっかりした姿勢を取戻した。僕らはうまくはめこまれようとしていたのだ。そして《はめこまれる》ことほど屈辱的でのろくさでみっともないことはないのだ。…


 「おい、いいな。そういえよ」と僕らの無反応にその装われた冷静さをかきみだされた村長が僕らを見まわしていった時、僕ら仲間たちはすっかり態勢を挽回し、内部の同志としての固い結束をとり戻し、村長に対して挑戦的に胸をはり眼をきらきらさせていた。(大江p.173)


 しかし結束は長く続かなかった。村人が圧倒的な暴力を見せつけた後、従う者は握り飯を食わせてやると言い出した。次々に崩れ、最後に抵抗の意思を示し続けるのは「僕」一人になる。鼻先に熱い汁と握り飯を出すが、「僕」はそれをはたき落とす。


「ふざけるな」と村長は喚いた。「おい、ふざけるな。おいお前は自分を何だと思ってる。お前のような奴はほんとの人間じゃない。悪い遺伝をひろげるだけしかない出来ぞこないだ。育ってもどんな役にもたたない」


 村長は僕の胸ぐらをつかみ、僕を殆ど窒息させ、自分自身も怒りに息をはずませていた。


「いいか、お前のような奴は、子供の時分に締めころしたほうがいいんだ。出来ぞこないは小さいときにひねりつぶす。俺たちは百姓だ、悪い芽は始めにむしりとってしまう」(大江pp.178-179)


 


「いいか、おい?俺たちはな」と村長は喚いた。「お前を崖から追い落すこともできるんだぞ、お前を殺して誰一人それをとがめる奴はいないぞ」


 彼は短く白髪を刈りこんだ頭を振り、怒りにみちた声で叫んだ。


「お前たち、俺がこいつを殺してそれを巡査にうったえるものがいるか?」


 首をしめつけられてのけぞった僕のまえで僕の仲間たちはおびえて黙りこみ僕を裏切った。


「分ったか、おい、これでわかったか」


 僕は眼をつむり、苦い涙を睫にからませてうなずいた。僕には自分が最後の土壇場でまで見すてられたことがわかりすぎるほどわかっていた。僕の胸ぐらをしめつけていた腕がゆるみ、僕は深い息と小さい咳をして躰をたてなおした。(大江p.179 )


 そして「僕」は追放という審判を受け、追放される。しかし、実際には追放ですらなく、いつまでも抵抗し続けていた「僕」を、村人たちは他の少年の見えないところで殺してしまおうとしていたのである。すんでのところで「僕」はそれを免れるが、一瞬免れただけで、逃げられたのかどうかすらわからないまま結末が閉じられる。


 逆らった者を、徹底的に力で封じ込め、ジャッジし、追放し、抹殺する。


 抵抗に立ち上がった人々が崩れる無様で情けのない瞬間、どうやっても逃げきれない力の網の中で抵抗を続ける無力感、悔しさが活写されている。


 


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愛人が正妻を射殺し、殺人を自供したことで「無罪」となって正妻の座を獲得www

(被害者を除く)裁判所も弁護士も犯人の女も精神的共犯者の男も「全員キチガイ」事件。「銃で顔面を打ち抜き射殺し、マーリンさんは二日後に亡くなった」という日本語も変。「顔面を打ち抜き射殺し」は、即死だとしか思えない記述だのに、それが「二日後に死亡」なのか。「打ち抜き」も「撃ち抜き」が適切だろうが、「二日後に亡くなった」なら、「顔面を撃ち抜き、マーリンさんは二日後に亡くなった」と書くべきだろう。
いずれにしても、今のアメリカがキチガイ社会であることを示す事件である。

