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みつかんない、みつかんない

いや、「味ぽん」はぽん酢ではない、というコメントに驚いたが、何が違うのか。ぽん酢とは味を付けた酢にすぎないのなら味ぽんだろうが他のぽん酢だろうが同じだろう。
それはともかく、老舗が家業以外のことに手を出すとダメだ、というのでこの前東芝の話をしたが、ミツカンの「蕎麦つゆ」もかなりひどい。そういう部分で、企業の信頼性は決まるのである。どうせ、蕎麦ツユなど、醤油に出汁とみりんか砂糖を入れればいいとでも安易に考えたのだろう。元祖グルメ漫画(アニメ)でネットでは笑いものにされることが多い「美味しんぼ」だが、蕎麦つゆの話の回は、まともだと思う。要するに、まともな舌があれば、いいつゆとダメなつゆは明白に区別できる。
酢にしても、ミツカンに限らず本土企業の酢は味がとげとげしい。沖縄の普通の店の低価格のいなり寿司や巻きずしのほうが、本土の寿司より美味い。まあ、案外作る際には本土の酢を使っていたりするかもしれないがwww

(以下引用)

食品大手ミツカン創業家の闇が深すぎてドン引きする人が続出、一般市民には想像もできない世界だ

1:名無しさん


食品大手ミツカンの創業家が、複数の訴訟で被告になっている。創業家次女と結婚していた元娘婿の中埜大輔氏が、長男の出生後に離婚を強要され子供と引き離されたとして、創業家を訴えている。原告は一審などで続けて敗訴しているが、裁判では創業家の「男児を世継ぎにしたい」という異様な執着が明らかになった――。

ミツカンに対し1億円の賠償を求めていた

東京地裁709号法廷はその日、傍聴希望者で満席となっていた。8月10日13時30分すぎ。予定より15分ほど遅れて、海外でも注目されていた訴訟の判決言い渡しはわずか数分だった。「原告の請求はすべて棄却する」。傍聴席からはどよめきが流れた。

勝訴した被告は、「味ぽん」などで知られる老舗食品メーカーの「ミツカン」(ホールディングスなど2社)。原告は、ミツカン創業家の娘婿として迎えられ、役員ポストまで約束されていながら、長男が誕生するや妻子と引き離され、その後、妻とは離婚、ミツカンからは解雇された中埜なかの大輔氏(42)だ。

この日の判決は、大輔氏が「違法で不当な配転命令だ」と主張して1億円の損害賠償を求めた訴訟だった。

判決文を精査した大輔氏および代理人弁護団は「あまりにも杜撰な審理、お粗末な事実認定」として、東京高裁に控訴している。

全文はこちら
https://president.jp/articles/-/76192?page=1


 



3:名無しさん


ミツカンのせいで「味ぽん」をポン酢だと勘違いしてる日本人多数
罪は重い


 


18:名無しさん

>>3
勘違いしたままでも特に困らないだろ
大勢に影響はないレベル


60:名無しさん


これ、単に女婿が、次代経営者とか嫡子になったと勘違いして同族企業の経営や家風にに嘴ツッコミまくって叩き出されただけでねえか?
婿取りした同族企業で良くある話だよ


 


69:名無しさん


予想を超えた無能のヒモだったってことだろ?


 


72:名無しさん


どんな時代だよww


 


80:名無しさん


まぁミツカン創業家はこの家に住む一族なので世間とはだいぶ違う

https://i.imgur.com/97F38dG.png
https://i.imgur.com/6eD4iXM.jpg
https://i.imgur.com/JnwIet3.png


 


107:名無しさん

>>80
すげー
想像の数倍凄かった


142:名無しさん

>>80
これは現代の封建領主だな


157:名無しさん

>>80
漫画やドラマで見るやつ


84:名無しさん


某大手企業のオーナーの娘婿になってすぐに就職していた企業を退職した大学の同級生がいた

話ではオーナーが教授に相談して白羽の矢が立ったと言っていたが今でも元気に社長やっている


 


156:名無しさん


ミツカン側が一切何も言わない点が気になるな


 


196:名無しさん

>>156
何も言わない方が良いだろ


166:名無しさん


従業員かわいそうに
会社のためにどんだけ頑張ってもトップがこんなんだったら報われないわ


 


