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「北寿老仙を悼む」与謝蕪村

とある俳句ブログから転載。
「岡のべ」は「岡の辺」、「へげのけぶり」は「変化の煙」で、火葬の煙のこと。「はと」は現代語なら「ぱっと」に相当するオノマトペ。


(以下引用)表記ミスの一部を独断で訂正した。理解を容易にするため原詩の行分けも無視した部分がある。

「北寿老仙(ほくじゅろうせん)をいたむ」   与謝蕪村
 
君あしたに去ぬ 
ゆふべのこころ千々(ちぢ)に何ぞはるかなる

君をおもふて岡のべに行きつ遊ぶ 
岡のべ何ぞかくかなしき

蒲公英(たんぽぽ)の黄に なずなの白う咲きたる
見る人ぞなき

雉子(きぎす)のあるか ひたなきに鳴くを聞けば
 
友ありき河をへだてて住みにき

へげのけぶりのはと打ちちれば
西吹く風の
はげしくて
小竹原真菅原(おざさはらますげはら)
のがるべきかたぞなき

友ありき河をへだてて住みにき

けふはほろろともなかぬ
 
君あしたに去ぬ 
ゆうふべのこゝろ千々に 
何ぞはるかなる

我庵(わがいほ)のあみだ仏 ともし火もものせず 
花もまいらせず
すごすごと彳(たたず)める 今宵はことにたうとき
 
【現代語訳】

北寿老仙よ。
あなたはこの朝、帰らぬ人となってしまった。
その夕べ、私の心は乱れ乱れて、あなたを偲ぶ。
あなたは何と遠い所へ行ってしまったのか。
 
あなたを偲び、岡の辺を彷徨い歩く。
岡の辺はなぜかくも悲しいのか。
蒲公英が黄に、薺が白く咲いている。
でも、これを見るあなたはもういないのだ
雉(きじ)がいるのか、ひたなきに鳴いている。
きっとこう言っているのだ。
 
親しい友がいた。
河を隔てて住んでいた。
ある時、怪しい煙が立ち、たちまち西風が吹き、
小笹原も真菅原も吹き乱れ、逃れる所もなかった。
親しい友がいた。河を隔てて住んでいた。
だがもう、今日はほろとも鳴いていない。
 
あなたはこの朝、帰らぬ人となってしまった。
その夕べ、私の心は千々に乱れて、あなたを偲ぶ。
あなたは何と遠い所へ行ってしまったのか。
 
わが庵の阿弥陀仏に灯も燈さず、花も供えず、ひとり佇み、あなたを偲んでいる。
あなたを偲ぶ今宵はことに尊く思われてならないのです。
             
 
※原文には、現代では読みづらい個所があるので、表記や送り仮名に修正を入れた。
よって原文通りではない。「現代語訳」ではおおむね原文通りに訳したが、調べを整えたり、詩情を深める為、多少主観を入れて修正した。

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戸籍制度廃止を支持する面々

顔を見れば、理由は明白だろう。
彼らを重用していたテレビ界の正体も丸わかりである。

(以下引用)



s 75
1:それでも動く名無し 2025/05/10(土) 18:19:13.77 ID:qcTXPWTk0

辛坊治郎氏、戸籍制度廃止を強く訴え「無意味な制度」「ホリエモンは根本的に正しい」


https://news.yahoo.co.jp/articles/cc5bf4cd8a1316843dc6328de55f051b8bee428f

2:それでも動く名無し 2025/05/10(土) 18:19:43.32 ID:qcTXPWTk0

ホリエモン「戸籍なんか廃止でいいだろ笑 金の無駄」と持論 マイナンバー活用すればいいと

(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/025f7aa25e76cc06d9eba8cebac561156b86bd1e

3:それでも動く名無し 2025/05/10(土) 18:20:03.06 ID:qcTXPWTk0

古市憲寿氏、戸籍に「なんでただのデータベースに愛を持てるのか」ホリエモンも「戸籍なんか廃止でいい」

https://topics.smt.docomo.ne.jp/amp/article/dailysports/entertainment/20250509048