(以下引用)なぜか記事後半がコピーできないので、興味があれば、元記事を探すべし。「女性自身」電子版だと思う。

33年前の「殺人ピエロ事件」がついに解決 被害者の夫の後妻が自供

女性自身 の意見 • 木曜日





ピエロが被害者に手渡したカーネーションと風船の写真。シーラ逮捕時に警察が公開した。(写真:ZUMA Press/アフロ)© 女性自身

約33年前に米フロリダ州で起きた“殺人ピエロ事件“の捜査がついに終結したと、ABC NEWSなどが続々と報じている。


’90年5月、ピエロの扮装をした人物がマーリーン・ウォレンさん(当時40)の家を訪ね、カーネーションと風船を手渡した直後に、もう一方の手に持っていた拳銃でマーリーンさんの顔面を打ち抜き射殺し、マーリーンさんは2日後に亡くなった。








犯人が逮捕されないまま、事件から12年が経った’02年、マーリーンさんの夫マイケル・ウォレンさんはシーラ・キーン(59)と再婚。このシーラこそがマーリーンさんを撃ち殺した真犯人だったという。


ABC NEWSによると、マイケルさんとシーラは事件前から不倫関係にあったことがわかっており、再婚後は2人でレストランを経営していたという。’17年、ピエロが逃走に使った車にあった髪の毛のDNAがシーラのものと一致したため、彼女は逮捕された。第1級殺人罪で起訴され、州の司法当局は死刑判決を目指して裁判の準備をしていたが、今月25日にシーラはマーリーンさんの殺害を認めたという。


シーラの弁護人グレッグ・ローゼンフェルドは、AP通信の電話インタビューで「この善行(自供)によって、依頼人は来年にも釈放される可能性があります。今回の司法取引は彼女にとって信じられないほどの勝利です」と語った。裁判で有罪判決が下されれば少なくとも25年の刑を受ける可能性があったためだそうだ。


’00年に遺族が地元紙The Palm Beach Postに語ったところによると、マーリーンさんは事件当時、夫の浮気を疑い離婚を考えていたという。しかし、夫婦の財産の多くがマーリーンさんの名義だったため、シーラは彼女を殺して全てを手に入れようとしたと見られている。


夫のマイケルさんは妻の殺害に関与していたとはされていないが、’94年に重窃盗、恐喝、走行距離計の改ざんなどで有罪になっている。










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電子社会は「板子一枚下は地獄」の社会

電子データは、何かのミスや誤作動や電子犯罪で一瞬で消えるという悪夢が付き物である。これは、データを残したくない悪党には有利なので、どんどん電子データ化社会が進んでいく。
なお、これは電気完全依存社会の一面だが、実はスマホ完全依存社会にも同じ危険性がある。つまり、所持するスマホを紛失、あるいは破壊されたら社会から隔絶するという危険性だ。現金廃止になり、スマホ利用の電子マネーだけになった社会は恐怖社会そのものである。常に「電子処刑」が足元にある。それは餓死に直結するのである。

(以下引用)

新潟県の公文書データ10万件が消失 保守業者がテストなしで新機能追加し不具合に

2023年04月24日 12時10分 公開
[ITmedia]

 新潟県は4月21日、サーバに保存していた公文書データ10万件が消失したと発表した。外部からの攻撃によるものではなく、システム保守業者の人為ミスが原因としている。

photo新潟県庁舎

 県は富士電機ITソリューション(東京都千代田区)が開発・保守を担う公文書管理システムを使用している。消失したのは同システムにおいて3月24日午後9時から31日午後11時59分までに登録した文書の添付ファイル10万3389件。「県民や関係事業者に直ちに大きな影響があるものではない」としている。

 4月10日に、県の職員が添付ファイルを開けない状況になっていることに気付き、富士電機ITソリューションに調査を依頼した。ファイルが消失したのは9日夜ごろで、判明した段階でバックアップ期間(3日間)を過ぎていたためバックアップファイルが残っていないことが分かった。


 原因は、添付ファイルの拡張子を小文字に変更する新機能を、運用テストや社内審査などの必要な社内手続きを経ずに追加したことという。これにより、不要なファイルを削除するプログラムが約10万件のファイルを不要として削除した。開発担当者と運用担当者の間で情報共有もできておらず、県から連絡を受けた際に対応に遅れが出たという。

photo

 現在は、5月7日をめどにデータの復旧作業を行うとともに、復旧できなかった場合の影響を調査している。県は「保守業者の業務執行体制を精査し、必要な対応をとる」としている。