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「日本の未来」についての漱石の慧眼

夏目漱石「三四郎」より抜粋。「髭男」は三四郎の先輩の野々宮の高等学校時代の教師の「広田」であることが後に分かる。
「三四郎」は、青春の朦朧感(五里霧中という感じ。ある意味、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」にも通じる。)というのが一番見事に描かれた小説だと思う。一読目より二読め、三読めと、読むほどに(たとえば野々宮の我儘無邪気な妹や理系人間の野々宮自身など)キャラの可愛さや細部の意味を理解できるようになり、面白く感じるようだ。

(以下引用)

すると例の髭男は、
「お互は憐れだなあ」と云い出した。「こんな顔をしてこんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。」(中略)

然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と(三四郎は)弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
亡びるね」と云った。

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東海アマ氏の「結婚(一夫一婦制)否定論」

「東海アマブログ」から記事の一部を転載。アマ氏はフリーセックス主義者で、一夫一婦制に反対のようだ。その信念が民俗学などで得た知識に裏付けられているらしい。
まあ、私もアマ氏同様一知半解、かつ知見の狭い人間なので他人のことは言えないが、私は「一夫一婦制は楽で便利である」という思想なので、あまり賛同はしない。
もっとも、精神的には独身が一番楽だろうが、家族がいるというのは苦労もあるが精神的充実もあるはずだ。勉強はしたくないが、志望大学には入りたい、という思考に近いものを、アマ氏の論説(フリーセックス礼賛論)には感じる。セックスは、そんなに自由にしていいものか? 社会のかなりな割合がサイコパス、あるいは劣等人格であるのに。つまり、結婚というのは「この人なら大丈夫」という判断が前提なのであり、その失敗は拙速な判断(ただし、封建社会では、結婚は家と家の結合であり、当人の意思ではない。)の結果にすぎない。
で、フリーセックス制の社会では家族というのが果たしてアマ氏の言うような天国になるのかどうか非常に疑問なわけだ。そもそも「家庭」というのが無意味化するのではないか。つまり、全員が他人の社会なわけで、まあ、孤立無援の生き方をしてきたアマ氏が、そうした生き方を礼賛するのは自画自賛に近い、自己慰撫の言説だろう。私はアマ氏の生き方を尊敬もするが、それを他人にまで押し付ける言説はいかがなものか、と思う。

結婚(一夫一婦制)否定論は、家庭の働き手(社会的な稼ぎ手)と家庭内作業が分担されていた時代から、ひとりでその両方をやる時代になった社会状況を肯定するものだが、果たしてそれは幸福な状況なのか。
コンビニと電化製品があれば妻(家庭維持任務者)はいらない、というのが今の時代なわけで、(これは独身主義者の多くの妄想で、妻の仕事は料理や掃除や洗濯だけではない。特に育児は男にはまず無理である。納税や公共料金の支払い管理だって面倒くさい仕事だ。)全員が独身主義になれば、性欲の処理は水商売、売春に頼ることになる。つまり、ある意味ではアマ氏の言うフリーセックス社会はかなり現実化しているわけだが、それは幸福な社会か、と私は問うているわけだ。はたして、独身女性が相手の分からない子供を産んだ時、それを「村全体で育てる」か? 馬鹿なことを言うんじゃない、と言いたくなるような妄想、妄言だ。



(以下引用)かなり、嘘、あるいは誤解、あるいは妄想が入っていると思う。

 さらに、時代が進むと、国家権力が統治の都合上、一夫一婦制を強要し、戸籍を作って民衆を管理し、税や兵士を徴用するようになる。
 ここで、国家は民衆の自由なセックスを否定し、一夫一婦制家族社会の成立が求められる。つまり、徴税と徴兵の必用が、母系氏族社会を破壊してゆくのである。

 だが、弥生文化の浸透した地方では、1960年代に至るまで、妻問婚→夜這いの風習が残った。
 娘が初潮を迎えると近所に赤飯が配られ、娘は離れに寝るようになる。この離れには小さなにじり戸があって、やがて茶室として利用されるようになった。

 赤飯を見た近所の青年は、真夜中に娘に忍び寄ってセックスを求める。妊娠すると、娘は、夜這いに来た青年たちのなかから自由に婿を指名する権利があった。
 青年は娘の指名を断る権利がなかった。もし拒否すれば、「村八分」の制裁を受け、集落から出て行かねばならなかった。
 集落全体が一つの家族だったからだ。