6:それでも動く名無し 2025/05/10(土) 18:20:21.54 ID:qcTXPWTk0

橋下徹"夫婦別姓の実現にはこれしかない" 「僕が戸籍廃止を訴える理由」 | PRESIDENT Online

(プレジデントオンライン)
https://president.jp/articles/-/24476?page=1&trk=public_post_comment-text

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肉体と精神のコントロールのこと

どのような食品でも塩分はけっこう入っているものだが、グラノーラは確かに塩分がほぼゼロに近い。私は以前に、それを知らずに、朝食を豆乳に浸したグラノーラだけにしたところ、数時間後にひどい低血圧症(上が100以下)になり、驚いたものである。つまり、歩こうにもほとんど歩けず、身体全体が異常な疲労感に襲われたのである。その時は降圧剤を飲んでいたかどうか覚えていないが、降圧剤でそのような症状になったことはなく、朝食以外に原因は考えられない。そして、昼飯を盛り蕎麦にし、その漬け汁(当然、塩分が多い)も全部飲み干すことで、やっとその症状を脱することができたのだった。
それ以来、私は高血圧より低血圧のほうが症状としては恐ろしいと心に銘記した。まあ、高血圧は「いつか」脳溢血になる「かもしれない」が、それまでは症状は無いに等しいのである。単に、少しは長生きしたいという、セコい生き汚さから降圧剤を飲んでいるだけだ。それに、脳溢血で上手く死ねるとも限らないし、そうなると生ける屍として延々と生きることになる。
できれば、「白鯨」のクィークエグではないが、「もうこのへんでいいか」と自分で判断して「意志によって」死にたいものだ。意志によって、とは外的手段無しに「意志だけで」死ぬということだ。
確か、森鴎外の最後の言葉は「コレデオシマイ」だったかと思うが、それは「意志だけで」死んだということだろう。それでないと、「オシマイ」かどうか自分で分かるはずがない。山岡鉄舟も、服を羽織袴に着替え、端座(正座)して死んだという。これも、同様である。

(追記)「コレデオシマイ」は森鴎外ではなく、勝海舟であるようだ。先ほど寝床で読んでいた山田風太郎の「風眼抄」に書いてあった。間違いを書いたその日のうちに、その間違いを訂正する文章に出会うのは珍しい。なお、山田風太郎も、この言葉を臨終の言葉のベストとしている。
またしても間違いを書きそうだが、森鴎外の臨終の言葉は「ふん、馬鹿馬鹿しい」だったような気がする。まあ、仮にそうだったとして、何を「馬鹿馬鹿しい」と言ったのか、謎である。死ぬことか、人生そのものをか。


(以下引用)

グラノーラ朝食を約1カ月摂取した結果を発表 カルビー・順天堂大が共同研究


配信

オーヴォ

共同研究の結果を発表したカルビーの記者会見



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県知事の仕事

下の引用文の「高齢者老害呼ばわり」は不愉快そのものであり、若者で馬鹿者という層は膨大だろう。若者=生産的かつ社会的に有為とも限らない。社会的にクズな若者も多いに決まっている。だが、ここに問題提起された「過疎県は娯楽に力を入れろ」という思想は正しいと思う。それは必ずしも若者を引き留める目的だけではなく、住人全体の利益としてだ。何より、その県の魅力を増せば、年齢層や性別に関わらず人口は増えるはずだ。それと、当然「住民の収入を増やす」工夫が必要である。たとえば、某パワハラ県知事(複数)が力を入れている企業誘致などであるが、それ以外にも方法はあるだろう。県の景観的美化などもそのひとつだ。そこに住むだけで楽しい、人生が充実する、という県にすればいいのである。

(以下引用)

地方から人口流出自治体のせい

若者を引き止めたかったら娯楽を用意しろ


住宅街イオンしかない、若い女もいない、そんな街で定年まで45年間過ごしたいと思うか?