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ただ飯と「無料ワクチン」

「大摩邇」記事の一部だが、「俺は無料なかぎり(ワクチンを)打つよ」というセリフが面白い。ただ飯を食うのと同じといえば同じだが、ワクチン死を身近に見ていながら、こういう思考になる人間も存在するわけである。「ワクチンは有難いものである。リスクがあっても、打つべきだ」という、一種の信仰だろうか。新興宗教に入信するのはこういう人々だろう。
ちなみに、「神戸だいすき」女史も、信仰に関しては似たようなものだと私は思っている。「自分が信じているものは正しい。それ以外はすべて疑う」という心性の「特殊懐疑主義者(陰謀論者)」で、私は彼女の記事の半分くらいしか評価していない。私のように「おのれ自身ほど信じられないものがあるかー!!」(by横島忠男)くらいでないと、真の懐疑主義者ではないwww
なお、近代懐疑主義の魁であるデカルトを私は大好きだが、彼の「我思う。ゆえに我あり」については、ある皮肉な作家が言ったように、これは「我思うと我思う。ゆえに我ありと我思う」が正確だ、という意見に賛成である。

(以下引用)


 


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「抗癌剤」への疑念

癌というのは、治療で治るのと治療で悪化するのと同じくらいある、いや、後者のほうが多いというのが私の印象で、せいぜいが、初期の癌(癌部位)を切除するのが或る程度有効かな、というくらいだ。まあ、私の印象だが、それは、若いころに職場の同僚が、癌治療を始めてほんの少しの間で見るも無残に衰え、死亡したのを目撃した経験からである。私は、あれは治療で死んだと確信している。抗癌剤が一番危険で、その次が放射線治療だというのが私の考えだ。癌というのは体が作り出すもので、その癌部位だけを消滅させる薬などが存在するとは思えないわけだ。必ず、体全体を癌以上に蝕むことになる、としか思えない。今でも、下の記事のように抗癌剤の研究が進められていること自体、「有益な抗癌剤は存在せず、抗癌剤は癌治療にとって有害無益である」証明だと思う。
ちなみに、他の職場で、「自分は癌だ」と言いながら普通に働いている人間を見たことも二、三度ある。癌は苦痛自体は少ない印象である。まあ、老化の一種で、極論だが、顔のシミや痣の同類と見てもいい気がする。顔のシミや痣を薬や放射線で退治するか? もちろん、若年性の癌は話が別だが、それも治療が有効なのかどうか怪しいものだ。

(追記)「大摩邇」で見つけたばかりの記事で、タイトルだけ載せておく。私はこの「walk in the spirit」というブログ名が嫌いで、記事を読んだのは初めてである。

現代のガン治療とは殺傷行為以外の何物でもない

Walk in the Spiritさんのサイトより
https://plaza.rakuten.co.jp/555yj/diary/202304280001/


(以下引用)
読売新聞

肺がん臨床試験で11人死亡、中止を決定…「オプジーボ」など2種類の免疫治療薬を併用

読売新聞 によるストーリー • 昨日 23:34










国立がん研究センター中央病院
国立がん研究センター中央病院© 読売新聞

 国立がん研究センターなどは28日、肺がん患者に、免疫治療薬「オプジーボ」と「ヤーボイ」を併用する臨床試験で、治療との関係が否定できない死亡が11人(7・4%)と想定を超えたため、試験を中止したと発表した。この2剤を使った治療は2020年から保険診療で受けられる。「治療を続けるかは、主治医とよく相談してほしい」と呼びかけている。


 今回の試験は21年にスタート。全国59医療機関が共同で進めていた。進行・再発の非小細胞肺がん患者を対象に、この2剤と抗がん剤を使う併用療法と別の免疫治療薬の治療効果を比較する目的だった。