 夜這い文化圏では、性の観念が実におおらかであったことは、宮本常一が「忘れられた日本人」などの著書でたくさん報告している。
 夜這いを経験した人たちは、中高年になっても、昔の「無礼講」を覚えていて、割合、自由に不倫をしてしまう。
 だから西日本では、性的な暴走に寛容な地域が多い。女性のお尻や乳を触ったりの性行為など、普通のつきあいの範疇なのだ。

 私は、宮本の著作を夢中になって読みふけった時期があるのだが、現在、原本を示すことができず残念だ。ネット上から著作が消えてしまっている。
 https://booklog.jp/author/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E5%B8%B8%E4%B8%80

 それでは、冒頭に紹介した「次男が自分の子ではない」と騒いでいる主役は、なぜ妻を離縁したり、慰謝料を請求したりと怒っているのかというと、「夫婦は貞操を守って父親の子を遺す義務がある」という地縁よりも血縁を重視する東日本社会の価値観を絶対視しているからである。

 この価値観は、奈良時代に遣唐使が日本に持ち帰り、家康が林羅山に命じて全国の武家階級に規範として強要した「儒教=朱子学」から来ているものだろう。
 儒教の本質は「序列主義」で男尊女卑だ。女性は「男の子を産む道具」にすぎないというのが孔子の考えだったが、この考えは実は旧約聖書から来ているものだ。

 母系氏族社会が地域に飽和してくると採集資源の縄張り争いが始まる。それが戦争に発展したとき、男子が大きな力を持つようになり、部族の権力が母から父に移ってゆくのである。
 権力を得た男は、女性を囲い込み「自分の子」を産ませるためにハーレムを成立させる。

 これが旧約聖書に描かれた男系氏族社会であり、イスラム教は、このハーレム時代を正当化するための宗教である。
 このとき、姦淫、姦通した女性は、投石で殺害されたり、激しく弾圧を受けるようになる。
 世界中の男系氏族社会で、女性の姦淫不貞が犯罪とされる倫理が成立することになる。

 ここで、男尊女卑やイスラム圏のような一夫多妻制が成立するのだが、女性の地位が貶められた原因は、戦争における立場にあることを意味している。
 戦争が増えれば「女は弱いもの、見下すもの」という観念が生まれてしまい、それが男女差別を拘束するのだ。

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はたして日本は「和によって滅ぶ」か

フラッシュメモリーに残っていた昔の記事で、記事元のブログ(「一知半解なれど」云々)は現在あるかどうか分からない。記事そのものは山本七平の「帝王学」という、イヤなタイトルの本からの抜き書きのようだ。
私は山本七平(ユダヤシンパ)には胡散臭いものを感じているし、対談相手の塩野七生も傲慢な権力主義の匂いがあって嫌いだが、ここで言われている内容自体は完全に正しいと思う。ただ、それを「和によって滅ぶ」という言い方をしたのは、まあ、俗耳を意識した戦略だろうが、私自身は「和を以て尊しとなす」が日本人の最大の美徳だと思うので、あまり好きではない。ただ、ある集団の最大の長所が、その集団の滅亡の原因となる、というのは事実だろうとは思う。

(以下引用)


人の意見は、一致しないのが普通である。
そこでその是非を互いに論じ合うのは、本来、公事のためのはずである。

ところがある者は自分の足らない所を隠し、その誤りを聞くのを嫌い、自分の意見に対してその是非を論ずる者があれば自分を恨んでいると思う。

これに対してある者は恨まれて私的な不和を生ずることを避け、また『相惜顔面』すなわち互いに相手の面子を潰しては気の毒だと思って、明らかに非であると知っても正さず、そのまま実施に移す者がいる

一役人の小さな感情を害することをいやがって、たちまち万民の弊害を招く
これこそ、まさに亡国の政治である」と。

貞観政要』の中にはさまざまの学ぶべき点があるが、何やら日本の欠点を指摘されているような気持になるのがこの部分である。

前に塩野七生氏と「コンスタンチノープルの陥落」について対談したとき、その国を興隆に導いた要因が裏目に出ると、それがそのままその国を亡ぼす要因となる、と私か言うと、氏は即座に賛成され、間髪入れず、日本の場合はそれが「和」であろうと指摘された。

確かにわれわれは論争を嫌い、相手の感情や面子を尊重して、「マア、マア」で全体の和を保とうとする
そして、これが実に能率的だということは「論争が国技である」イスラエルに行くとつくづく感じて、「国の破産状態をよそに、論争ばかりしているから、何一つてきぱきと解決できないのだ」という気がする。