老人向けに支出してるのは論外、ただ若者向け狙って子育て支援するだけなのも間違い。


若者を呼びたかったらまずは娯楽、次に仕事を用意しろ。その上で子育て支援があればバッチリだ。


何も努力をしないで若者都心集中を責める老害、おめえらは滅べ。

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中国が推進するのは戦争(絶望)ではなく未来の可能性

まあ、「科学記事」なので、こちらのブログに転載する。

(以下引用)

中国の「メルトダウン耐性」のトリウム原子炉はクリーンエネルギー革命を点火し得る Lance D Johnson

さてはてメモ帳さんのサイトより
https://glassbead.blog.shinobi.jp/energy%20crisis/china%E2%80%99s%20%E2%80%98meltdown-proof%E2%80%99%20t
<転載開始>

China’s ‘meltdown-proof’ thorium reactor could ignite clean energy revolution 05/08/2025 // Lance D Johnson


https://www.naturalnews.com/2025-05-08-chinas-meltdown-proof-thorium-reactor-could-ignite-clean-energy-revolution.html


  


クリーンエネルギーのための見事な飛躍の中で、中国は世界初のトリウム溶融塩炉の燃料供給に成功しました。ゴビ砂漠の広大な広がりに囲まれた2メガワットの実験原子炉は、原子力エネルギーの転換点を示し、より安全で効率的で、ほぼ無尽蔵の電源を提供しています。西側諸国は、メルトダウンリスクと有毒廃棄物に悩まされている時代遅れのウランリアクターに縛られたままですが、中国は前進しており、エネルギーの未来が長く忘れられていた元素:トリウムにあることを証明しています。


要点:

  • 中国はトリウムリアクター技術のブレークスルーを達成し、ゴビ砂漠の運用溶融塩炉の燃料供給に成功した。
  • トリウム原子炉は、廃棄物が少なく、メルトダウンできず、兵器グレードの副産物を排除し、より安全な核の代替品を提供している。
  • 米国は数十年前にトリウム研究を放棄し、中国は機密解除されたアメリカの研究を活用し、技術を前進させた。
  • 中国は2030年までに10メガワットトリウムリアクターを計画している。これは、グローバルなエネルギー危機が持続可能な電力ソリューションの需要を強めているからである。

トリウムの台頭:より安全な核の未来


何十年もの間、トリウムは原子力エネルギーの「大いなるグリーンの希望」として歓迎されてきました。ウランとは異なり、トリウム原子炉は溶けず、放射性廃棄物がはるかに少なくなり、武器グレードの副産物を残しません。彼らは既存のプルトニウム備蓄を消費し、致命的な遺産をクリーン電力に変えることさえできます。


中国のブレークスルーは、世界が地政学的な混乱と化石燃料の安定性の崩壊によって悪化したエネルギー危機に直面しているためです。 「私たちは最も困難な道を選びましたが、正しい道を選びました」と、プロジェクトのチーフサイエンティストXu Hongjieは言いました。 「ウサギは時々間違いを犯したり怠け者になったりします。それはカメがそのチャンスをつかむときです。」


米国は1960年代にトリウム研究を主導しましたが、ウランを支持して棚上げしました。これは、今では費用のかかる誤算のように見える決定です。ワシントンは、ANEEL(豊かな生活のための高度な原子力エネルギー)プロジェクトのようなパートナーシップを追いかけようと叫びますが、中国は2030年までに完了すべく10メガワットのトリウムリアクターセットをすでに建設中です。


 


トリウムの利点は否定できない:


豊富な供給:トリウムの最大のセールスポイントの1つは、その豊富さです。地球の地殻の2倍以上のウランの2倍以上です。つまり、私たちはすぐにそれを使い果たす可能性がはるかに低くなります。たとえば、インドのような国は、ウラン堆積物の4倍の埋蔵量のトリウムの上に座っており、エネルギー独立のためのゲームチェンジャーです。いくつかの地域に集中しているウラン(地政学的な緊張を高める)とは異なり、トリウムは広く分布しており、より民主的で持続可能な燃料源となっています。世界の埋蔵量が数世紀は必要を満たすと推定されているため、トリウムは、ウランに結びついた供給クランチの恐怖なしに、安定した長期の原子力エネルギーの未来の鍵となる可能性があります。


より低い毒性:核廃棄物に関しては、トリウムは明確な勝者です。従来のウラン反応器はプルトニウムを生成します。これは、何千年も放射性のままである危険な副産物です。しかし、トリウム反応器はプルトニウムを80%削減し、残りの廃棄物は半減期が劇的に短くなっています。ウラン廃棄物は7億年にわたって残存しますが、トリウムの副産物はわずか数百年で安全レベルまで減衰します。これは、より少ない長期的な貯蔵という頭痛の種、より少ない環境リスク、そして将来の世代の負担がはるかに少ないことを意味しています。それは原子力を活用するためのよりクリーンで責任ある方法です。