 試験は3月末に中止したが、それまでに計295人が参加した。この2剤の併用療法を受けたのは148人で、そのうち11人(7・4%)が、治療開始から8~391日後に死亡した。死因は、薬剤性の肺炎や、免疫が過剰になる「サイトカイン放出症候群」などで、治療関連死と判断され、中止の目安としていた死亡率5%を超えた。白血球の数が多い患者が目立ったという。

 中止した理由について、今回の試験の代表を務める岡本勇・九州大教授は、「国内で行われる臨床試験での治療関連死の発生率は大体1~2%。今回の死亡率は非常に高い」としている。臨床試験の参加者には、単独使用ができないヤーボイを中止し、オプジーボを継続するよう勧めている。


 また、この併用療法は、悪性黒色腫や腎がん、食道がんなどでも保険診療で使われているが、今回のような高い治療関連の死亡率は確認されていないという。


 すでに使用中の肺がん患者に対しては「この治療で効果が出ている患者もいる」として、治療の継続について、主治医に相談するよう求めている。


 NPO法人「肺がん患者の会ワンステップ」の長谷川一男理事長は「この併用療法は、医療現場で広く使われており、肺がん患者にとって衝撃は大きい。医療者は、患者に丁寧に説明してほしい」と話している。


 虎の門病院臨床腫瘍科の三浦裕司部長の話「薬の副作用は避けることができない。過度に不安になる必要はないが、今後、11人が亡くなった経緯を分析してリスクのある患者を特定し、将来に生かさなければならない」




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読売新聞

肺がん臨床試験で11人死亡、中止を決定…「オプジーボ」など2種類の免疫治療薬を併用

読売新聞 によるストーリー • 昨日 23:34










国立がん研究センター中央病院
国立がん研究センター中央病院© 読売新聞

 国立がん研究センターなどは28日、肺がん患者に、免疫治療薬「オプジーボ」と「ヤーボイ」を併用する臨床試験で、治療との関係が否定できない死亡が11人(7・4%)と想定を超えたため、試験を中止したと発表した。この2剤を使った治療は2020年から保険診療で受けられる。「治療を続けるかは、主治医とよく相談してほしい」と呼びかけている。


 今回の試験は21年にスタート。全国59医療機関が共同で進めていた。進行・再発の非小細胞肺がん患者を対象に、この2剤と抗がん剤を使う併用療法と別の免疫治療薬の治療効果を比較する目的だった。


 試験は3月末に中止したが、それまでに計295人が参加した。この2剤の併用療法を受けたのは148人で、そのうち11人(7・4%)が、治療開始から8~391日後に死亡した。死因は、薬剤性の肺炎や、免疫が過剰になる「サイトカイン放出症候群」などで、治療関連死と判断され、中止の目安としていた死亡率5%を超えた。白血球の数が多い患者が目立ったという。

 中止した理由について、今回の試験の代表を務める岡本勇・九州大教授は、「国内で行われる臨床試験での治療関連死の発生率は大体1~2%。今回の死亡率は非常に高い」としている。臨床試験の参加者には、単独使用ができないヤーボイを中止し、オプジーボを継続するよう勧めている。


 また、この併用療法は、悪性黒色腫や腎がん、食道がんなどでも保険診療で使われているが、今回のような高い治療関連の死亡率は確認されていないという。


 すでに使用中の肺がん患者に対しては「この治療で効果が出ている患者もいる」として、治療の継続について、主治医に相談するよう求めている。


 NPO法人「肺がん患者の会ワンステップ」の長谷川一男理事長は「この併用療法は、医療現場で広く使われており、肺がん患者にとって衝撃は大きい。医療者は、患者に丁寧に説明してほしい」と話している。


 虎の門病院臨床腫瘍科の三浦裕司部長の話「薬の副作用は避けることができない。過度に不安になる必要はないが、今後、11人が亡くなった経緯を分析してリスクのある患者を特定し、将来に生かさなければならない」




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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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