彼らもそれに気づいているらしく、もちろん冗談だが「日本の大蔵省と通産省をそっくり輸入し、和を第一としたら……」などと言う。
確かにそう言える面があるが、塩野氏の指摘通り、「和」には恐ろしい一面がある

太宗はつづける。

隋の時代の内外の役人たちは、態度をはっきりさせず、どっちつかずの状態にいたために、亡国の大乱を招いてしまった。

多くの人は、この問題の重大さに深く思いを致すことはなかった。
そうしていれば、どんな禍いが来ても自分の身には及ばないと思い、表面的には『はい、はい』と従って陰で悪口を言い合いながら、それを憂慮すべきこととは思わなかった。

後に大乱が一気に起こり、家も国も滅びる時になって、わずかに逃げのびることが出来た者も、また刑罰・殺戮にあわなかった者も、みな艱難辛苦の末やっと逃れたのであり、その上、当時の人からひどく非難・排斥される結果になったのである。

そこで諸官は私心・私的感情を除き去って公のためにつくし、堅く正道を守り、腹蔵なく善いと思う意見を述べ、絶対に、『上下雷同』すなわち上と下が付和雷同するようなことがあってはならない」と。

「和」によって亡ぶ

前に記した「玄武門の変wiki参照)」のときの太宗と部下との関係を見ると、みな実にずけずけと意見を述べている。
危機のときはそうなっても、安楽な平和がつづくとついつい、「なるべく衝突は避けよう、どちらにしろ大した問題じゃない」という気になってしまう。

危機の特は、だれでも、判断を誤れば直接身に危険が及ぶという気になるから、必死になって意見をいう。
だが平和なときは、不知不識のうちに「これでオレの命が危なくなるわけでもないし……」が前提になっている。

だが、部下が激論してはじめて問題の焦点が明らかになるわけで、そのような「和」ですべてが表面的には丸くおさまっていれば、太宗にも何もわからなくなる

隋はそのようにして一歩一歩と破滅へ進んでいった。
そして最終的には、小さな摩擦を避けて、これが安全と思っている者が、ひどい目にあった

これへの太宗の批評を見ると、私は日本の軍部のことを思い出す。

軍部内の和を乱すまい――不思議なことに、国の存亡がかかわるという状態になっても、このことが優先している。
塩野氏の指摘された「和によって亡ぶ」は必ずしも未来のことでなく、過去にすでに経験ずみなのである。

軍部内にも、合理的な意見があったのは事実である。

たとえば多田駿参謀次長の「無条件撤兵論」などがそれで、中国から無条件で撤兵しても、相手は海軍がないから追撃はされず、日本の国益は何一つ損ずることがない。

目的の明らかでない作戦を四年も継続し、いつ終わるか見当もつかず、何のためにやっているのか政治的目的もはっきりしないといった状態は、自らこれを打ち切ろうと思えばできるのである。

それができない
軍の面子にかけての反対が出るにきまっているし、そうなれば激論になって「和」は保てない

東京裁判の東條被告の副弁護人であった松下正寿氏は、「それでは部下がおさまりません」が、日米開戦の理由であった旨、述べているが、これもまた「軍部内の和が保てません」で、まさに「上下雷同」なのである。

さらに、海軍は内心では開戦に反対なのだが、「陸海軍の和」と、マスコミと一部政治家が醸成した「上下雷同」に押され、絶対に「反対」とはいわず、「総理一任」という形で逃げている

いわばあらゆる面における「相惜顔面上下雷同に基づく和」を崩すまいとし、衝突がないからそれが一番安全と思い、それによって破滅する

その結果国民は苦しみ、責任者はみな、隋の遺臣を評した太宗の言葉通りの運命に陥っている。

危急存亡の時になってもこうだったということを頭におくと、日本は将来「和によって亡ぶ」という塩野氏の言葉は、一種の不気味さをもっている

これは企業でも同じで、坪内氏が再建に乗り出す前の佐世保重工を見ると、「経営者と組合の和」が絶対化され、これまた「上下雷同」で、厳しい言葉を口にする者はだれもいない

まさに「相惜顔面」だが、そうやっていても、自分の身に禍いが振りかかると思っていない
そして進駐軍が進駐して来てはじめて目が覚める

(後略~)

【引用元:帝王学「貞観政要」の読み方/「十思」「九徳」身につけるべき心得/P64~】

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情報元の確認は大事

東海アマ氏の今日の記事(中国憎悪の記事)のネタ元(二次引用の大元)である「Voice of Hope」とは、下のような組織である。ユダヤ批判の雄である東海アマ氏が、中国嫌悪の余り、ユダヤマスコミに釣られているwww