メルトダウン耐性:安全性は、トリウムが本当に輝くところです。融点が高く、動作温度が低いため、トリウム反応器は本質的に安定しています。壊滅的なメルトダウン(チェルノブイリまたは福島を考える)のリスクがある従来の原子炉とは異なり、トリウムシステムは安全に故障するように設計されています。事態がうまくいかない場合、反応は自然に遅くなり、暴走災害を防ぎます。このパッシブ安全機能は、複雑な緊急冷却システムを必要としないこと、つまり心の安らぎを意味しています。原子力事故に慎重な世界では、トリウムは原子エネルギーの公共の認識を再構築できるメルトダウン耐性の代替品を提供しています。


より長い燃料サイクル:再供給なしで何年も動く原子炉を想像してください。それがトリウムでの現実です。そのユニークな性質により、原子炉は長期間にわたって効率的に動作することができます。ダウンタイムの削減、メンテナンスコストの削減、全体的な生産性の向上です。燃料交換のために頻繁にシャットダウンする必要があるウランプラントとは異なり、トリウム原子炉はハミングを続け、リモートエリアやインフラストラクチャが限られている場所に最適です。また、供給の停止が少ないことは、運用コストの削減と混乱の減少を意味し、トリウムに大きな経済的優位性を与えます。それはただクリーンなエネルギーだけについてではありません。それは、より賢くで、より効率的な発電についてです。


Sources include:


OilPrice.com


En.gmw.cn


CleanCore.energy

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515事件の処理のまずさが226事件を生んだ

極右的印象の強い(私だけのイメージか?)渡部昇一だが、「515事件の処理のいい加減さが226の遠因となった」というのはまったく正しい、と思う。さらに言えば、「226も(犯行者のみの処刑で終わり)軍部自体の処罰懲戒が無かった」ことによって軍部を増長させ、日本を軍国主義一色に染め、異常なファシズム社会にしたと思う。つまり、すべては連環しているのである。さらに遡れば、明治維新以後の長州閥の政治と軍部の支配が大正と昭和で日本を地獄に落としたと言えるだろう。

(以下引用)

五・一五事件に関与した民間人に対する裁判
Wikimedia Commons
1932年の五・一五事件で、首相を殺した犯人さえ死刑にしなかったことは、日本政府の最大の失敗であった。そして、犯人たちに多くの同情が集まり、軽い処分しか下されなかったことが、さらに二・二六事件、そしてその後の危機を招く大きな要因となっていく。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第三章・第18話。
時間:05:48
収録日:2014/12/22
追加日:2015/08/27
≪全文≫
 五・一五事件は、現役の軍人が首相を白昼ピストルで殺害するという前代未聞の事件であり、軍隊が暴走し、本物の暴力によって犠牲者が出たクーデターであった。

 事件後、海軍および陸軍でそれぞれ軍事裁判が行なわれたが、陸軍のほうは昭和8年(1933)9月に11名に対して禁錮4年の判決が出ている。海軍の軍法会議では、主犯格の古賀中尉ら3人に死刑が求刑されたものの、判決では禁錮15~13年になるなど、刑が大幅に軽減された。

 これには、海軍兵学校の卒業生やクラスメートが、青年将校たちのために助命運動を起こし、嘆願書を出したことが背景にある。また、当時の国民の多くが苦しい生活を強いられていた中で、満洲事変が成功したにもかかわらず、アメリカがたびたび横槍を入れ、日本を敵対視するような姿勢を見せていたことに、国民が怒っていたという事情も大きい。

 当時の雑誌の写真にも写っているが、裁判官の机の上には全国から寄せられた減刑の嘆願書が山積みにされていた。被告人たちはクーデターを起こして首相を殺しているにもかかわらずである。