(以下引用)


  • イスラエルで唯一のキリスト教のラジオ局をサポートする...到達。。。シリア、ヨルダン、レバノン、イスラエル希望の声 - 1287午前


    支える

注目の動画



VOICE OF HOPE – MIDDLE EAST
1287 AM ガリラヤ、イスラエル


迫害されたクリスチャンを励まし、初めてムスリムに福音を伝えました。 中東5カ国(イスラエル、シリア、ヨルダン、レバノン、キプロス)にリーチ







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日本人と「職人気質」

「隠居爺の世迷言」記事で、前半は60年まえの紅白歌合戦出場者の紹介と歌手への感想なので省略。後半がかなり鋭い世界(日本人)認識なので、転載する。まあ、前半のほうが面白いという人もいるだろう。
日本人が「職人気質」で、嘘が苦手、というのはまさにその通りだと思う。嘘と暴力で世界を制覇してきた欧米(背後のユダ金)にとっては日本人は赤子同然だろう。
だが、日本人がその善良さを失えば日本人ではなくなるとも言えるので、痛しかゆしである。

(以下引用)赤字は夢人による強調。「デマ太郎」はもちろん、河野太郎。私が彼を嫌いなのは、その傲岸不遜さが主な理由だ。(写真を見ているだけでその性格が分かる。)それは知性の欠如から来ている。他者を威嚇する犬はアホな犬に決まっている。


 こうやって、60年も前の日本人を見ると、やっぱり今とは違った感じを受ける。どこが違うのだろうか。印象としては、"真面目でひたむき、純粋な人たち"というところかな。安心できる人たちで、とっても好感が持てる。

 敗戦から18年たっていたけれども、まだその影響が日本人全体に残っていたのかもしれない。傲慢さというか、尊大さというか、高慢というか、不遜というか、そのような雰囲気が出場者全員にほとんど感じられない。老人にも若者にも、デマ太郎のような生意気さが一切ない。

 自虐史観といわれるような、過度に自分を貶めるような認識を持つべきではないけれども、かといって、自国民を殺して平然としている現在の日本政府のような面の皮の厚さもどうかと思う。

 "真面目でひたむき、純粋な人たち"ということから連想するのは、職人かな。日本人はその多くが職人気質なのかもしれない。職人気質とは「自分の技能を信じて誇りとし、納得できるまで念入りに仕事をする実直な性質。」(デジタル大辞泉)とある。私なども、能力的に及ばないところは多々あるけれども、そういうのが大好きだ。

 今でも、日本そして日本人の長所、美点とされているところには、そのような職人気質が生きているように思う。しかし、そこにアメリカ文化が入り込んできて、日本文化と融合するならまだしも、侵し始めたことから日本は狂ってきた。

 アメリカには、真面目とか、良心とか、誠実とか、そういうものは一切ないからね。騙して殺すのが平気というか、得意というか、喜びというか、そんな連中が集まっている。そのようなすれっからしに、"真面目でひたむき、純粋な人たち"である日本人が交わったのが、明治維新以降の日本になる。はっきりいって勝負にならなかった。

 もちろん日本人も"うぶなネンネ"のままということではなく、それなりに狡さを身につけては来ている。しかし、米英は狡さにかけては本家本元、百戦錬磨の筋金入りだ。日本は歯が立たないままにコテンコテンにやられて続けて現在に至る。

 一番の悲劇は、政治家をはじめ日本人の多くが米英に騙され、操られ、身ぐるみはがされ、殺されるような酷い目に遭っているという認識のないことで、これ以上ないくらい米英の思う壺にははまっている。アメリカの手先になって日本を売り渡している政治家も少なくない。しかし、多くの日本人は気がつかないのだから当然対策も立たない。

 期待はロシア、中国、インド、イランなどの国になる。彼らは米英の手口の汚さをこれ以上ないくらいに知っている。気付いてしまえば、そうそう簡単に騙されるようなことはなくなる。勝負に勝てるかどうかは分からないけれども、米英の嘘に簡単に騙されるようなことはもうないだろう。

 そうやって考えると、今後は日本がいかにアメリカ離れをするかが最大の課題になる。だがしかし、上に書いたように、職人気質が多い日本人は嘘を見抜けない。これは職人の世界では嘘が通用せず、特に職人同士では嘘をついてもすぐ見破られてしまうためかな。口で何といおうと、腕(仕事ぶり)を見れば一目瞭然だからね。だから日本人は全体に嘘を嫌い、嘘をつかない習慣ができてきた。


 


そこまではいいのだけれど、みんなが嘘をつかないものだから、嘘に慣れておらず、騙されても気付かないということが起きるようになった。そんなところに、嘘や騙しが大得意なアメリカがやってきたのだから、もう為す術がなかったね。今に至ってもさほど改善されていない。

 私の場合にどのように嘘を見破っているかといえば、それは論理を使うことかな。嘘というのは必ずどこかで辻褄が合わなくなる。論理的な思考をする人はそこで気がつく。職人気質の日本人でも、論理に強い人なら心配ないのだけれど、職人には論理を嫌う人も多い。「理屈を言うな、体で覚えろ」などの感じかな。あるいは「理屈を覚えるのではなく、コツを覚えろ」というところかな。

 野球の解説者でも、野村監督や広岡監督のように論理の好きな人もいたけれど、「ここでエラーはいけません」「この場面、絶対に抑えたいですね」「ここはヒットが1本ほしいところです」などと、素人以下のことを言う人も多かった。野球がうまい下手とはまた別問題だった。残念なことに、日本人には野村監督や広岡監督のような人が他国に比べて少ない。

 まあ、難しいね。日本には1500年もの歴史があってその上でこうなのだから、100年や200年でどうにかなるということでもないのだろう。日本にふさわしい立ち位置は、準先進国、2流国というところなのかな。しかし、たとえ2流国であっても、アメリカにむざむざと騙されっぱなし、殺されっぱなしということは避けられるはずだ。やはり、まずは気がつくことだろうか。そして、気がつくだけなら何とかできるかもしれない。もっともアメリカは気付かせまいと必死になってプロパガンダを強めてきているから、やっぱり難しいのかな。

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鳩山由紀夫と西田昌司

私が鳩山由紀夫を好きなのは、彼の理数科的知性と同伴する理想主義的側面にある。あるいは思想や行動の基本にヒューマニズムがある点だ。他の政治家は政治闘争のゲスなテクニックでは彼より上だが、政治家になる最低限の資質、つまりヒューマニズムが無い。で、寝技・反則上等の相手に、ルールに従って戦う人間が勝てるわけがない。鳩山がマスコミやネットで馬鹿にされ続けているのは、マスコミやネット民の下種さと馬鹿さの証明である。
ちなみに、私は西田昌司もわりと好きである。彼の馬淵睦夫との対話動画は、動画嫌いの私としては珍しく見て、西田昌司の知能の高さに感心した。馬淵睦夫は、まあ、ネット民の上等な部類といった感じである。つまり、世界の真実、DS支配の世界を知って、世間を啓蒙し始めたわけだ。
西田を右翼呼ばわりするのは、リベラルマスコミという馬鹿(自分たちがユダ金という悪魔の手足だとの自覚も無い)だけだろう。

(以下引用)私は下の動画を未見なので、これはメモとしての保存だ。

鳩山由紀夫×西田昌司のセッションを今さら見たんだけど非常に面白いな

Ghost Riponの屋形(やかた)さんのサイトより
https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12830333585.html
<転載開始>



西田氏は、自民党を出た方がいいんでないの?(笑)

「まさかの対談が実現!十数年の時を経て再び向き合う…鳩山元総理大臣にあの時の胸中を聞いた。米軍基地移設発言の真意と政治信条の共通点」西田昌司×鳩山由紀夫 友愛対談 VOL.1

https://www.youtube.com/watch?v=gYidRcZTnH8
「官僚主導から政治主導へ…模索したが官僚が手を引いた。政権与党が抱える責任と方針とは」西田昌司×鳩山由紀夫 友愛対談 VOL.2

https://www.youtube.com/watch?v=rPGyGtDNkAY

「大きな求心力で政権を狙う野党を結党したが、その中身は意に反したものだった。欠けていたのは日本人の伝統的な道徳観」西田昌司×鳩山由紀夫 友愛対談 VOL.3

https://www.youtube.com/watch?v=wHBvIKn0JFs

【最終回】「歴史の誤りにこそ政治の本質がある。日本の国益のために与野党の対立を超えた政策議論を」西田昌司×鳩山由紀夫 友愛対談 VOL.4

https://www.youtube.com/watch?v=PDb4Bxy-gjE




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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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