 軍法会議を行なうにあたり、海軍では東郷元帥にもお伺いを立てていた。東郷元帥の意見は、「動機などを問う必要はなし。厳罰に処して可なり」というもので、きわめて理路整然としていた。検察官も理路整然としていて、これは海軍刑法の反乱罪に該当するため、首謀者は死刑が相当であると主張した。ところが裁判官が、被告人たちの減刑を求める強い世論に流されてしまったばかりか、主犯格3名に対して死刑の求刑を行なった法務局長も、辞表提出を余儀なくされてしまったのである。

 しかしどう考えても、五・一五事件において首相を殺した犯人さえ死刑にしなかったことは、日本政府の最大の失敗であった。

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天皇と無私の精神

私は、「天皇」という名称自体は、下のAI解説に書かれているように7世紀ごろに始まったものだと思っているし、また「万世一系」にしても、継体天皇以降だろうと思っている。
そういう立場から見ると、「天皇の治世」が2000有余年であるという説には私は否定的であるし、そもそもその大半では政治自体は武家(軍人)が支配していたのであるから、「武家と天皇の合同治世」と考えるべきだろう。むしろ、自分では基本的に武力組織を持たない天皇という存在がこれほど長期間にわたって政治の大きな柱になってきたこと自体が一種の奇跡だと思っている。そしてそれは日本文化の柱でもあり、日本人の国民性(和を以て尊しとなす)を形成してきたわけだ。

要は、天皇制の意義の有無であり、私はこれは素晴らしい意義を持っていると同時に、権力主義者(政治家や軍人)たちによるその神格化利用によって、最悪のファシズム政治になる可能性もあると思っている。明治からの日本の興隆も大正昭和(前期)での日本の敗亡も、それによる。

現在西田議員の発言が問題視されている「神道政治連盟」など、その種の「正真正銘の」極右団体による「天皇の悪しき利用」だろうし、それは日本を誤った方向に導くものだというのが私の考えであり、天皇は基本的に日本国憲法に示された「象徴天皇」であるべきだ。

だが、そこにさらに、「代議民主制」の根本的欠陥を補う、より進化した形態での機能(たとえば国家の命運を決める問題への「国会議決拒否権」もしくは「審議差し戻し権」)を持たせられないか、というのが私の夢想である。当然、そこには「諮問会議」のような機関も必要だろう。つまり、参議院は人数を大きく制限した一種の「賢人会議」と設定し、国家の命運にかかわる重要問題の場合はさらにその上に「天皇臨席の諮問会議」を必要に応じて置くわけだ。この諮問会議員は無給の名誉職とし、会議内容は発言者名とともに公開する。

なお、詩的立場から言えば、「天皇」という名称は素晴らしいセンスだと思う。単に「巨大権力」しかイメージされない「皇帝」よりずっといい。「天」ははるか上から地上のすべてを見そなわすのであり、まったく私心を持たないからだ。それでこそ天は長く、地は久しいのである。

(以下引用)
「天皇」という呼称が使われ始めたのは、7世紀頃と考えられています。それまでは、主に「大王」(おおきみ)という称号が使われていました。天武天皇の時代から、天皇という呼称が使われるようになったとする説が有力です。
詳細:
    • 天武天皇の時代:
      673年、天武天皇が飛鳥浄御原宮で即位した際に、初めて「天皇」という称号が用いられたとする説があります。
    • 飛鳥池工房遺跡:
      奈良県の万葉文化館にある飛鳥池工房遺跡からは、「天皇」と書かれた木簡が出土しており、このことから天武天皇の時代に「天皇」という呼称が使われ始めたことが推測できます。
  • 日本書紀:
    『日本書紀』にも、天武天皇の頃から「皇太子」などの呼称が出てきており、制度的にも整っていきます。
  • 推古朝説:
    7世紀前半の推古朝に天皇号が成立したとする説もあり、推古朝の仏像の光背に天皇の称がみえることや、608年に日本から隋に送った国書に東天皇敬白西皇帝とあったと『日本書紀』に記されていることなどが根拠とされています。
  • 明治維新以降:
    明治維新直後の1868年(慶応4)正月の国書で天皇の称号を用いることとなり、明治政府は国際的に「天皇」という称号を確立しようとしました。
  • 対外的称号:
    1936年(昭和11)4月、対外的称号は天皇に統一されました。
これらのことから、天皇という呼称は7世紀頃に使い始められ、明治維新以降に国際的に広く認められるようになったことがわかります。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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